騎士の道
傍目には少年同士のたわいない喧嘩に見えただろう。だが当事者にとっては世界をかけた争いであった。
ズロヤトの腕に激痛がはしる。喧嘩相手が卑怯なことに爪を立てたあげく抓りあげてくる。いくら喧嘩でも傷が残るようなことはしない暗黙の了解があるにもかかわらずだ。
「卑怯だ!」
怒鳴るが相手は関係なく、さらに引っ掻いてきた。
だからズロヤトは仕方なく肘打ちを相手の胸に叩き込む。暗黙の了解を破ったことへの罰だ。やや強めだが爪をたてるより遙かに優しい。それであるのに相手は大声で泣き出した。
そうなると、もういけない。
「何やってる!」
大人が怒鳴りながら止めに入ってきた。
そして泣かせたズロヤトに怒り叱責する。だが、その後ろで先程まで泣いていたはずの相手がニヤニヤとしていた。完全に腹が立つ。そちらを睨み付けると、また怒鳴られる。
「聞いてるのか! 泣くまでやるのは卑怯者だぞ!」
「ちゃんと見てよ。あいつ、泣いてない!」
「なに?」
ズロヤトが言い返すと、大人はゆっくりと視線を転じるが、その途端に相手は泣き真似をした。それで愚図な大人は、ズロヤトを嘘つきだと罵り殴った。
目もくらむような痛みに朦朧となる。
大人が去ると、小ずるい相手は舌を出して笑ってみせた。そしてズロヤトが何かする前に逃げだし、遠くから石まで投げてきた。
「くそっ!」
罵りながら歩き出したズロヤトは足下の小石を蹴飛ばした。そのまま、小石を蹴飛ばしながら家に向かい歩きだす。
喧嘩の発端は、相手が祖父と父の名誉を貶したことだ。
言い合いになって、手を出したのも向こうが先。卑怯なのも向こうで、嘘つきなのも向こう。それなのに、怒られるのは自分だけ。酷く不満だった。
屋敷の門をくぐる。
昨日の嵐で庭はいつも以上に酷くなった気がする。庭の中を見回ると、隅の方に木片や生ゴミが見つかった。誰かが投げ捨てていったのだろう。
ゴミを片付け草を刈っていく。ふと見るとゴミの中に、木彫りの像があるので、後で燃やすため薪の場所に放り込んでおく。
「よし、終わった!」
ズロヤトは自分の仕事に満足して屋敷に入った。
けれど出迎える従者は居ない。
父であるケンポウは戦争で深手を負い寝たきりとなった。動けない騎士に用はないと国からの給金は大幅に減らされ、従者たちも姿を消した。母は父の世話で手一杯で、だからズロヤトが屋敷を手入れしている。
「ただいま戻りました」
両親の部屋を覗くと、殆ど手の使えない父を母が着替えさせている最中だった。にっこりと優しく微笑んでくれた母だったが、その拍子に服の袖に手を通そうとした父の手が引っかかったらしい。
「っ!」
呻き声をあげた父に母が謝る。慌てて駆け寄るズロヤトに、母は大丈夫と言って安心させるように笑った。
「ごめんなさい」
母は謝りながら父を着替えさせている。
それが終わると母と二人で夕食をつくりだす。最初の頃は失敗ばかりで苦労したが、今ではちゃんとした料理ができるようになった。母と二人で冗談を言ったり笑ったり、一緒に考え工夫して料理をする。
ズロヤトにとって、この時間が何より嬉しい。
食事は手が不自由で上手く食べられない父に合わせ、ゆっくりととる。主にズロヤトと母が話し、父は時々喋るだけ。薄暗い食卓での食事は穏やかな時間が流れている。
落ちぶれたとは言え、ズロヤトにとっては今が一番楽しかった。
それからズロヤトは食器を片付け、洗い物は母に任せて、湯の準備に取りかかった。殆ど動けない父の楽しみは湯で身体を洗うことだ。
かつては毎日大量の湯を使い肩までつかったものだが、今では湯に浸した布で身体を拭く程度。それも数日おきにしかできない。今日は幸いにも木片が――ゴミとして投げ込まれたとはいえ――あるので、湯が沸かせる。
「湯を用意してくるよ」
「ありがとう、偉いわね」
「別に……」
褒められた照れくささを隠すため、急いで外に出る。
少し前は外の暗さが恐かったが、また褒められたいので準備に取りかかる。湯沸かし用の焚き口に行き、上に大きめの釜をのせる。それから水屋に行って手酌で水を汲んで運ぶ。もっと大きな器があれば直ぐ終わるが、そうしたものはない。従者たちが去って小物類も何故か消えてしまったのだから。
それから薪を持ってきて鉈で割る。湯を沸かす分だけの丁度よい量も、今では大体分かるようになっていた。
「ん?」
次に割ろうとしたものは、今日のゴミの中にあった木彫りの像だった。鉈を振り降ろそうとして、何故かズロヤトの手が止まる。
何か不思議な感覚があった。
手のひらに収まる程度の像を見る。単なる木切れをナイフで荒く削ったゴツゴツとした像で、目や鼻や口も切り込みだけ。だが、その口は奇妙に歪んだもので、微笑にも嘲笑にも見えるものだ。
「…………」
ズロヤトは思わず見入るが、像もまた自分を見ている気がした。
何かとてつもない凄いものに感じ背筋がぞくぞくしてくる。これは何か凄い物だと感じる。宝箱に入れた色硝子の欠片、折れた剣の先、釘でつくったナイフ、泥を固めた玉、磨いた木の棒。そうしたものより、遙かに素敵に思えてくる。
その時だった、何か大きな音がしたのは。
家具が倒れるような激しい音が響き、誰かの怒鳴り声と悲鳴が聞こえ、屋敷の中で何かが起きているのは間違いない。
薪割り用の鉈を握りしめ家に向かうのだが、無意識のうちに木彫りの像をポケットに入れていた。恐怖はあるが、それ以上に父と母が心配だった。
乏しい明かりの中で父が戦っていた。
不自由な身体で必死に動き食事用のナイフを手に立ち向かっていく。だが、それを相手は嘲り叩きのめす。必死に動こうとする父が蹴り飛ばされ、それでもテーブルにしがみつき立ち上がろうとして――殴られて床に倒れ伏す。
「我が村を滅ぼした騎士よ、報いを受けるがいい!」
「殺された妻と子の恨み! 思い知れ!」
倒れた父が踏みつけられ、庇おうとした母が髪を掴まれ引きずり倒され蹴られた。喧嘩などとは違う本物の暴力、本物の戦い。
ズロヤトが怯んだのは一瞬で、鉈を手に敵へと突っ込んだ。
振り降ろした鉈は相手の足に当たった。鈍い手応えと同時に悲鳴があがり、だが同時に殴られる。今日の喧嘩など、全く遊びとしか思えない一撃だった。世界の全部が遠のき、痛みと衝撃で塗りつぶされる。
殴り飛ばされたズロヤトは、壁際の小机に叩きつけられた。
耳鳴りがして意識がもうろうとする。
大事にしていた祖父の絵は破れ、硝子の器は床で砕けている。ズロヤトは壊れた小机に引っかかったので、完全に倒れはしなかった。
相手が何か怒鳴っている。
それは音としてしか聞こえず、言葉としては理解できなかった。頭の中をかき乱すように響き続ける。朦朧とする視界の中で相手が近寄ってくる。向こうで父に剣が突き立てられ、母が組み伏せられて殴られ、家の中が破壊されていく。
ズロヤトの世界が壊され終わりを告げようとしていた。
だが誰も助けてはくれない。
叫んでも願っても加護の神は助けてくれない。
世界は無情で理不尽。
そう思った時に、ズロヤトは無性に強い感情が込み上げてきた。それは激しい怒りだった。怒りに歪んだ視界の中で、床に転がる木彫りの像だけが妙にはっきりと見えていた。
像の微笑にも嘲笑にも見える笑みが深まった。
――汝、力を欲するか?
何故か聞こえてもいない言葉が頭の中で響く。木彫りの像からの問いで間違いない。だからズロヤトは歯を噛みしめ目に力を込め頷いた。
「欲しい!」
ズロヤトが小さいが決意を込めて呟いた途端、全身に力の奔流が踊った。駆け巡る力に耐えかね弾け散りそうだ、身体も心でさえも。
「WRYYYYYY――」
我知らず咆吼したズロヤトは鉈を振りかざし、目の前に迫った敵へと襲いかかった。ひと跳びし、驚愕の顔を見せた相手の首へ鉈を振り降ろす。ガツンッと鈍い手応え。倒れた相手に再撃を加え、断ち斬った。
「GRUUUUUU――」
再度跳ねて次なる相手の額に鉈を叩きつける。鼻腔まで断ち割った。
「ば、化け物!?」
残る一人が悲鳴のような声をあげ逃げ出し、ズロヤトは鉈を引き抜き窓をぶち破って先回りする。驚愕で足を止めた相手に跳びつきのしかかる。
「CHIIITATAP――」
後は鉈の猛打を何度も加え、相手が動かなくなっても続けた。
遅まきながら駆けつけた衛士たちはズロヤトの成果に驚愕。その報告を受けた上層部は、ズロヤトを将来有望な騎士として期待の目を向けた。
父は死に母は大きな怪我を負い家は荒れ、ズロヤトは心に暗さを宿した。ただ、それを埋めてくれるのが周りの賞賛であった。
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