第243話 本来の力

 戦いの歌が響く中、勇壮な叫びをあげた人々が力の限り走っていく。

 目まぐるしく入れ替わり、誰かが渾身の力で剣を振るい、誰かが踏張り悪魔の攻撃を盾で受け、誰かが跳んで槍を突き込む。

 そうした人々を漆黒の腕がまとめて薙ぎ払う。

 だが、その間にも別の方向から大勢が群がるようにして襲い掛かっていく。悪魔に剣や槍を叩き付け弾き飛ばされ、休む間も与えず次の攻撃が敢行される。それもまた薙ぎ払われるが、倒れた者を踏み越え次の者たちが叫びをあげ打ちかかっていく。

 次が次が次がと、突っ込む人の動きは止まらない。

 戦いの歌も止まない。どれだけ悪魔の力が強大であろうと、人々の意志は挫けなかった。誰かが傷つこうと、誰かが死のうとも、誰も怯まない。

「どうしたんじゃ! お主ー! 戦わんのか!?」

 イクシマが戦槌を肩に担ぎ獣のように駆けて来た。赤い衣に金色の髪、そこに浮かべた獰猛な笑みが似合うエルフだ。

「戦うが、馬はどうした?」

「譲った!」

「ん?」

 指差された方を見やれば馬はナニアが使っていた。どうやらナニアの乗っていた馬が傷を受け後送されたので譲ったらしい。そしてジルジオと並んで悪魔の一体に猛攻をしかけている。

「大将に馬は必要じゃでな」

「なるほど」

「そーれーよーりー! 早う! 早う! お主が戦わんでどうすんじゃ! 行くぞ! 付いて参れ!」

「落ち着け。まず汗を拭っとけ」

 アヴェラが布を投げると、それを受け取りイクシマは汗を拭いた。軽く胸元に布を突っ込んでいるが、どうやら胸の間は汗をかきやすいらしい。

「ズロヤトの動きを見てる、絶対に何か仕掛けてくるはずだ」

「じゃったら、先に倒した方が早かろうが」

「それもそうなんだが。おっと、流石だ」

 向こうでズロヤトの配下が変じた悪魔が、ジルジオとナニアの手によって討ち倒されている。

「ほれ見ろー! 我らも早う倒すんじゃって! 一緒にやるんじゃぞ!」

「分かったよ――やっぱりか」

「どしたん? って、いかん。いかんぞ!」

 イクシマが緊迫した声をあげた。ズロヤトの変じた悪魔が、激しく動きだすところだった。それは真っ直ぐに突進していく。その狙いは――。

「王太子か!」

 ズロヤトの最後の足掻きなのか、何か意図があるのか。いや、そもそもまともな意志があるのかどうかすら不明だ。ただ突っ込んでいく方向に王太子がいるのは間違いない。

「あっちにノエルがおるんじゃって!」

「行くぞ」

 イクシマの叫びと同時にアヴェラは突っ走った。


 急いで駆けて来たノエルは、少し離れた場所からペルパドレを見ていた。

 ペルパドレは冷静で落ち着いた態度で、興奮した様子の配下たちに次々と指示を与えている。その姿は威厳や風格がある。先頭に立って剣を振るうのではなく、静かに皆を支え護るような存在に思えた。

 ――あの人が、お父さん……なんだ。

 そう考えるとノエルは、こんな時であるのに嬉しかった。

 父が王太子だから嬉しいのではなく、父が優しいペルパドレだから嬉しいのである。母が一人で子育てをして苦労したことは知っている。しかしペルパドレを恨む気は全くない。きっと何か事情があったに違いないと思えていた。

 もちろん自分が娘だなどと名乗り出る気はない。

 ただ会えて嬉しかった、姿を見られただけで嬉しかった。自分に父親という存在がいたことが嬉しい。ただ、それだけであった。

 ふいに辺りが騒然とした。

 振り向くと悪魔化したズロヤトが巨大な身体を動かし、周りの騎士や兵士を蹴散らし走りだしていた。その向かう先に気付きノエルは目を見開いた。

「えっと、大変。これ絶対にダメ!」

 ズロヤトが間違いなくペルパドレを狙っている。

 そうと分かると同時に、ノエルは騒然とする皆の間を走りだしていた。軽やかに敏捷に人々の間を縫うようにして一直線に駆ける。

「絶対にダメ! そんなのダメだよ、させないんだから!」

 飛ぶようにして駆けたノエルは、ズロヤトが到達するよりも早くペルパドレの元に辿り着く。

 驚いたのはペルパドレだ。迫るズロヤトの姿に怯まず剣を構えていたところに、走り込んできて前に立った少女の姿に声をあげた。

「君はノエルさん!? いけない、ここは危ない。早く逃げなさい!」

「逃げない。私は逃げない!」

 ノエルはペルパドレを庇うよう立った。

 向こうからズロヤトが地面を踏みならし、途中の人々を薙ぎ払い突っ込んできた。ぬっ、と迫る巨体は相当な迫力がある。そのままでは、押し潰されてしまうのは間違いない。

 ノエルは両手を組んで必死に祈った。

「お願いだから助けて! 私はどうなってもいいから! これから、ずっとずっとずっと不運でいいから! その代わりに助けて下さい、コクニ様!」

 唱えられた神の名にペルパドレは息を呑み、何かに気づいた様に大きく目を見開いた。だが、ペルパドレが何か言うよりも先に大きな声が響いてきた。

「ノエルのアホーっ! 危ないことすんなよーっ! ええいっ! 我の命なんてくれてやる! 我が神オルクス! 我の友を助けてくれい!」

 そして二柱の神が本気で動いた。


 どこから飛んできた流れ魔法がズロヤトの顔面に命中し、踏み締めた足の下で地面が陥没。ばったり倒れた途端に掌に投げ捨てられていた剣が突き刺さり、顔を上げたところに空から無数の魚が落ちてきて激突。起き上がろうとする度に足を滑らせ地面の上を転がり、何かに当たって傷を受けていく。

「どうなったんだ?」

「不運と死の二重奏というものなんです」

 アヴェラの襟元から白蛇が飛びだすと少女の姿に変わる。しかし、そんな光景ですら誰も気にしていない。なぜなら、あれだけ暴威を振るっていたズロヤトやその配下が変じた悪魔たちが七転八倒しているのだから。

「ほんっと、お二人とも凄いんですから」

「どういうことだ?」

「御兄様、いいですか。不運の加護も死の加護も、本来であればそれを周りに振りまく加護なんですから」

 だがノエルもイクシマも、それを周りに与えない。

 特にノエルの場合は、むしろ自身が不運に見舞われている。そういった不運を積み重ね、しかし命の危機に反転して豪運に変わるのが常だった。

「今までそんな感じはなかったが」

「ええ、そうですよ。加護を受けた者が少しでも誰かを恨んだり憎めば、それで発動する類のものなんですから」

「もしかして……」

「そうなのです。ノエルさんもイクシマさんも、そういう考えをしないんです。ですからコクニもオルクスも、あれだけ気に入っているんです」

 ヤトノが緋色の瞳で見つめる前で、イクシマがノエルに飛びついて庇おうとしているし、ノエルはノエルで一生懸命に剣を構えている。

「そんな二人が自分がどうなっても良いから誰かを助けたいと願ったのですから……」

「どうなるんだ?」

「コクニとオルクスの自重が消えて、太陽神めの心労が増します」

 ヤトノは笑いを堪えるように言った。

 最悪の不運に見舞われたズロヤトたちは、全ての行動に失敗している。立つ事すらできず、動くだけで勝手にダメージを負っていく。さらに死の力によって身体の端から砕けていく。

「堕ちて悪魔になったとは言えど神は神。それすら死に追いやるのですから、全く何とも言えません」

「もしかしてだが、イクシマの加護が神殺しをするのか?」

「ええ、そうなんです。ですけど、それではイクシマさんが堕ちた神めの権能を受け継ぎかねません」

「…………」

 アヴェラの脳裏にイクシマが神になった姿が思い浮かぶ。なんだか、とっても酷い事になりそうだ。

「それは可哀想ですので」

 ヤトノがアヴェラを振り仰いで、ニンマリと笑った。

「御兄様、よろしいですね」

「あー、そうなるのか。仕方ない……」

「畏まりました。それでは参ります」

 ヤトノは可愛らしく拳を振り上げ、思いっきり振り下ろした。

「ちょいさーっ!!」

 凄まじい閃光が迸り戦場にいる全ての者がぶっ倒れた。同時に光の中でズロヤトやその配下、そこに取り憑いていた悪魔は全て消え去る。もちろんアヴェラも倒れるが、ヤトノがすかさず抱き留めている。

 ヤトノは空を見上げ、眩い輝きに向けて軽く手を振ってみせた。

「後始末して差し上げました。ええ、感謝はいりませんよ。ですから、後始末はお願いしますね」

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