第221話 人というものは

「あんたら! 何やってる!」

 第一警備隊主任のクロゴは、扉を開けるなり怒鳴り飛びだした。

 その身体に遮られて裏庭が見えないアヴェラは状況確認のため、素早く辺りに目をはしらせた。周囲は木塀に囲まれ足元は砂地、軽く身体を動かし鍛錬などするための場所だろう。実際、道具置きの小屋もある。

 さらに剣戟訓練用の木杭が何本か立っており――クロゴが駆け寄ったその木杭の一本にモサリが鎖で繋がれていた。怪我をしている。周りに数人の兵士が立っており、その連中から殴られ蹴られたりしたのだろう。

 アヴェラは腰元のヤスツナソードに手をかけ、ゆっくりと足を踏み出した。怒りのあまり頭のてっぺんがチリチリするぐらいだ。しかし、その感情は黙して表には出さない。

「この者は第一警備預かり。勝手な事はしないで貰おうか」

 荒々しいクロゴの言葉から、モサリに暴行を加えたのは警備隊ではないと分かる。考えるまでもなくドッカーノの配下だろう。

「うるさい、こちらは緊急事態だ。非常時であるため口を出すな」

「それはドッカーノ公の権を逸脱している。この者は我々の預かりであり、そして我々は大公閣下より権を与えられての事だ。その権を侵すという事は、大公閣下への反逆と見なされますよ」

「我らにそんな事を言って。後悔するぞ」

「俺は第一警備隊主任のクロゴだ、後悔させたければやってみろ」

「……犬如きが吠えるな」

「お互い様だ」

 相手の男はクロゴに顔を近づけめ付けるが、そのクロゴは一歩も退かない。どっしりと構え微動だにせず、もはや潜ってきた修羅場の数が違うといったところだ。

 先に目を逸らしたのは相手だった。

「まあいい、ドッカーノ様経由で許可を貰うだけのことだ。だが、その時にはお前の処遇もどうなるかは知らんがな。後悔するなよ」

 ドッカーノの配下はさらにモサリに蹴りを入れ、大仰に肩を揺らしながら詰め所へ戻っていく。アヴェラはヤスツナソードから手を放し擦れ違った。


 これまでも、そうやって暴力を逃れてきたのだろう。モサリは身体を丸めて蹲っていた。

「モサリ、大丈夫か?」

「うっ……アヴェラどんかい。いやぁ、やられた。やられたよ」

「待っていなよ。直ぐに回復する」

 言ってアヴェラは常備している回復薬を腰のベルトから取り出した。それを飲ませようとするが、しかし間にクロゴの腕が差し込まれ遮られた。

「それは許可できません。咎人に薬を使用する事は禁止されています」

「でも、この怪我は連中のせいで」

「分かってますよ。分かっていますが、それでも規則は規則です。融通が利かなくて申し訳ないが、薬類の使用には警備隊長の、ここでは警備第一隊長の許可が必要です」

 捕らえた者に毒などが用いられる事を阻止するための措置だ。もちろん実際には、そんな回復薬を用いずとも他に方法は幾らでもあるので有名無実な規則ではある。アヴェラが警備隊関係者で、回復薬だと実証してみせても、規則は規則で許可できないのがクロゴの立場だ。

「……では、少しだけモサリと二人っきりで話させて貰えませんか?」

「規則上、取り調べには第一警備隊の者が立ち会う必要があります」

「そこを何とか――」

「駄目ですね、規則ですので」

「…………」

 黙り込んだアヴェラの横でクロゴは空を見上げて頬を掻いた。

「ただまあ、私は今からドッカーノに苦情と注意をせねばなりません。しばらく席を外しますので、貴方はここで待機してください。それと、この者が怪我をしていたかどうかは知りませんね」

 クロゴは軽くウインクしてみせた。要するに見てないところでやれ、という事だろう。この辺りも流石は第一警備隊の主任といったところだ。


 裏庭の扉が閉まってクロゴが姿を消すと、回復薬をモサリに飲ませた。

 モサリは何度も殴られ蹴られたらしく顔は腫れきって酷いありさまだ。円らだった目の片方は見えてもおらず、大どかな口元は切れて血だらけで歯も折られているようだ。

 回復薬一つでは到底治しきれない。

「モサリ大丈夫か、いや大丈夫そうじゃないのは分かってるけど」

「や、あんがとな。こんぐらい慣れとるんで」

 モサリは口から血を吐き出してから呟いた。それは辛うじて絞り出すような声であった。

「ごめん回復薬をもっと持っていれば良かったんだが」

「いいんだよ、構わねぇよ」

「お嬢さんたちを逃がすためにやったのか?」

「ん、そうだよ」

「なんで、そんな事を。もう関係無くなってるじゃないか……」

 モサリはカルミアの駆け落ち騒動から引き離すためドッカーノ家を去らさせている。たとえダチュラに呼ばれようと、ドッカーノ家と争わねば無関係を貫けたはずだ。

「分かっとるよ。だどもな、お嬢さんはおっ母さんが病気になった時に薬くれたんだ。死んだ時には泣いてくれたし、お墓もたててくれた。森の中の小さな綺麗な場所でな、そこでお祈りもしてくれた」

 その恩の為だけに、モサリは自分がどうなるか分かって囮になったのだ。これを馬鹿と思う者もいようが、こうした行動をとるからこそのモサリだ。

「おらな、もう疲れたよ。もう死んでもいいんだ、放っておいておくれ」

「これから、きっと幸せになる。これから楽しくて良い事ばかり起きる。だから、そんな事を言わないでくれ」

「だけんどそれは、他の人のとは違うんだよ」

「え?」

 思わぬ言葉にアヴェラは目を瞬かせた。

 それに対しモサリはゆっくりと顔をあげる。

「おらは、ハーフオインクだ。おらに普通の人みたいな幸せは――ない」

 その言葉にアヴェラは頭をぶん殴られた気分だ。

 他の人とは違うこと、差別されていること、馬鹿にされていること。あえて目を逸らし誰も口にもしなかった事実を、モサリは的確に見つめ理解し納得すらしていたのだ。

「ああ勘違いせんどくれ。おらハーフオインクに産まれたことは、恨んじゃおらんよ。そうでなきゃ今のおらは無いし、何よりおっかさんに会えんかった」

 モサリは地面に座り込んだ。

 あちこち治りきっていない傷はあるが、それでも割と平気そうだ。しかし、それこそがオインクの血をひいている事実でもある。

「でもな、もういいんだ。おら、もう疲れちまったよ。それにな、アヴェラとか皆とかには迷惑かけらんねぇ」

「諦めなくていい。必ず何とかする」

「何とかって、おら貴族の人に手をあげた。それを無かった事にはできんよ」

 淡々と言うモサリにアヴェラは言葉が返せない。


 それは大罪であり、今もトレストが奔走しているように簡単にどうにかなる事ではない。アヴェラが自分の血筋を使って権力のゴリ押しをしようとしても、やっぱり簡単ではない。

 身分制度のある中で、貴族に一般の者が手をあげた事は重罪だ。それも、大勢が見ている前であれば尚のこと。

「…………」

 極端に言えば、本気でモサリを救うのであれば全てを敵に回さねばならない。剣を手にして戦って力でねじ伏せる覚悟が居る。

 そうなれば貴族はもとより、全警備隊も大公家でさえも苦渋に思いつつもアルストルという街の治世を守る側として行動するだろう。

 そこまでしてモサリを助けられるか。

 両親やニーソやノエルやイクシマの為なら全てを投げ打ってでも行動する覚悟はある。だがモサリの為に、それが出来るかと言えば――言えなかった。

 アヴェラの頭の中では、自分の人生とモサリの命を天秤にかけ選んでいる。モサリを救いたいなどと思いながら、同時に諦め死んでしまった後の事まで想像している。

 そんな自分が堪らなく嫌で情けなく、悔しくて哀しい。

「…………」

 アヴェラは軋むほどに拳を握りしめた。

 その激情を抑える事が出来たのは、モサリが笑ってみせたからだ。腫れ上がった顔の半分しか見えない目を細め、血だらけの口の端を僅かに上げ、それでも確かに笑ってみせたのだ――アヴェラを安心させるためだけに。

「気にせんでおくれ。おら嬉しかった、アヴェラに会えて嬉しかったんだ」

「やめろよ」

「楽しくしてくれてありがと、優しくしてくれてありがと。美味しいものをありがと。それから――」

「言わないでくれ」

「それから、おらを普通の人みたいに扱ってくれて、ありがとな」

 アヴェラは強く歯を噛みしめた。

 特別親切になんてしていなかった。ただ軽く親切にしただけだ。それどころか何も知らないモサリに、いろんな事を教え感心され得意になっていた。正直に言えばモサリを自分より下に見る気持ちは間違いなく存在した。

 だが、モサリはもっといろいろ感じ複雑な事を考えていたのだ。自身の行く末まで考え、そして苦しみや諦めも抱えていたのだ。

 込み上げてくる気持ちは、悔しさと恥ずかしさだった。

「な、アヴェラどんや。おら死ぬのは恐くねえんだ。だもんでな。最後のお願いがあんだよ。それ聞いて貰ってええか?」

 アヴェラは頷くことしか出来なかった、いま口を開ければ叫んでしまうに違いないのだから。

「おらのお願いな、それはな――」

 モサリは精一杯の笑顔で言った。

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