第238話 災いの元とか

「敵の後詰めが来たようです」

「そうか、やっとであるか。様子でも見てくるか」

 ナニアの言葉にジルジオは欠伸をして肯いた。

 平原の端のアルストル陣で、もちろんアルストルの貴族が揃っている。年配の者たちはジルジオの言葉を気にも留めないが、若手の貴族などは眉を寄せている。

 そんな青年貴族がジルジオに近づいた。

「おい、お前。ナニア様に失礼じゃないか」

 厳しい口調で注意している。

 ナニアが許しているという事実を全く無視しての行動だ。 ジルジオの態度を見かね叱責しようと思ったのかもしれないし、少し目立ってナニアの気を惹きたいと思ったのかもしれない。

 ただ最悪のことをしようとしているのは事実。

 しかし他の年配貴族たちは止めようとする気配は欠片もなく、むしろ面白い見世物を楽しみにする子供のように眼を輝かせている。流石に気の毒に思ったナニアが何か言いかけるが、ジルジオの方が早い。

「は、これは失礼をば致しました」

 答えたジルジオは、もう完全に玩具を見つけた顔だ。

「儂は生来が不作法な者であり、こうして御前に目通りかなって緊張のあまり失礼な事を言ったである。もとい、言ってしまったのであります!」

「むっ、そうか。ナニア様は貴き御方、緊張するのは仕方がない」

 年配貴族の何人かが口を押さえて震えているし、ナニアは困り切った顔だ。しかしジルジオは心からありがたそうな顔をした。

「おお、何と寛大なお言葉であろうか」

「気にするな。しかし戦場で緊張か、それはいかん。気合いが足りない証拠だ。いいか、敵に斬り込むぐらいの気合いを持て」

「なるほど!」

「分かったなら宜しい」

 年配貴族の全員が腹痛でも起こしたように腹を抱え肩を震わせた。ナニアは気の毒さのあまり、軽くオロオロさえしている。だが青年貴族はジルジオの猿芝居に少しも気付かず説教も出来て気分よく笑うばかり――それも次の言葉を聞くまでだ。

「よーしっ! ではさっそく敵に斬り込むであるぞ!」

「え、何を?」

「出鼻をくじくのが一番である。さあ聞けい! この若き勇士が敵陣に儂と共に斬り込むそうだ。他に行く者はおるか!?」

「ばばっ、馬鹿な。何言って、そんな事をする騎士は居ないだろ」

 青年貴族が狼狽えきったとき。戦槌を高々と掲げる小柄な姿が飛びだした。明るい金髪とそこから見える尖った耳が目を引く少女だ。

「いるんじゃって! ここに一人じゃ!」

 うっきうきのイクシマが咆えるように言うと、ジルジオは肯き青年貴族の腕を掴んで引きずり歩きだした。

「他に我らと共に敵陣へ駆けようという勇士はおらんであるか? おらねば儂らだけで突入するであるぞ!」

 ジルジオの覇気ある声に、年配貴族の全員とその部下が集まった。殆んどは長年の付き合いで、またかという顔をして慣れた様子だ。それにイクシマは大喜びだ。

「よーしっ、我らに続くんじゃって!」

 イクシマが突っ走り、そして憐れな青年貴族は拉致され敵陣に突撃が開始された。他の貴族連中は呆然としているばかり。


「良かったのです?」

 ナニアは困った顔でアヴェラを見た。もしあの二人を止められるとしたら、アヴェラだけなのだから。

「爺様の判断なんで大丈夫でしょう」

「それなら良いのですが……」

「どのみち、敵をつり出すために派手な事をやるつもりでしたから」

「悪魔、ですか」

 その言葉にアヴェラは静かに肯いた。

 目立ちたい悪魔が来たことはナニアには告げてある。そしてそれが加護の弱い存在、つまりズロヤト騎士団辺りにでも取り憑いている可能性が高いということもだ。普通なら信じないだろうが、ナニアは秒で信じた。

 そしてアヴェラが警戒のため、ナニアの側に待機しているので大喜びだ。

 ナニアを守るのはドラゴンライダーにしてアルストルのご令嬢であり、戦場で目立とうとするなら一番狙われる可能性が極めて高いためだった。

 他には王太子も狙わる可能性がある。そちらにはノエルに白蛇ヤトノを預けて向かわせていた。もちろんノエルを父親に――事実は教えていないが――会わせてやりたかったからでもある。

「しかし自分より弱い相手に力を振るいよろこぶというのは何とも。それが元とはいえ神様というのも。もちろんアヴェラを疑うわけありませんが」

 ナニアとて苦労はしているし努力もしている。そうとは言えど、貴族の令嬢という恵まれた生まれであり、持って生まれた才能もある。

 努力しても上手く行かず、何もなれず何も得られず、どれだけ努力しても成果が出ず、それに耐えて努力し続ける強さもない存在のことは理解できないだろう。

「神様と言っても完璧ではないので」

「そのような事を言ってはいけませんよ」

「事実ですって。だから神様も苦労されているんですよ」

 アヴェラに空から優しい光が降り注ぐ。苦労神もとい太陽神も同意している。

 突撃したジルジオとイクシマたちが戦闘を開始している。とりあえず途中に死体は転がっていないので、あの憐れな青年貴族は生きているようだ。ただ、遠目にも分かる乱戦具合のなかで死ぬより恐ろしい思いをしているかもしれないのだが。生きて帰れば、立派な蛮族か勇士になっているに違いない。

「敵に動きがあります」

 駆け寄って来た兵士が膝を突き告げた。

「来ましたか! どこに動きです?」

「陣中央方面、恐らくは王太子様の陣幕へと敵一部の進軍が見られます!」

「報告ご苦労様――こちらではなかったようですね」

 ナニアは振り返って言った。

「行きますか?」

「もちろん」

 アヴェラは肯き傍らのアルストルの旗を掲げた竿にヤスツナソードを一閃。納刀すると同時に、僅かに落下したばかりの竿を掴んだ。

 そしてアルストルの旗を手に走りだした。


 王太子陣幕でノエルは肩身の狭い思いをしていた。身を竦めて小さくなり、出来るだけ行儀よくして隅っこに控えている。

「ううっ、どうしてこんな。ナニア様の方がよかったかも。ううん、でも任されたんだから。頑張らなくっちゃ」

 小声で呟き気合いを入れて、しかし周りに待機する偉い人たちの存在に再び怯えて小さくなる。それを先程から繰り返していた。

「大丈夫ですか?」

 優しい声に安堵して顔をあげ、しかしノエルは硬直した。なぜなら相手が王太子ペルパドレ、その人だったからだ。

「あっああ、はっはい。だ、大丈夫でありますですです」

「そう緊張せず気楽にして下さい。ノエルさん」

「わ、私の名前を……!?」

「ええ。私の亡くなった娘と同じ名前ですからね。もし生きていれば、きっと貴女と同じぐらいの年だった事でしょう。おっと、娘が居たという話は内緒ですよ」

 軽くウインクするペルパドレの様子に、ノエルは何とも言えない安堵を感じた。

「貴女はアルストル候から派遣された方ですよ。それほど緊張なさる必要はないでしょう。もっと気を楽にされるとよい。深呼吸、深呼吸、はい」

 促すように言ったペルパドレが深呼吸してみせ、ノエルも一緒になって深呼吸をした。もう緊張はどこへやら、なんとも言えない穏やかな気分だった。

「あとは、少し外を歩いて来られると良いでしょう」

「はい。あのっ、声をかけて頂いてありがとうございます」

「いえいえ。それでは」

 ペルパドレは軽く手を挙げ笑顔を見せた。

 お陰でノエルはすっかり緊張が解けている。ただ周りの大貴族に見つめられたので少し首を竦め、言われた通りに天幕の外に出る事にした。

「ふぅっ、ちょっと緊張したかも。うん、緊張と言ってもちょっと違うけど」

 外で呟いたノエルの胸元が動き、白蛇が顔をだし首元に巻き付きながら外に出て来た。

「ふむ、胸の間のやわやわ弾力感、御兄様にもぜひ堪能して頂きませんと」

「ううっ、身体の周りを探られて……何だか恥ずかしい」

「何を仰いますか、ノエルさん。これから御兄様に隅々探検されるというのに。わたくし相手に恥ずかしいとかは駄目です」

「……隅々……探検」

「ええ、そうです。ですが恥じらいという言葉は大事です。どこぞの金髪小娘のような野放図ずぼらエルフはいけません」

「うっ否定してあげたいけど、思うとイクシマちゃん結構そうだし……あっ、いまのなしだから。そんなこと思ってないから」

 ノエルが腕を上下にあたふたしていると、突如として鬨の声が響き渡り、軍馬の蹄が打ち鳴らす地鳴りのような音が聞こえてきた。応戦する叫びや悲鳴なども響きだす。

「はっ、はわわわっ。もしかして!?」

「もしかせずとも来ましたね」

「ううっ不幸だ。ううん、そうじゃなくって。アヴェラ君の方に行かなくて良かったって思うべきだよね。頑張らなくっちゃ」

 両手を握って気合いを入れるノエルに、白蛇の姿をしたヤトノは何とも好ましげな目をしてみせた。神様は頑張る子が大好きなのだ。

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