三匹が征く2

「先程は失礼しました」

 ケイレブという若者の声には、まだ緊張と警戒の色が漂っていた。

 真新しい外套を身に纏った如何にも冒険を生業とする者の格好だ。しかし、そうした者が得てして持ちうる荒んだ雰囲気はない。むしろ若者特有の生真面目さと不器用さがあって清々しくもある。

 ジルジオは心の中で小さく微笑んでいた。

 きっとそれは隣で樽形ジョッキで酒を口にするアクユも同じに違いない。

 そこは知り合いの女将の店だ。まだ数人の客がいる。

 閉店も近くなった頃にやってきたジルジオとアクユに女将は――まるで犬でも追い払うような仕草までしてみせた――呆れたが、しかし女性と赤ん坊を見ると即座に中に入れてくれた。

 女将は奥の部屋に女性を案内し休ませ、赤ん坊と女性の世話をしている。

 従業員の女の子たちは女将ならず客の総意により夜は帰されているため、店に居た客たちは勝手知ったる店の厨房を使ったり酒を用意したりと、自分たちで飲み食いしていた。

 ジルジオとアクユも酒を勝手に持って来て飲んでいる。ケイレブにも用意してやったが、まったく口をつけようともしない。なかなか用心深い。

「別にどうってことないであるぞ。女性を助けるのは当然ってもんである」

「だな、丁度良い余興ってもんだな」

「違いない」

 ジルジオとアクユは声を抑え笑った。この二人がやると悪巧みをしているようにも見えた。実際、ケイレブの不信感は強まった様子だ。

「おうおうおう、そう警戒すんな。何かするなら、とっくにやっておるであろうが。ま、こんな薄汚い場所に連れ込んでは疑うのも仕方ないであるがな。うはは――ぐはぁ」

 言ったジルジオに奥の部屋から固そうな野菜が飛んできて命中した。素晴らしい技前の投擲術だった。他の客はやんやと喝采をあげ指を差し笑っている。もちろんアクユもだ。

「くっそ、女将め。また腕を上げておる」

 頭をさすったジルジオの様子に、ケイレブの警戒は和らいだようだった。

「……まあ、どうやら警戒する必要はなさそうですね」

「はっ、儂のような超格好いいイケメンを警戒する必要はないってもんであるぞ。そんな事より、何があった?」

「事情を話した方が良さそうですかね。僕も大した事を知っているわけではありませんけどね」

 ケイレブは頷き経緯いきさつを口にした。

 アルストルに居る友人に会うため乗合馬車に乗ったケイレブであったが、その途中で怪しい集団に襲撃された。馬車強盗かと思い撃退したものの、相手は何度も襲って来た。そして狙いは女性だと気付いたのだ。

「で、アルストルに到着したのですけどね。友人の家に向かう途中で、また襲われたというわけで。支えきれないので、彼女を逃がしたところでした」

「馬っ鹿かお前、逃がした先で襲われてんだろがい。護衛としちゃダメダメってもんだろが」

「全くそうですね」

 肩を落とす姿を見やって、ジルジオはジョッキを傾けた。どうやらこのケイレブという奴はかなりのお人好しらしい。関係ない相手のため命を懸けて戦うなど実に馬鹿であるが――そういう馬鹿は嫌いではない。


 奥で赤ん坊が泣きだし、それを女性が宥めている。女将の朗らかな声が重なり、いろいろと手助けしたり助言をしたりしているようだ。

「で、どうすんだ? お前さん、ここで放り出すなど出来ぬのであろ。それが出来るのであれば関わりはせんだろうからな」

「ですね……連れもいるので、早めになんとかしたいのは事実ですよ」

「そいつらはどうした? 逃げたのか?」

「まだ子供で女の子二人ですからね、先に知り合いの家に行かせておいたのですよ。そこなら安全ですからね」

「まさかだが、その子供らも拾ったわけじゃあるまいな」

「…………」

「はーっ、このお人好しめが」

 黙り込んだケイレブに、これはいよいよ本格的な馬鹿だとジルジオは嬉しくなって口角を上げた。アクユも同じ感想らしく同じ顔をしている。

「ですが、これで助けられるのは二度目ですね。お久しぶりです」

「ん? どっかで会ったか?」

「前にも助けられましたよ……」

「すまんな、儂のようなイケメンは皆からモッテモテなんでな。美人で可愛いお姉ちゃんならともかく、野郎の顔なんぞいちいち覚えておらんのである」

「……数年前にアルストルを脱出するのを助けて貰いましたよ。エルフのヤオシマを押し付けられて」

「あー、あれか……」

 ジルジオは思い出した。

 ただしそれは娘の結婚に関わることだったからだ。このケイレブが娘夫婦の元仲間で、その結婚に関連してアルストルを出奔しようとしたので助けてやったのだ。もちろん素性は隠してだが。

「そうかそうか。あの時のお人好し間抜けのガキんちょであるか。戻ってきたんか。で? ヤオシマはどうしたであるか?」

「娘さんの件でエルフの里に戻りましたよ」

「はーそうか。あの、山奥にある里に帰ったか」

 ジルジオは肯きながら、しかし考えている事は別であった。

 このケイレブが娘の友人であり仲間であるなら手助けするしかない。決してカカリアの為ではないが、それぐらいはせねば駄目だろう。決してカカリアの為ではないのだが。

 しかしケイレブが凝視してくる事に気付いた。

「ん? 儂のイケメンぶりに惚れたか? 悪いが男に興味は無いであるぞ」

「全く違いますね。それより、前から気になってましたがね。もっと前にお会いしたような気がするのですが」

「ほう? いや全く覚えがないであるな。ま、儂のような超格好いいイケメンが他に居るとも思えんからな。お前に覚えがあると言うのなら、会った事があるやもしれん。うはははっ!」

「……まあ会った事はなさそうですね。あの人はもっと格好良かったので」

 その言葉にアクユがゲラゲラ笑い、それにジルジオが文句を言って二人で子供っぽい言い合いが始まった。


 ジルジオはジョッキを空にすると深い息を吐いた。

「まあいい、こうなれば儂らも手を貸してやろうではないか」

「全くその通りってもんだな。こいつは、いろいろ裏がありそうじゃねえか」

「んなもん、直ぐ分かるであろ。お代わりが来るようであるからの」

「懲りねぇ連中だぜ」

 その会話にケイレブは目を見張って剣を引き寄せた。どうやら気付いていなかったらしい。まだまだ甘い。

「やれやれ。まさか気付いてなかったのであるか?」

「そこまでは……いえ、それならここは危険という事ですね。他の方に迷惑がかかる前に移動せねば」

「はーっ? 迷惑? 馬鹿を言うな。お前さん座ってろ、下手に動くと殺されちまうぞ。ここにいる奴らにな」

「え?」

 しかし薄汚れて寂れ年季の入った店内には、それに負けず劣らずの年寄りが背を丸め、細々と食事をして酒を飲んでいるだけだ。

「殺されるというのは……?」

 ケイレブが呟いた時だった、店の入り口が荒々しく押し開けられたのは。

「全員動くな!」

 ドスドスと足音も高らかに完全武装の騎士と兵士が押し入ってきた。

 お揃いの甲冑は全て黒塗りで、身に付けている衣類も黒色といった、黒大好きな集団。先頭の黒騎士が片腕を薙ぎ払うと、手近にあったテーブルが吹っ飛び壁にぶち当たり粉々となった。

「そのまま動かなければ楽に死なせてやる――全員始末しろ」

 黒騎士が命じると、兵士たちは剣を手に危機として客たちに襲いかかった。

「くっ、お前ら止せ!」

 慌てた様子で立ちあがろうとするケイレブに、ジルジオは剣を鞘ごと突きだし押しとどめた。

「よせよせ。言ったであろうが、下手に動くと殺されちまうとな」

「お言葉ですがね! このままでは――」

 言いかけたケイレブは目の前で起きた事を見て固まった。

 ちびちびと酒を飲んでいた枯れ木のような老人は、座ったまま僅かな身じろぎで剣を躱し、酒瓶を抱えゆるりと立ちあがる。襲いかかる剣の間を千鳥足で進み、酒を飲みつつ鎧を指で摘まんで中身ごと破壊している。

 黙々とチキンを食べていた細身の男が魔法を使うと、派手な炎が噴き上がり――店の奥から女将の文句が聞こえると――慌てて氷の魔法に切り替え、近寄った兵士の足を氷付けにした。

 魚を両手に握り齧りついていた老人は皺だらけの顔で幽鬼の如く笑い立ちあがると、剣を摘まむように持ち構えた。そこから放たれた凄まじい一撃は、近寄った兵士の盾を両断してみせた。

「おい、お主ら。殺すなよ」

 ジルジオが呑気な声で呼びかけるが老人たちは耳を貸そうともしない。それぞれが血に飢えた獣のような顔をしている。

「死体が出ると女将が煩いであるぞ」

 その言葉に血に飢えた老人たちは、怯えた仔犬のような顔になった。


 騎士と兵士たちは、両手を後ろで縛られ床に座らされている。一応は生きているが、散々に痛めつけられた後なのですっかり怯えていた。しかしそれをやった老人たちは女将に怒られ、しょんぼりした様子で壊れたテーブルや椅子の補修や床の掃除などをやらされているのだが。

「さてお主ら、誰の命令で動いておる?」

 ジルジオは足を組んで椅子に座り偉そうな態度だ。しかも、足先で黒騎士の顔を突いてさえいる。

「それは言えん」

「はーっ、お前は馬鹿であるか? 仮に戻ったとしてだ。これから先もずっと、こうやって汚れ仕事ばかり。日陰者としてしか生きていけんのであるぞ」

「…………」

 騎士はむっつり黙り込む。しかし兵士たちが小さく呟き囁きあいだすため、肩越しに叱るように言い放った。

「耳を貸すな。我らにとっては使命を全うすることこそが重要なのだ。たとえそれが汚れ仕事であろうとも」

 それは黒騎士が自身に言い聞かせているようにジルジオは感じられた。どうやらあと一押しらしい。ジルジオは心の中でほくそ笑み顎をさすった。

「で? 信じて戻って殺されるのであるか? 命じた奴が誰かは知らんが、こんな事を命じるぐらいである。どう考えてもお主ら口封じで殺されるであろうが」

 薄々は察していたらしい兵士たちは落ち着かなげに顔を見合わせ、騎士は下を向いて黙り込んでいる。

「お主らとて死にたくはなかろう。折角助かった命を大事にせんでどうする。なんなら儂がアルストルでの仕事を紹介してやっても良いぞ。こう見えても顔が利くのであるからな」

 ジルジオが希望をちらつかせると動揺が広がっていく。

「騙されるな、そんな話などあるものか」

「だ、だが……こいつの言う事も分かる……」

「もしそうなら俺は、俺は!」

「こっそり家族を呼び寄せれば普通の暮らしができる」

 もう大勢は決まっているようだ。

 ジルジオがだめ押しのひと言を告げた。

「よーし、よし。アルストルで商家の用心棒なんてのも良かろう。一番詳しい情報を話した奴は一番大きい商家を紹介してやるぞ」

 兵士たちは我先にと話しだし、黒騎士はガックリうな垂れた。

 その様子にジルジオとアクユはゲラゲラ笑うばかりだ。

「えげつない……」

 ケイレブは頭を振って静かに呟いていた。

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