第244話 めでたーしめでたーし

「酷い目に遭った……」

 アヴェラは顔に手をあて立ち上がった。足がふらついているが、横からほっそりとした手が伸び支えた。原因であるヤトノは、そうして嬉しそうで満足そうだ。

 辺りは死屍累々状態。

 もちろん殆んどの者は生きており、ヤトノが力を振るった力の余波を受け、倦怠頭痛胃痛腹痛動悸微熱耳鳴目眩腰痛関節痛多汗食欲不振息切れ胸焼け肩こり吐き気痺れで動けなくなっていた。

 皆が地面に突っ伏しているため、微風に揺れる旗が点々とする様子が目につく。そんな静かな空間に青い空から日差しが降り注ぎ、金具類が輝いていた。

「今までで一番酷い気分だ」

「割と本気めですので当然なんです。ですけど、もう動けるだなんて。ほんっと御兄様は凄いですわ」

「今までで慣れてるから」

「慣れの問題でないと思いますけど」

 ヤトノが呆れている。

 少しずつ足を動かして、アヴェラは歩いて行く。まだ足下がおぼつかない。それでも歩き続け、やがて足を止めたのはズロヤトの元だった。

 まだ動いていた。

「まあ、しぶといですこと。台所の隙間に残った汚れみたいです」

「悪魔自体は?」

「そっちは完全に消え去ってます。これも直に死ぬでしょう」

「なるほど」

 アヴェラは地面で蠢くズロヤトを見やった。身体の殆どが崩れていたが、まだ蠢いていた。目も瞬き口は呼吸を繰り返し、意識もあるようだった。

「俺は超越、者。俺は……強い……最強……」

 呻くように吐き出すように言葉を吐き出している。

「俺に力を、俺にちからを、おれにちからを、ぼれにちからうぉ、う゛ぉれにちゅがらぼぉ……」

「誰かに恵んで貰った力で威張りたいのか?」

 元からそうだったのか、それとも悪魔から貰った力で少しずつそうなったのか。ズロヤトは呻き続けながら力を求めている。

「まあ、最後に助けて貰った身だ。偉そうなことは言えないか」

「御兄様は違いますよ。ちゃーんと自分でやってるのが偉いんです。もっと、わたくしに頼って下さい。いいえ、頼るべきです」

「なんか嫌だな」

「ひどい!」

 泣き真似をするヤトノに構わず、アヴェラはヤスツナソードを構える。その輝きに気づいたズロヤトは崩れた身体を動かし命乞いを始めた。

「では、ヤトノに頼ろうか。こいつにたっぷり報いを与えてくれ」

「お任せ下さい! 御兄様に頼られるなんて、最っ高なんです」

「いまの言い方、イクシマっぽいぞ」

「そ、そんな!?」

 激しく動揺するヤトノに笑い、アヴェラはヤスツナソードを振り下ろした。


 戦場でも動きが見えた。

 ところどころで意思と魂の強い者、または加護の強い者が回復しつつあった。ジルジオが立ち上がり、しばらくしてナニアやんまぁが起き上がっている。

 ノエルも起き上がり地面にぺたんと座っており、横にはイクシマも来ている。

「ううっ、とっても酷い目にあった気分」

「ふえええっ。さーいーあーくーじゃー、気分最悪じゃぞー」

「これ絶対、アレだよね。結構耐えられるかって思ってたけど、ちっともそんなことなかったよ。うん」

「まったく、小姑のやつめがー! 手加減もできんとは。我はこの程度どうということもないし平気なんじゃが、もう二度と嫌じゃ」

「でもさ、お陰で助かったよね」

「それはそれ、これはこれ!」

 騒がしくイクシマは言い、恨めしげな顔で、ちらとヤトノ睨んだ。

 アヴェラはヤトノに支えられながら、二人の側に行った。ノエルが立ち上がろうとするのを制して、その横に倒れるように座った。王太子軍ではペルパドレも含め、まだ誰も意識すら取り戻していない。

「二人とも無事そうでなにより」

「無事に見えるん!? 何なん、本当何なん。やるんなら先に言えよー!」

「……いろいろあるんだよ」

「まあ、よい。許してやる、我は寛容じゃからな」

 実際にはイクシマがイクシマ神になって天に召されかねなかったのを阻止したのだが、当の本人は知るよしもない。恩着せがましいイクシマにヤトノが文句を言って、両者はいつものような言い争いをしている。

 そちらは放っておき、アヴェラはノエルを見やった。

「王太子も無事でなによりだ」

「うん、助けられてとっても良かったんだよ。ありがとね」

「いいさ。それより、どうする?」

「それってさ、つまり王太子様に私のこと話すかどうかってことだよね。だったら、言わなくても良いかなって思ってる」

 ノエルは疲れた様子でアヴェラの肩に頭を預けてきた。もしかすると、悲しい気分の顔を見られたくないのかもしれない。アヴェラが、いいのかと再確認すると小さな頷きがあった。

「娘が亡くなったって王太子様言ってたし、お母さんが田舎で暮らしてる理由を考えればね。うん、それって名乗り出ない方が良いってことだよ。きっと誰も幸せにならないんだよ」

「…………」

「王太子様が凄く良い人で、この人がお父さんで良かったって思えただけで、私はとっても満足だから」

「そうか」

 ノエルはどこまでも自分より周りを気遣っている。そんな様子がいじらしくて可愛らしくて、アヴェラはノエルの腰に手を回し引き寄せた。ただ後ろでイクシマとヤトノが野良猫のような声をあげ威嚇しあっているので雰囲気は台無しだ。

 そちらを呆れて見やっていたため、アヴェラもノエルも王太子ペルパドレが微かに身じろぎしたことに気付かなかった。


 戦争は終わった。

 まず戦場では、敵味方関係なく力を合わせ悪魔と戦った人々に戦う気がなくなっていた。互いに酒盛りするような状態で、戦争継続など不可能だった。

 そして悪魔の出現という極めて重大事案の発生により、聖堂が即座に介入し争いを止めるよう働きかけた。そして二つの国は和睦を進める話となっている。

「さて、そういうわけであるが。アヴェラよ、今後はどうなると思う?」

「何となく有耶無耶になってるけど、相手はズロヤト悪魔化の弱みがあるからね。そこを暗に押せば優位な条件で話が進むのでは?」

 アルストルの陣地に戻り、その天幕の中でジルジオは思いっきり寛いでいる。こんな時だけは年寄りを主張して、好き勝手して飲み食いまでしていた。

 そして可愛い孫を相手に暇つぶしの雑談だ。

「ほうほう。では、此度の戦いの賠償金をたっぷりせしめるか」

「賠償金は相手の感情を損ねると思うよ。それより山脈よりこっちの、あの村たちを貰うよう働きかけて欲しいな」

「被害を受けた救済というわけであるか」

「それもあるけどさ。山を挟んだ治めにくい場所だから相手は手放しやすいでしょ。こっちは国境を明確にできるし、いつか起きる戦争でも守りやすい」

「…………」

 ジルジオは無言で顎を摩り、小さく息を吐いてから続けた。

「なあ、アヴェラよ。やっぱ大公やってみんか?」

「またまた冗談を」

 そんな罰ゲームを引き受ける気はない。

 大公はナニアに任せ時々は御手伝いをしながら、適度な距離感を保ちつつ権力の恩恵を受けるのが夢である。

 しかもズロヤトの悪魔化で何となく有耶無耶になったが、その前の一騎打ちで目立ってしまった。ここはしばらく大人しくして、ほとぼりを冷ます気だ。

「ふーん、まあよかろ」

 ジルジオが軽く言うのでアヴェラは訝しんだ。

 この祖父の性格を理解しているので、こうして大人しく引き下がる時は何かあると警戒している。もちろん、それは正しかった。

「あーぁ、それにしても。太陽神様が悪魔を成敗されたと噂が広まったであるがなぁ。かーっ、誰が広めたのであろうかなぁ。あちこちに伝手のあるダンディで格好いい素敵な奴が働いたに違いないであるぞ。あー、なんだか疲れたであるな」

「それは大変、ちょっと肩でも揉むね」

 アヴェラはそそくさとジルジオの背後にまわって、そそくさと肩を揉んだ。ノエルとイクシマは笑いナニアは両手を腰に当て呆れている。

「もうちっと強めでもよいであるぞ」

「では、お言葉に従いまして」

「よしよし。ところで話は変わるが、儂の古い友人の息子の話をしよう。それはアヴェラが生まれる少し前だが、娘が生まれたのである」

 しかし本妻との間ではなく、本妻の侍女との間の娘だ。貴族としてはよくある話で、その友人の息子も侍女を夫人として迎えようとした。しかし本妻が嫉妬したことで、その侍女は身を引いた。

「それでもな、友人の息子は諦めきれず。身分を投げ打ってでも探そうとした」

 天幕の中は静まり返っている。ジルジオが誰の話をしているのか、全員が理解していたのだ。

「でな、儂らが骨折りして侍女とその娘が死んだことにしたのだ。それは侍女自身の願いであった。あの者は自分よりも皆に幸せになってほしいと、そういう事を普通に願える者であったからのう」

 ジルジオは手で合図しアヴェラに肩もみを止めさせた。疲れた様子など微塵も感じさせず立ち上がって歩き出し天幕の出口に向かった。

「そういうわけである」

 告げたのはアヴェラたちに対してではなかった。天幕の外にいた一人の男に対してだった。ジルジオは入れ替わるようにして男を天幕の中に押し込んで出て行く。

 ナニアが微苦笑して歩き出し、会釈して男とすれ違い天幕を出て行った。アヴェラは、当事者のように真剣な顔をするイクシマを引っ捕らえて天幕を出た。

 晴れた空から降り注ぐ日差しが眩しかった。

 イクシマと手を繋いだまま歩いて行くと、そこかしこから笑い声が聞こえて来た。なにやら清々しいような、朗らかなような、心が温かくなるような気分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る