第228話 街道を征くものたち

 布告があって三日後の昼前、アルストルの軍勢は大勢の市民に見送られながら大門から出陣した。

 その際に出陣の式典も行われた。

 アルストル大公ハクフが訓示を述べ激励し、ジルジオの煽る仕草に顔を引きつらせながら号令を発し。聖堂司祭のアンドンが神々への祈りを行い、ヤトノが手を振る姿に泣きそうな顔で聖句を唱え。大勢の市民が歓声をあげるなか、人目を憚らず万歳する両親にアヴェラが悶絶して出発した。

 騎士と従士で百ほど、兵士が三千ぐらいである。

「凄い大軍だよね」

 人の多さにノエルは驚きとも感心ともつかない様子だ。確かに多いが、しかしアヴェラは微妙な顔だった。

「大軍、まあ大軍ではあるな」

「心配しなくても大丈夫だよ、うん。こんなに大勢居るんだから、きっと勝てるって思うよ」

「ああ、そうだな。確かにね」

 歯切れ悪くアヴェラが言ったのは、前世のイメージから兵数が少ないのではないかと思っていたからだ。

 確かに周りに居る人の数は多く見える。多く見えるが、しかしアヴェラのイメージする戦争は十数万や数十万の激突だ。それに対し三千となると少なく感じてしまう。

 各地から貴族が参集するのだろうが、大所帯のアルストルが三千であるのだから、他はそれ以下になるのは間違いない。果たして総兵力がどれほどになるのだろうか。

 相手側も同程度だろうとは思うが、数だけを聞くと少なく感じてしまう。

 ――しかし……そうは言っても。

 凄いな、と歩きながらアヴェラは思った。

 数字上の感覚はさておき、三千という集団の光景それ自体は人数は凄かった。やはり現実は、ゲームや歴史の知識だけでは分からないものがある

 そして周りには思ったより女性の従軍も多かった。

 これぞ真の男女平等であり、戦争という命と身の危険がある場所にも、男や女という区別なく向かっているわけだ。

「なんじゃ心配なんか。安心すると良い、お主を支えてやるんじゃって。そういうわけで頼ってくれていいんじゃぞー」

 辺りを見回すアヴェラにイクシマは見当違いな感想を抱いたらしい。何やら偉そうな態度をしている。思わず呆れた気分になった。

「って! なんなん、その目は」

「はぁ……」

「溜め息まで吐きおった! なんじゃー、言いたい事があるなら言えよー」

「言っていいのか?」

「む、やっぱし言うな。どうせろくでもない事じゃろかな」

 イクシマはそっぽを向いた。少しは学習するようになったらしい。

 アルストルの軍勢は三列から四列程度になって街道を進んでいた。空からは強めの日射しが投げかけられている。そのため装備の金属がちらちら輝いて眼に障る。空には少し遠くに白雲が一つ浮いているだけ。しばらく、この状態が続きそうだった。


 行軍速度はゆっくりめ、重装備や物資運搬も考慮しての速度なのだろう。休憩は何度かあり、ほぼ全員が座って足を休めもした。全体的にはよく統率されているのだろう。さほど混乱もない。

 そうして歩き続けると、やや傾きだした日射しが辺りを照らすようになった。草や木の影が目立ちだしている。そうした場所に目を向けても、大勢の人間が一度に動く音に、風や虫の音も鳥の鳴き声でさえも、かき消されている。

 前方で赤色の旗があげられた。

 もう少し手前で同じく赤旗があげられ、直ぐ次が、また次が、そして間近でもあげられ、恐らくは後方でも同じように赤旗があげられていく。行軍の停止を告げる合図だ。

 さらに騎馬兵が併せて横を通過し停止を指示していく。

 各所の指揮担当も声を張りあげ停止を指示するため、アヴェラも声をあげた。

「全体、止まれ!」

 辺りで配下となる騎士が同じ言葉を繰り返し、それぞれの従士が連呼し兵士の動きを止める。辺りはにわかに騒々しくなった。

「よいであるぞアヴェラよ。今の号令は腹から声が出て素晴らしいであるぞ!」

 ジルジオはご機嫌だ。

「疲れたであろう。よしよし、後は儂が上手いこと采配しておいてやる。少し休んではどうであるか」

「部下が動いているのに休むのは良くないでしょう」

「アヴェラはお利口であるな! よしよし、ならば皆に声をかけてやれい」

 どう言おうがジルジオはアヴェラを全肯定ベタ褒めだ。

 アヴェラは小さく息を吐き、部下となる騎士の様子を見に向かった。ノエルとイクシマは、同じく配下の女性たちを見に行っている。

 配下となる騎士たちと言葉を交わしていく。

 拳闘騒動で拳を交わし、その後は肩を並べ止めに入った他の騎士と戦った仲だ。気安い雰囲気である。アヴェラもだが、ジルジオとバンゾクエルフは一目も二目も置かれていた。

 何とも微妙な気分だ。


 あちこちで野営準備が進められる。天幕は設置に手間がかかるため、総大将の存在を誇示する為もありナニアだけ。その他は隊毎に集まり布に包まる程度。そして騎士が巡回し見張りも各所に立つ。

「思ったより治安と言うか規律がいいかな」

「どうしたのであるか?」

 ジルジオが反応した。

 地面にどっかり座り込み、細身の短剣に刺した肉を炙って、そのまま齧りついている。元大公と言うよりは山賊の頭のような姿だ。

 ヤトノがアヴェラの為にと、せっせと肉や野菜を炙ってアヴェラに差し出す。横からイクシマが手を出し奪い取り、憤慨するヤトノをノエルが宥めている。

 概ね平和で和気藹々とした食事だ。

「これだけ人が多いなら、もっとトラブルがありそうだし。兵士だって逃げたりするかと思って」

「そこに気付くとはアヴェラは賢いであるな、うむ。だが心配はいらんのである。兵士たちは各貴族の配下、もしくは支配地の民であるからな。自分ところの村や地域の名誉を背負っておる」

「下手に騒ぎを起こせば自分の家族が危ないと?」

「そうではない、そうではない。どうやらアヴェラは、名誉を理解しておらんであるか。名誉は何を置いても大事であるからな」

 ジルジオの説明によると兵士にとって、自分の村の名誉や支配する貴族の名誉は極めて大事なものらしい。ある種の故郷愛なのだろう。

「現実的に言えば、統治者である貴族や騎士が命を落とせば地域は貧しくなる。故に我が身を犠牲にしてでも守るのである」

 貴族や騎士は所領から税を得て生活する代わりに、その地域の暮らしが良くなるように努力する。他所領からの干渉をはね除け、モンスターや害獣を駆除し、賊や災害時に皆を守り助ける。地域の揉め事を裁定し、開発や開墾の計画をして指揮をとって発展させる。

 だからこそ領民である兵士は統治者を守るのだ。

「つまり、ご恩と奉公というわけですか」

「面白い言葉であるが、まさにそのとおりであるぞ」

 ジルジオは楽しそうに笑い、酒瓶に口をつけ呷り飲んだ。やっぱり、どう見ても山賊かなにかの頭といった様子であった。

 ようやく食べようとしたノエルが運悪く皿を落としショックを受けている。落ちたものはイクシマが自分のと交換してやり、適当に汚れを払って齧り付いていた。


「ところでアヴェラよ、ソレは何であるか?」

 ジルジオは傍らに目線を向けて尋ねた。そこにあるのは盾だが、もちろんジルジオも盾という事は分かっている。盾を覆う白布の意味を知りたいのだ。

「ニーソに頼んで用意して貰った」

「ほう、この忙しい中でか」

「お金で解決できることは解決したそうなので」

 アヴェラは軽く笑って、白布に覆われた盾を手に取った。

 これはニーソに頼んで急遽加工して貰った盾である。どこの職人も出征関係で装備の調整に大わらわのなか、大至急で用意してくれたものだ。しかも数はそこそこある。

「これは特別製の盾で、敵を怯ませる効果があるはず。たぶん」

 途端に横で聞いていたイクシマの動きが止まった。齧り付こうとした肉を落としても気付かないほど動揺している。

「……ま、まさか。そこに小姑の絵を描いたとか言わんよな。止めよ、それ冗談抜きで止めよ」

 ヤトノが不機嫌そうな顔をしたが一応は我慢している。事情を知らぬジルジオは訝しげで、アヴェラは苦笑しながら盾から白布を外す。

「まさか。ヤトノの絵は一つで十分さ」

「なんじゃ、驚かすでないぞー。我はもう、小姑の描かれた盾が並ぶ恐い光景を想像してしまった」

「それなら可愛いじゃないか」

「お主なー、あれを可愛いとか何を言うとるん?」

 ぶつくさ言うイクシマにアヴェラは盾を向け構えた。

 そこに描かれている模様は奇妙なもので、白い下地に黒四角が隙間を空け均等に並んでいる。その為、黒四角の間が白線で区切られているように見え――。

「むっ! なんじゃ……はえ? はええっ……眼が、眼がぁ!」

「どうやら効果があるようだ」

 アヴェラは嬉しそうに肯いた。横から見ていたノエルも目を閉じたり開いたりしつつ辛そうな顔だ。

 好奇心旺盛なジルジオも盾を見つめて驚きだ。

「おおうっ、何であるかこれは。何やら動いておる、動いて居る。いや、動いてはおらんが動いておる。良いぞ、これは良いぞ!」

 他の盾はカラフルで円が回転して見えたり、模様が拡大したり縮小して見えたり、模様が点々と動いて見えたり。または矢印の向きで長さを勘違いさせたり、曲がって見えるものまである。

 錯視を引き起こす模様だが、これをニーソに準備して貰っていた。

 これが戦場で役に立つかは不明だ。しかし、僅かでも効果があり仲間の命を救ってくれるのなら御の字だろう。ただ、その日の野営では盾をネタに大盛り上がりになったのは事実だ。

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