第231話 悪戯っ子どもの暗躍

 大勢の人間が谷底近くの道を進んでいた。

 深山渓谷とまでは言わないが、道の両側は岩肌の露出した山で、その傾斜はかなり急だ。上の方は眩しい日に照らされているが、道がある辺りまでは日が届かない。まして直ぐ横に水飛沫をあげる川が流れているため、ひんやりとして寒いぐらいだった。

 決戦の地であるマール平原に向かう道は限られているが、その一つであるこの道が一番酷な道となる。

 このまま進めば、なだらかに土地が開け、その先には村々もある。一番の難所とも言える場所。左右の急斜面に遮られた向こうに、その開けた土地が見えると、歩いていた皆は安堵して先の景色を見つめた。

 そのため、山の上から自分たちを見ている者が居るとは思いもしない。

「呑気に歩きおって、なっとらんであるぞ」

 ジルジオは手を庇にして遙か下を眺めた。その鋭い眼差しは、小指よりも小さく見える人々の姿を捉えている。ある程度が通過した時点で、ニカッと笑う。

「よしよし、やるとするか。かーっ、こういうのは楽しいのう。ガキの頃を思い出すのであるぞ」

 楽しげに言ったジルジオは軽く手を打ち合わせると、直ぐ横にある大岩の下に差し込まれた丸太の反対側の先に手をかけた。

「よし、力を合わせい」

 その合図で数人の男たちが肯き、一斉に丸太を引き下げた。テコの原理で力を受けた大岩が揺らぎ、ついには激しい音を響かせ谷底へと落下。徐々に加速し跳ね、途中で激突した斜面の岩を蹴散らす。

 そうやって連鎖した岩の群れが落ちていく。

 遙か下を移動していた者たちは、遅まきながら気付いて大騒ぎで逃げ惑った。しかし前後を列に挟まれ動くに動けない者もいて、冷たい川に飛び込むほどだ。恐らく落石による被害自体は殆んど無い。

 ただ隊列は玉突き状に停止し後方では停滞している。

「ジルジオ様、もう一つやりますか?」

 嬉しそうに言った仲間に、しかしジルジオは人の悪い顔で笑った。

「こういうのはな、軽く一発であるぞ。何度もやれば警戒され、次の悪戯がやり難くなってしまうのである」

 にっと笑ったジルジオは、大岩の与えた影響を確認することなく次に向かう事にした。率先して辺りの丸太に手をかけ持ち上げにかかる。

「使ったものは、ちゃーんと持って行くのがコツである。こういうのを残しておくと、意外なところから足がつく」

 手慣れた様子のジルジオは軽々とした足取りで山中を歩きだした。その妙に手慣れた具合に、その素性を知る騎士たちは呆れ顔だ。


 マール平原近くにある村は畑も多く、穀物保管庫も多数ある裕福さだった。牧歌的な場所だが、戦火の訪れを察知してかざわついてもいる。

 アヴェラはそこを訪れている。

 わざわざ迂回して平原と反対側から、つまりアヴェラたちにとっての敵国側の道を使い、堂々と騎士や兵を従え村に入った。だから村人たちは何の疑いもなく出迎えてくれた。

「我が一族は、できるだけの食糧を必要としている」

 出来るだけ尊大な態度でアヴェラは言った。

「どうせ戦いが始まれば、ここも戦火に焼かれる危険があるだろう。ならば売って金に換えるといい。買ってやるから、ありがたく思え」

 そう言ってアヴェラは村のまとめ役の手をとり、金の粒を握らせた。もう話は決まったと言わんばかりに、ヤトノの肩を抱きつつ穀物倉庫へと大股で歩いて行く。

 困り顔をしたまとめ役にノエルが、とことこと近寄る

「はい、そういうわけで売って下さい。でないと、主様が機嫌を損ねて私も大変なんです。相場より高く買わせて貰うから売って下さい」

 困り顔のノエルが手を合わせ情に訴えると、村人たちは顔を見合わせ仕方なさそうに肯いた。近くで戦槌を振り回す野蛮なエルフの威嚇も効果あったのは間違いないだろう。

「倉にあるもの全部売ってくれたんだよ」

 ノエルは仔犬のようにアヴェラに駆け寄って報告した。

「また山の中まで運ぶの?」

「ああ、いつもの場所でいいかな」

「でもさ、結構な量になってるよね。もう辺りの村から買ってるわけだし。最後はどうするんだろって、ちょっと心配かも」

 アヴェラたちは付近の村々から食糧を買い付けていた。各村の倉庫を空にしているため、相手側の軍勢が来ても買うもの自体がない状態だ。

 貴族たちの中には行軍を優先させ、食糧は必要最小限という者も多い。そうなると現地で調達する食糧がなければ非常に困る。仮に用意していたとしても、目減りする食糧に不安を抱くのは間違いない。

 バブリーな焦土戦術である。

 もちろんそれも、アヴェラを心配したニーソが大量の金を用意してくれていたおかげだ。


「問題ないさ。アルストルまで持って行けばニーソが売ってくれるだろ」

「それはそうだけど、どうやって運ぶのかなって」

 今運び出している村の食糧だけでも、千近い人々が数日食べられるだけの量はあるだろう。それが何村分も集めてあるのだ。

「それもニーソに頼むかな……」

「いやいや、それ無理だって思うけど。こんな場所だと飛空挺だって着陸できないわけだしさ」

 ノエルは立てた手をパタパタを振りながら呆れ顔だ。それまでアヴェラに頬ずりしていたヤトノが、なるほどと頷いた。

「それでしたら問題ないんです、丁度いい荷運び役がいますから。ええ、呼びつければ直ぐに駆け付けるでしょう」

「あのさ、それってもしかしてだけど……」

「はい、役に立たないドジなトカゲです。御兄様のためにと言えば、泣いて喜び働くことでしょう」

「それ泣く意味が違うって思うんだけど」

 ノエルは呆れた顔をした。その脳裏には、哀れなるカオスドラゴンが思い浮かんでいる。本来であれば暴虐にして恐怖の象徴の覇竜ではあるが、災厄神の一部であるヤトノにとってはペットの犬以下の扱いだ。

「と言うよりも、ドラゴンさんを呼んじゃった方が戦争も終わるのでは?」

「それは駄目だ」

 否定したのはアヴェラだ。荷運びのために穀物袋の一つを軽々と持ち上げている。スマートさもあるぐらいの見た目だが、中級冒険者に数えられるだけあって、力も強い。なお一度に二つを担ぐ、ゴリラの如きエルフには負けるのだが。

「戦争は決着が必要だ。ドラゴンは天災のようなもので、戦争は中断されるだけで終わりはしない」

「なるほど」

「ああ、でもナニア様はドラゴンライダーの称号があるからな。ドラゴンを駆って貰えばいいのか……?」

 ふむふむと肯き考えるアヴェラであった。


「ほほうドラゴンであるか」

 ずずいっと顔を出したのはジルジオであった。そのままノエルが重そうに運んでいた穀物袋を取り上げ、軽々と肩に担ぎ上げた。

「爺様」

「おう、アヴェラよ。山の方は一段落したのであるぞ。進軍も遅れること間違いなしであるな」

「流石だね」

「はーっはっはっは、あの程度は簡単であるぞ。メイド長の目を盗み屋敷を抜け出す方がよっぽど大変であるぞ。うむ、それよりもだ。ドラゴンであるぞ、ドラゴン!」

 ドラゴンという存在は恐怖の象徴であると同時に、偉大なる力の象徴。古来から人々を引きつけて止まない。ジルジオもその例に漏れないようだ。

「ナニアがドラゴンライダーであるからな。であれば、儂も是非ともドラゴンに乗りたい。いや、むしろ挑みたい! 戦いたいのである!」

「「……………」」

「アヴェラよ、ドラゴンと伝手があるのであるか? ナニアに聞いても、あいつ教えてくれんのである」

 目をキラキラと輝かせているジルジオに、アヴェラとノエルは微妙な顔をした。あのカオスドラゴンは、その幻想をぶち壊す存在なのだ。それはナニアだって教えたくもないだろう。

「是非ともドラゴンを呼んでくれい。儂は全身全霊を懸け挑みたい! ちょっとドラゴンと殺し合いたい!」

「気持ちは分かるけど。何と言うか、憧れは憧れのままが一番だよ」

「かーっ、何を寂しいことを言うか。そびえ立つドラゴン、その威容に挑む儂! 襲い来る炎と爪と牙! それらを潜り抜け刃を打ちつけ、繰り広げる死闘! んほーっ、最高ではないか」

 あのカオスドラゴンと会えば、間違いなくジルジオは絶望するに違いない。アヴェラは祖父を悲しませたくなかった。だから口を濁すしかない。

 てってけと、イクシマが穀物袋を担ぎ横を追い越していった。

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