第223話 復讐は斯くの如し

 海を前にした崖の上で、ヤトノは不満そうだ。

「わたくしは納得が行きません」

 頬を膨らませながら口を尖らせ、あまつさえ子供じみた仕草で地団駄まで踏んでいる。その長い黒髪が勢い良く跳ねている。

「どうして、あの者どもを放置しておくのですか」

「そうじゃぞ、我もそう思うんじゃって」

「ですよね、イクシマさんもそう思いますよね。今からでも大丈夫です。あやつらを始末しましょう、いえ始末します」

「我からも頼むんじゃって。やってしまえ」

 いつもなら反目し合うヤトノとイクシマが声を合わせ、沖合を行く帆船を指さした。もちろん、そこにはカルミアとダチュラが乗っている。それも新天地を目指し幸せいっぱいの二人だ。きっと甲板の先端で一緒に両手を広げているに違いない。

「必要ない」

 アヴェラは一蹴した。

 モサリの死から数日が過ぎている。怒りに猛るイクシマと不機嫌になったノエルを宥め、ドッカーノ家の追求を躱しながらニーソの手配した船に乗せ送り出したのはもちろんアヴェラだった。

「じゃっどん! モサリが死んだ事を言ったときのあいつらの態度、おかしいじゃろって。絶対に許せん」

 イクシマが怒るのも無理もない。

 モサリの死を告げたところ、カルミアは少しばかり驚き残念がりはしたが、それ以上は何も聞かず興味をなくし直ぐ他に気を取られ笑った。そしてダチュラは一瞬だけ気まずそうに目を逸らし黙り込んだものの、後は何も知らない素振りを通していた。

 アヴェラは沖合の帆船を見たままだ。

「ノエルも同じ気持ちか?」

「うん、もちろん私も二人と同じだよ。でもさ、アヴェラ君には何か考えがあるんだよね。それを聞きたいかなって思う」

「あの二人は――」

 アヴェラは目を細め沖合を見やった。帆船はもう随分と遠くになり、もう少しすれば注意して見ていなければ見逃してしまうだろう。

「――絶対に幸せになれない」

「え?」

 断言された言葉にノエルは戸惑った。もちろんイクシマも、ヤトノでさえ同じだ。揃ってアヴェラを見つめている。


 だがアヴェラは遠くを見たまま、まるで独り言のように続けた。

「あの二人はこれから苦しみ悲惨な目に遭って、失意と憎しみの中で生きる。誰の力によるものでもなく、あの二人自身が原因でな」

「どういうこと? と言うか、どうして言い切れるの?」

「そうなるからさ」

 生活水準を落とすことは容易ではない。

 カルミアは今まで通りの生活を送ろうとするが、しかしその贅沢は貴族という環境にいたからこそだ。確かに幾つもの宝石を持ち出したが、それはいつまでも保たない。

 あのカルミアが我慢出来るはずがない。

 たった三日間を宿で過ごすだけを我慢出来なかったのだ。生活の質を落とすなど到底無理に決まっている。

 そうして生活を改めず浪費するばかりのカルミアと、徐々に目減りしていく財産。それを目の当たりにしたダチュラはどう思うのだろうか。いつまで支え、いつまで尽くし、いつまで我慢し、そしていつまで愛せるのだろうか。

「海の向こうは、簡単には戻って来られないだろ。それにドッカーノ家の権力も及ばない。知り合いもいないし、頼る者も助けてくれる者もいないんだ。そこでたっぷり絶望を味わえばいい」

 そもそも二人は、本来交わるべき立場ではない。

 主従の接点はあっても、身分も違えば育ちも違い、着る物や食べ物だけでなく教養も違い、何より根本的な考え方が違う。

 その違いも、密会という火遊びの中であればスパイスに成り得ただろう。

 しかし、これから二人に待つのは現実の生活だ。二人で力を合わせ生きていかねばならない生活が待っているのである。それに対しカルミアは何の生活能力もなければ、生活するという意識すらない。

「身分違いの生活なんてのは、言うほどに簡単じゃないぞ」

 実際にアヴェラの両親であるトレストとカカリアも、あれだけ仲が良くとも喧嘩した事があるぐらいだ。しかし二人は、その違いを埋めるため互いに歩み寄り協力し合って乗り越えてきた。

 だが、どう考えてもカルミアとダチュラでは無理だ。

「そのうち二人の間ですれ違いが始まって、少しずつ不満が溜まっていく。些細な事で言い争うようになって、それがエスカレートして罵り合う。やがて掴み合いの喧嘩だってするかもしれない」

「それは……そうかも」

「無理矢理引き離したところで、心の中に相手を想う心が残るだけじゃないか。呪って苦しめたところで心までは引き裂けないだろ。みんな大好きな愛って奴だ。それに邪魔がある方が愛は燃え上がってしまうものなんだろ?」

 しかし、そんな事は許せない。

「最期の瞬間に互いを想うなんて事はさせない。あの二人は誰の手でもなく、自分たちで憎み合って貰わないと駄目だ。命を奪って終わりだとか、そんなことはさせない」

「…………」

 海の向こうを見やるアヴェラに、もう誰も何も言えない。

「復讐ってのはな、こういうものだ」

 アヴェラは深く息を吐いて振り向いた。もう沖合の帆船はどれだけ探しても見つからないほど遠くに行っている。


「それよりモサリだよ……」

 モサリは警備隊の皆に見送られながら荼毘に付され、その母と同じ墓に納められた。あの森のような場所の奥にある小さな墓だ。

 しかし、その魂はもうそこにはない。

「もしも生まれ変われたら次こそは幸せになって欲しいものだ」

 モサリに手を下したアヴェラが言うのもおかしなものだが、今回の事は背負って生きていくつもりだ。ただし罪悪感や悔いを持つという意味ではない。ただ忘れず、心の中にモサリの生き方を覚えていこうというものである。

「御兄様、それはわたくしが――」

 急に黙り込んだヤトノだが、その雰囲気がふいに変わった。

 大人びたような、それどころか命を超越したような気配になる。空からの輝くような日射しを跳ね返し姿が際立ち、海から吹く風は黒髪を揺るがす事も出来ず避け、足元の地面は力強く踏みつけられている。

 ヤトノに見える存在は口の端だけを上げて笑った。

「あの者は加護を与えていた太陽の手により運ばれた、縁ありし母なる者のところへと。あの者の次なる生は特別恵まれたものにはならない。生まれた時は笑みに囲まれ、日々は家族や仲間に囲まれ、天寿を全うするときは涙に囲まれる。その生には何の功績もなければ特別な栄光もなく、苦と楽が傍らにあるだろう」

「……それは最高だよ」

 アヴェラが頷くと、ヤトノに見える存在は笑みを優しげに変え――それから目を瞬かせ戸惑った。ぱたぱたと両手を振って調子を確認している。

「むっ、なんだか勝手されたんです。御兄様の担当はわたくしだと言うのに! ちょっと屈んでいただけますか」

「なんでだ」

「御兄様の頭を撫でてあげたいからです!」

「いらない、そういう気分じゃない」

「だーめーでーすー!」

 困った顔のアヴェラとその服を引っ張るヤトノ。じゃれ合うような両者の横で、ノエルとイクシマは腰を抜かし座り込んでいた。ただ幸いな事に、これまでの数ある経験のおかげで乙女の尊厳が決壊することはなかった。


 その後、ドッカーノ家から一方的に婚約破棄の話が来た。

 これにトレストとカカリアが反発。二人は実際のところ知っているがため強気に出て、カルミア不在を上手くつき徹底的にドッカーノ家をやり込めた。

 結果としてアヴェラの婚約話は有耶無耶にされたのであった。

 一方でドッカーノ家に対しては警備隊――第一、第三警備隊が主となった――による有形無形の厳しい対応、一部商人からの取引停止などがされた。

 さらに一般市民の間からもドッカーノ家の悪評がじわじわと広がる。やがてそれは貴族界隈にまで及んで、徐々に交友会や園遊会などの声がかからなくなった。

 そうなると後は坂を下るように衰退するばかり。

 落ち目になった者に良からぬ者が接近するのは、いつの世も変わらない。儲け話を持ちかけ相手が飛びついたところで、金を搾り取る。さらに貧しくなれば別の者が接近し、煽て上げ優しい言葉で信用させ、さらに財産を奪っていく。

 そんな事が繰り返されドッカーノ家はどうにもならない状況に陥った。

 貴族としての役目が果たせなくなり、ついには大公家より咎めだてされ主な権益が取り上げられ、さらには所有領の没収なども行われた。かくしてドッカーノ家は名ばかりの貴族となった。

 十数年の月日が過ぎた頃のこと。酷い有り様の薄汚れた女が一人、うらぶれたドッカーノ家の門をくぐったが、それは誰にも注目もされなかった。

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