第219話 止まらなかった連鎖

「お前、お嬢様から受けた恩は忘れてないだろな」

 ダチュラの言葉にモサリは慌てて首を横に振る。

「と、とんでもね。おら、お嬢様にして貰った事は忘れてねえよ。食べるもん着るもん頂いたし、おっ母さんの葬式まで出して下すったんだ」

「だったらな、お嬢様の為に働く覚悟はあるな」

「うんむ、あるぞ」

「分かったら手伝え。お嬢様が困っておられるんだ」

 船の出航まで宿で潜伏する手筈で、一日目はカルミアとダチュラで怠惰で甘美な時間をすごした。しかし二日目ともなると、ダチュラはともかくカルミアは、ずっと部屋に籠もっている事が嫌になってしまったのだ。

 元より外出が好きなお嬢様で、それでモサリを拾ったのであるし、さらにダチュラとの出会いもそれが元である。

 だからカルミアは宿から出たのだ。

 もちろん本人は駆け落ちの事は理解しているので変装はしていた。ただ、所詮は浮世離れしたお嬢様の変装。一族の命運を懸け必死に捜索しているドッカーノ家の者にあっさりばれた。

 なんとか逃げて隠れたものの、隠れた場所から動けないためダチュラが一人で動いてモサリを呼びに来たのである。

「お嬢様は恐がっておられる。だから、お嬢様をお助けするのは当然だよな」

「うんむ、当然だ」

「よーしよしよし。お前は本当に馬鹿だけど、こんな時だけは頼りになる」

「うんむ、任せておくれ」

 ダチュラはモサリを連れて人目に付かぬ道を行く。しばらく進んで、身振り手振りでモサリを押しとどめてから大通りを見やった。

「まだ居やがるな……」

 通りにはドッカーノ家の者が立って辺りに目を配っている。近くの民家にカルミアを潜ませているが、このままではいずれ見つかってしまう。

 ダチュラにとってカルミアは、これまで手を出してきたどの女よりも極上だ。貴族ならではの上質な肌に肉付き、優雅で世間知らずなため言いくるめやすい。そして自分の教え込んでやった淫らさが加わって、我が儘な部分も可愛いとさえ思える。

「誰が手放すもんかよ」

 書き置きでダチュラがカルミアと駆け落ちした事はバレている。今頃は親兄弟は捕らえられ処刑されているに違いない。そしてダチュラ本人が捕らえられた場合は、死ぬより酷い目に遭わされるのは間違いなかった。

 それでも手放す気はない、たとえどれだけの犠牲を払おうとも。

「モサリ、よく聞け。あいつらはお嬢様を狙う悪い連中だ、あいつらを追い払うんだ。いいな、その隙に俺はお嬢様をお救いする」

「分かった、任せとけ」

「お前は良い奴だなぁ」

 ダチュラはにんまりと笑った。


 二人が潜伏している宿の者はアヴェラの顔を知らない。宿に寄って話をした従業員は、取り付く島もない態度で相手にもしてくれなかった。客の素性は問わず情報を絶対に漏らさない宿だ。当然と言えば当然だ。

「しまったな、場所だけ聞いて顔を出してなかったのは失敗だった」

「でも、それ仕方ないよ。あんまり動くとバレちゃう危険があったわけだしさ」

「ダチュラが警備隊に来たという事は、カルミアに何かあったという事だ。宿に入れないと確認のしようもない」

「うーん、でもそれならさ。警備隊に来るよりは、ニーソちゃんに会いにいけばいいのに。あっ、そっかニーソちゃんも素性を隠してたんだよね」

 万一カルミアたちが発見され捕らえられた際の被害を最小限にするため、いろいろ隠し事をして動いたことの弊害である。

 お陰で何が起きたのかすら分からない。

「何もなければいいんじゃが。うむ、あの二人がどうなろうと構わんが。モサリに迷惑がかかるんは駄目じゃろって」

 その気持ちは全員が同じだった。

 宿のある区画を通り過ぎると、やや大きな通りに幾つかの店が並んでいる。それぞれが商会とも言えぬ個人経営の小さな店で、服や靴や武器や素材やらを売っている。ただ、あまり賑わっていない。

 通りかかるアヴェラたちを見ても、呼び込みをする声すらないのだ。

「特に手がかりもない」

 腰元のヤスツナソードの柄に手をやりながら、アヴェラはぼやいた。

 その襟元から白蛇が姿を出して小さな欠伸をするが、気付いたのはノエルやイクシマぐらいのものだ。辺りの店の者は、のんびりまったりしている。

「御兄様御兄様、なんでしたらヤトノめが探しましょうか。ちょっと、ちょいさーとすれば直ぐなんです」

「ちょいさーか……」

 アヴェラは渋い顔をした。

 つまりヤトノが力を振るうという事で、そうなるとアヴェラは力の余波による厄を受けて体調を悪くする。それは我慢はできるが慣れはしないものだ。

 しかしモサリが心配だ。

 何が起きているかは分からないが、モサリに面倒が降りかかっているのは間違いない。気のせいではない。

「そうして貰うしかないか」

 アヴェラは呟いた。

「じゃっどん、もうちょっと心当たりを探してからでいいんでないか」

 イクシマの意見ももっともだった。

 代償があるとは言え、あまりに便利な力に頼りすぎるのは良くない。ヤトノの申し出は完全に善意だが、少し困る度に頼っていれば、いずれそれなしでは何も出来なくなる。

「小娘、お黙んなさい。わたくしと御兄様の邪魔をするのは失礼なんです」

「ふんっ、小姑めが。ふふーんっ。教えてやるが、我はこやつから耳をたっぷり触られたんじゃぞ。どうじゃ、凄いじゃろが」

「……はい? どこが凄いのかさっぱりですけど」

「はーっ、分からぬか。やれやれなんじゃって」

「さっぱり分かりませんが、調子に乗っていることだけは分かりますよ」

 両者は睨み合う。しかしアヴェラは前方に目を凝らしていた。


「あれは……カルミアじゃないか?」

 道の向こうから小走りでやってくる二人連れがいた。

 片方はローブ姿で、もう片方は帽子を目深に被っている。だが、その帽子のせいで逆に目立っている状態だ。それであるのに、こそこそするので更に目立っている。

「ここで声をかけるのは不味い」

 アヴェラは前に向かって歩きつつ、周囲に気取られぬよう二人に合図をして小路に入るよう促した。その後で続いて素知らぬ顔をして小路に入る。

「なぜ外に?」

 怒りを抑えつつ言うと、帽子をあげたカルミアは無邪気な顔で答えた。

「だって、ずっと部屋の中では息が詰まってしまいますもの」

「……見つかったらどうするんだ」

「大丈夫ですわ。上手く逃げてきましたら」

「それは見つかったってことか?」

 思わず目を見開くアヴェラだが、カルミアはきょとんとしているし、ダチュラはバツが悪そうに目を逸らしている。怒鳴りつけたい気分だが、それをしても意味はない。むしろ人目をひいて良くない結果になるだけだ。

「本当に大丈夫ですわ。だってモサリが助けてくれましたもの」

「……モサリが?」

「ええ、困っている私を助けに来てくれましたの。ほんっと良い子」

 無邪気な言葉だ。

 しかしダチュラが僅かに視線を逸らしたことにアヴェラは気付いた。そのまま睨み付けると、途端にしどろもどろとなる。

「モサリは?」

「あいつは、まあ……お嬢様を逃がすために頑張った。いや、俺は止めたんだ。無茶なことをするなって」

「何があった?」

「まあ、ほらドッカーノ様の手の者に見つかってな。それでモサリに手伝って貰おうと呼んだわけだが。あいつはお嬢様のピンチに自分から、自分から突っ込んで連中を追い払ってくれたわけだ」

 その言葉は嘘だと分かる。懐でヤトノが細かく動くからだけでなく、それ以前に目付きや口振りが、嘘を吐く者特有の感じがあった。

「それでモサリは?」

「いや、よく分からない。お嬢様を連れて逃げるので精一杯だったんだ」

「……とにかく。まずは二人とも宿に隠れよう」

 出来るだけ怒りは抑えるが、どうしても口調は強くなる。だからカルミアもダチュラも大人しく従う。まずは目立つ帽子を片付ける。ダチュラのローブをカルミアに着せ、ダチュラには大きめのタオルを頭に巻かせておく。

 あとは目立たぬよう小路を行って宿まで送り届け放り込んだ。今度こそ絶対に外出しないようにと、半ば脅すように言いつける。

「モサリが心配なんじゃって」

「ドッカーノの連中と揉めて暴れたなら警備隊に連絡がいっている。うちの警備隊に行けば状況が分かるはず。行くぞ」

 アヴェラは言って走りだす。ノエルやイクシマも続き、大通りを凄い勢いで駆け抜けていった。

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