三匹が往く
天井からぶら下がる吊しの照明は、少々上にありすぎしかも油を使ったものなので、店の中は薄暗かった。他のテーブルの者を見ても、しっかり目を凝らさないと顔が確認できない程である。
しかし、酒を飲む店としては丁度良かった。
薄暗さに加え落ち着いた雰囲気の店内は酒の味を楽しむのに丁度良く、そこかしこに居る者は年齢も性別も、さらには身分も様々だが、概ね静かに酒を飲んでいる。時々、抑えた笑い声や話し声が聞こえる程度だ。
カウンター席にいるジルジオも、場の空気を楽しみグラスを傾けている。
誰かが入店してきた。
その存在に誰も視線を向けず、残心という形で意識だけは向けている。それはジルジオも同じだったが、相手が近づいて来るとなれば別だ。椅子の上で軽く身じろぎし片手を短刀の柄に伸ばし――相手の足音を聞いて止めた。
ズカズカと遠慮なくやってくる足音に覚えがあったがらだ。
「同じもんを頼まぁ」
低く野太い声で言いながら隣の席に座ったのはアクユだ。一応は場の雰囲気に配慮し声は抑え気味である。そんな幼馴染みにして親友に、ジルジオは軽く一瞥だけした。
「随分と湿気た顔してるじゃねぇか、おい?」
「そりゃ、まあな」
「お前の息子に様子を見てくれって頼まれたが、何があった?」
「んー、まあな」
ジルジオが呟く間にアクユは提供されたグラスに軽く口をつけた。
「あれであるな、ちと思い悩むことがあってな」
「お前がそんなとは、どんな事だよ……」
「孫がな。いや、ナーちゃんではないぞ。こないだ生まれた孫の方だ」
「おう、アヴェラって名付けたらしいな。で?」
「加護が判明したが……災厄神だった」
それを聞いた途端にアクユは口から酒を噴きだした。
隅に控えていた店主が移動してくると軽く辺りを拭き、さらにアクユのグラスを取り替え、また隅に引っ込んで言った。こういった対応も慣れているらしい。
「ちょっ、おま。それ大丈夫なのかよ」
「教会の一派に殺されかけたのをカカリアとオマケが一緒に助けたらしい。あ奴ら儂を呼んでくれなんだ……」
「それがショックとか言うなよ」
「馬鹿言え。そんなもんショックでなかろうが、違わい」
ジルジオはグラスをカパッと空け、空になったグラスを振る。ただし、その時点でお代わりが運ばれて来ていた。
「問題は、その時の事でな。いいか、他では言うでないぞ」
「言わねぇよ。俺を何だと思ってやがる」
「腐れ縁の根性悪と思っとるわい」
「奇遇だな、俺も全く同じ事を思ってるよ。で?」
「うむ、その時にな。降臨されたのである、つまり加護を授けし御方が」
「…………」
アクユはグラスを呷り飲んで、お代わりを請求した。ただし今度は、お代わりのグラスではなく、酒瓶が丸ごと運ばれて来た。
実に出来た店だろう。
たっぷり飲んだジルジオとアクユは、肩を組みアルストルの街を歩いて行く。しかし酒は飲んでも飲まれる二人ではないが、傍目からはすっかり出来上がった酔漢だった。
夜も更け、辺りはすっかり暗い。
青黒さのある空に半分欠けた月が、星の光と共に輝いている。
飲食店の多いエリアを出て、商業区と住宅区の間ぐらいの場所だ。辺りに灯はなく、街路に植えられた木々が生い茂るため殊更暗い。時折吹く風が枝葉を揺らすと、人のざわめきのような音を響かせ、気の弱い者なら怯えそうだ。
ただし二人の場合は酒の有無を抜きにしても全く平気だろうが。
「なんでぇ、ちょっと神さんが出たからって何をビビってんだお前ぇはよ」
「そりゃそうであるな。ま、アヴェラはアヴェラ。加護がなんぼのものか。儂の孫であるぞ、加護の神どころか他の神すらビビらせる男になるのである!」
「お前の孫っつーか、カカリアちゃんの子だろ。やりかねん」
「違いない、うはははっ!」
静かな空間に笑い声が響いた。
流石にちょっと気が引けたのか、二人は大人しくする事にした。そのまま夜を楽しみながら、ゆるゆる気儘に歩いた。
だが酔っ払っていた顔が急に引き締まった。鋭い目で素早く辺りを見るが、武人や戦士の目になっている。元大公と元騎士団長という立場のため、襲われる身の覚えは幾らでもあった。
少しして聞こえたのは足音だ。
軽い足音は走り慣れた者のそれではなく、しかも歩調が乱れている。
「「…………」」
ジルジオとアクユは互いの距離を適度に開き、辺りの闇に身を潜めた。二人とも均整の取れた体つきで、若い頃とあまりかわりのない見かけだ。もちろん剣の扱いも同様である。
やがて月明かりが照らす道の向こうに人影が現れた。
それが女性である事は明らかで、何かを大事そうに抱え走ってくる。何度も後ろを振り向き、ついに運悪く躓き転んでしまうが、抱えている何かを庇って痛そうな転び方をした。
さらに複数の足音が近づく。荒々しく激しく打ちつけるようなそれに、小さな金音が響く様から、戦いを生業とするものだと分かる。
懸命に立ち上がろうとする女性を、現れた男たちが取り囲んだ。
「逃げても無駄だったな。その命を貰い受ける」
男たちが抜き放った剣が月の光を浴び輝び――。
「ふはははっ! はーっはっはっは!」
「げーはっはっはぁ!」
辺りに高笑いを響かせ、ジルジオとアクユが嬉々として突っ込んだ。二人とも抜き身の剣を肩に担いでいる。
「こんばんは、死ねぃ」
ジルジオの一撃を相手の男は剣で防いだが、その重さに目を見張っている。
「おうおうおう、ちっとは手応えのある相手ではないか。よーし、よし。ちっとは楽しませてくれよ」
「酒が飲んだ後に試し斬りの相手が用意されるたぁ、最高じゃねぇか?」
「日頃の行いが良いであるからな!」
どっちが悪人か分からぬ言葉だが、ジルジオとアクユの強さだけは本物だ。流石は元大公と元騎士団長だろう。ただし、普通の大公は剣など握らないのだが。
男たちは圧倒され、一人二人と斬られたところで身を翻した。
「逃がすかい。その首、置いてけやぁ!」
「待て待て。ご婦人の安全が最優先であるぞ」
「むっ、それもそうだ」
ジルジオとアクユが向き直ると、茫然としていた女性は身を竦め怯えた。
「お前の悪人面がいかんのであるな、ちっと下がるのである」
「んだと? この俺の気品溢れる顔を悪人面とか馬鹿言うな。鼻の下を伸ばしたお前の顔がダメに決まってんだろが」
「はぁ? 誰の鼻が伸びていると言うであるか。この儂は紳士の代表のような生き物であろうが」
血に濡れた剣を手にして言い争う二人に女性は怯え、包みを大事そうに抱え必死に地面の上を後退った。
瞬間、ジルジオとアクユはその場を跳んで離れた。乱れも迷いもない微かな足音と同時に冷えるような殺気が迫ってきたのだ。
「間に合ったか」
現れたのは外套に身を包んだ男だ。不貞不貞しくもある顔に、少し捻くれたような笑みを浮かべている。しかし近寄れば即座に斬られそうな凄味を宿しているのは間違いない。
ジルジオとアクユは真顔となり、静かに剣を構えた。久しぶりに本気が出さねばならない相手に嬉しくなって笑顔になっているぐらいだ。
一触即発の雰囲気に女性の声が割って入った。
「待って下さい、ケイレブ様。そのお二方は助けて下さったのです」
「む? しかしどう見ても悪人面なんだが……」
ケイレブと呼ばれた男が怪訝な顔となる。
「げはははっ、お前さん悪人面と言われとるじゃねぇか」
「はぁー? 何を言うか。儂のような威厳あふれて超格好良い男が悪人面とか、あるわけなかろうが。間違いなく、お前のことであるぞ」
「馬っ鹿ぬかせ。俺の何処が悪人面だ。俺が微笑めば泣く子も黙るぐらいだぞ」
戸惑うケイレブの前で、ジルジオとアクユは互いに譲らず、それどころか剣を向け合い一触即発の雰囲気だ。
「おやめ下さい、お二人とも」
ケイレブの手を借り女性は立ち上がる。相変わらず、何かを大事そうに抱えている。小さいが両手で抱えるほどで、白く柔らかげな布の塊であった。
だが、その包みを見やってジルジオとアクユは即座に剣を納め大人しくした。
流石に産着に包まれた赤ん坊の前で暴れる気はなかったのだ。
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