第230話 闇夜の中で

 夜の内に、アヴェラの隊はナニアに見送られて足を忍ばせ移動した。

 付近は幾つもの貴族の軍勢が集っている。多くの人が居るため、多少の動きがあっても目立たない。ただ、そうした場所を離れ歩きだすと辺りは物音一つせず、その静けさも増したように思えた。

「こっちなんじゃって」

 先頭を行くイクシマが持つ縄を後ろの者たちが握り、並んで歩いて行く。

 空には細い月があるものの、殆ど意味がないぐらいの闇だった。それでもエルフの鋭い目は足元の道を見逃さず歩けている。

 アヴェラは感心した。

「イクシマが役に立っている、凄いな」

「なんじゃその評価は!? 無礼な奴なんじゃって」

「いや褒めたつもりだったけど」

「どこがじゃ。と言うかなー、なんでお主は小娘の手を握っとるんじゃ。そこはぁ、我のぉ、手をぉ、握るべきじゃろが」

 イクシマは小声で力を込めて言った。アヴェラだけは縄を持たず、ヤトノに手を引いて貰っていたのだ。そのヤトノは微かだが暗闇の中に良く響く声で笑った。

「わたくしは賢妹良妹、御兄様の為にあるのです。当たり前ではありませんか」

 そうして移動する一行は陣地を離れて別行動の最中だ。向かうのは西で主戦場となるマール平原であった。

「アヴェラよ」

 ジルジオは夜道を縄にも掴まらず一人歩いている。

「ん? それより爺様、足元大丈夫?」

「安心するがよい。こう見えても若い頃は義賊ごっこもしておったのである。闇の中の移動は慣れておる」

「そ、そう……」

「それより、ぼちぼち目的を話すとよい。どうする気であるか?」

 この部隊だけ別行動すると告げただけで、実際に何をするかアヴェラは説明をしていない。それでもジルジオが行動してくれたのは孫に対する厚い信頼というものだ。

「マール平原のさらに西に行こうかと」

「ふむ、相手国の領土であるか。まあ元は我が国のものではあったので地理は分かるのであるが……行ってどうする?」

「さっきの陣で気付いたけど、食糧って意外に近くの村で買い付けるんだね」

「運ぶよりは安く荷物にもならんのであるからな……すると、あれか?」

「略奪はしないよ。ちゃんと買うよ、適正価格より上でだけど」

 つまりアヴェラの考えは、相手国の村々で金にあかせて食糧を買い付けることだ。そうなれば無い袖は振れないとなって、相手は食糧が確保出来なくなる。


 一行は四方に気を配りながら歩いていく。

 辺りに敵は居ないはずだが、偵察の兵が居ないとも限らず、またモンスターがいるかもしれないのだ。軽い坂を上がりきり、少し平坦があって、さらにまた一つ坂を上がっていく。これを越えて下るとマール平原である。

 ジルジオは闇の中で頷いた。

「確かにのう。幸いにしてニーソちゃんが持たしてくれた軍資金もある」

「足りなければ幾らでも用意すると言ってた」

「お主、愛されておるなぁ……ま、それはそれとしてであるがな。全体からすれば、それほど影響はないと思うであるがな」

「もちろん全部を飢えさせることは出来ないと思うよ。ただ不公平感はでるだろうけど」

 アヴェラも闇の中で微笑んだ。

 流石にジルジオは直ぐに察したようで、暗闇の中で小さく唸った。食べ物の恨みは恐ろしく、将である騎士は納得しても兵士はそうでもない。そうやって不和の種が撒かれる事を理解したのだった。

「後は少数で奇襲をかけるかな」

「それは良くないである、やはり大軍に奇襲というのは簡単でないのであるぞ」

「違うよ。そういう奇襲じゃないよ」

「ぬ?」

「ちょっかい出して安全第一で逃げる。それだけ」

「……アヴェラはお利口さんであるなぁ」

 ジルジオは少し考えた後に楽しそうな声をあげた。それは戦いではなく、言わば悪戯のようなものだ。そして、それはジルジオの得意分野である。

「これは楽しめそうであるな。軍勢を相手に悪戯三昧。かーっ、こういうのがあるから嬉しい。これは心躍る」

「荷物とか天幕とか焼くとか?」

「いいであるなぁ。川を少々溢れさせてやり、水浸しの泥だらけはどうであるか」

「通り道の木を倒しておくのもいいよね。先頭が止まれば後ろは大渋滞」

「ほほう。ならば、夜に奇襲の振りをして寝させぬのもある」

「流石は爺様。モンスターを突っ込ませるとかどうかな」

 嬉しそうなアヴェラの様子にヤトノも楽しくなって歩いている。ただ横で聞かされているノエルとイクシマは、いつもの事とは言え呆れ気味だ。

 ただし他の騎士たちは大いに困惑して反応に困っていたが。


 坂を下っていくと、その先の闇の景色の中に小さな明かりが幾つか確認出来た。他は闇が深くて何も見えなかった。アヴェラが小声で停止を命じると、一行は直ぐに停止した。念の為にと身を屈め眼下の闇を見やる。

 目を凝らしていたイクシマが唸った。

「んーっ、あれ小さいが松明じゃぞ。持っておるんは……兵士じゃな」

「なるほどね。ここに居るって事は相手側の兵士か」

「やるんか。よいぞ、戦の前の景気づけぞ。こうなれば我と爺どんで競争じゃ」

「……蛮族度が上がってる気がするな。とにかく落ち着け」

 アヴェラは闇の中でイクシマの頭を小突いた。金髪であるため念の為にとフードを被らせているので、あんまり効果はない。だが落ち着かせる効果はあった。

「なんでじゃー、手柄首じゃぞ」

「黙れ、首狩りエルフ。よく考えろよ、偵察に来た兵が倒されたらどうなる? 相手は警戒するだろが」

「なんじゃ、つまらんのう。我はとっとと戦いたいぞ」

「後でたっぷり機会があるさ。大きな獲物の前に、小さな獲物に手を出して台無しになるのは嫌だろ」

「むっ、それもそうじゃな」

 ひそひそ呟く間にもアヴェラはノエルをしっかりと抱きしめていた。変な理由ではない。ノエルの不運が発動し、敵に見つかるような事がないようにするためだ。もちろん下心が皆無とは言わないが。

「えっとさ、あのさ、こういうのはさ。嬉しいんだけど何て言うかだけど、ちょっと恥ずかしいかなーって思ったり思わなかったり」

「どうせ真っ暗だから見えないだろ」

「そ、それはそうだけどさ」

「まあ皆の為と思っておこう。それに暖かいし、良いじゃないか」

「そうだよね、うん。えへへっ。じゃ、そういう事で」

 ノエルは小さく笑って浮かれ気味だ。お陰でヤトノとイクシマの夜目が利くという事はすっかり忘れている。勿論ジルジオが孫のお楽しみを邪魔するはずはない。


「むっ、いかぬ。こっちに来よるぞ」

 不意にイクシマが囁くと、辺りに緊張がはしった。

 アヴェラはそのまま闇を見つめる。もちろん見通しは利かないので気分だけだ。

「松明を持ってない兵士は?」

「それぞれに一人ずつがおる。あと見える範囲で他に居らぬな」

「では、片付けるしかないか」

「ひゃぁ、戦じゃ!」

「イクシマ、待て」

 今にも駆けだしそうだったイクシマは足を止めた。最近は、待てが出来るようになったのだ。ただし絶対ではないが。

「なんだよー、邪魔すんなよー。我と爺どんで競争ぞ」

「声をたてずにやる必要がある」

「はっはーん。そんなら問題ないんじゃって。良いか見ておれ、我の魔法をな。風神の加護、サイレント」

 辺りから音が消えた。

 しかしイクシマは全く失念していたのだ、アヴェラの前で魔法を使うことの危険性を。そのアヴェラが目を輝かせていることを。ただ、抱きしめられているノエルだけが何となく察したぐらいだ。

「――――」

 声をあげずにイクシマが駆け、ジルジオも続いていく気配があった。だが、声をあげても音として響かないためアヴェラにはどうしようもなかった。

「御兄様、二人なら突っ込んでいきますね」

 だがヤトノの声は、はっきりと聞こえてきた。

「――?」

「おや驚いた顔をされてますね。つまり、わたくしの声が聞こえるのが不思議と仰りたいのですね。当然ではありませんか。たかが風神如きがわたくしが御兄様に届ける声を遮れるはずないんです」

 ヤトノは言って、ノエルを抱きしめるアヴェラに飛びつき抱きついて来た。そのまま肩に顎をのせんがら闇夜の戦況を伝えてくる。

「ふむ、相手も音が消えて反応しておりますが逃げ切れませんね。まったく、二人とも本当に手慣れておりますね。もう殆ど倒しております」

「――――」

「まあ、イクシマさんにしては良い趣味をしておりますこと。御兄様が仰ったとおり首狩り族ですね。ふむふむ、ああいう点だけは褒めてあげたいです」

 何となく状況が想像できる。きっと獲物を見せに来る犬のごとく、それを持って戻って来るに違いない。

 もちろん少ししてアヴェラの予想は現実のものとなった。そして血まみれの獲物を嬉しそうに見せるエルフに、他の騎士たちはエルフという生き物に対する認識を改めたのであった。

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