第218話 動きだせば止まらない
カルミアとダチュラを潜伏させて、当然だがドッカーノ家では大騒ぎになっていた。もちろん表沙汰に出来る話ではないので内々での騒ぎで収めている。ただ、通りすがりの者が訝しむぐらいに邸内はざわついていた。
「そんな感じで慌ててたかな。けっこう人が出て動いてた感じだよ、うん」
偵察に行ってきたノエルはそう報告した。
本当はアヴェラが見に行きたかったのだが、顔を見られるわけにもいかないので代わりに行ってきて貰ったのだ。もちろんノエルも当事者で駆け落ちは絶対に成功させたいのでやる気たっぷりだ。
「そうなん? 我も見ておきたかったんじゃって」
「うーん……でもほら、イクシマちゃんだと目立っちゃうから」
「うむ、我の髪色では目立ってしまうものな。じゃっどん、我も偵察はよくやっておった。疲れたのなら任せてくれてもよいのじゃぞ」
「ありがと」
礼を言われたイクシマは、ちょっと嬉しそうだ。
しかしイクシマを偵察に行かせなかったのは金髪が目立つとか、そもそもエルフだから目立つとか、そういった次元の問題ではない。戦闘系突撃エルフに高度な偵察というお仕事を任せようという度胸はアヴェラになかったからだ。
物事には向き不向きがあるという事である。
アヴェラは勘の鈍いエルフの頭に手を置いて身を乗り出した。
「お疲れ。捜索に出た数は多いか?」
「うん、御家の騎士さんとか従士さんとかも。それから分家かな? そういった人も出てる感じだったよ。あと、みんな凄く必死そうな顔してた」
「そりゃまあ大醜聞だからな」
「あはは……確かにそうだね。改めて考えると大変なことしてるよね」
御令嬢が駆け落ち、それも庭師の男と駆け落ちなど大事だ。当人たちは愛の逃避行に陶酔だろうし、無関係の者からすれば面白い話である。しかし一族からすれば家の浮き沈みにすら関係しかねない。
身分制度のある世界で、そんな身分違いなど許されるはずもない。
それがゴリ押しできるだけの権力があれば別だが、なければ貴族間で笑いものになるだけでなく家の格そのものが落ちる。そして本家のみならず分家や一族全体の婚姻にも差し障るなど影響は大だ。
「アルストル家ぐらいならまだしも、子爵家ではどうにもならないよな」
「やっぱりそうなんだ。ちょっと可哀想な気がしてきたかも、うん」
「子育てって大事ってことだよな」
「うんっ、でも大丈夫。私、気を付けるから」
ノエルは両手を握って宣言している。その素直さと気配りを見れば、気を付けるまでもなく子育ては大丈夫に違いない。一番心配なイクシマは、頭に置かれた手を退けようとジタバタしていた。
アヴェラたちが集まっているのは、いつもの通りにコンラッド商会の専用部屋だ。最近は私物も増えているし内装に手を入れている。さらに観葉植物を置くなどしているため、随分と生活感が出ていた。
「戻りました」
ニーソが入って来るが片手で大きな籠を抱えている。動きにくそうな様子にイクシマが直ぐ反応して手伝いに行くのだが、籠にある食べ物が目的だったかもしれない。
「おお、これはオヤツじゃな。オヤツじゃろ」
「パン生地に豆の砂糖煮を入れたお菓子なの。前にアヴェラが言ってて、それをお菓子職人さんに伝えて試して貰って、ようやく形になったの」
「ふむ! つまり試食せよという事じゃな」
「そういうことなの。でも、ちょっと待ってね。折角だから飲み物も用意するの」
「ええーっ、我は早く食べたいぞ」
不満そうに言うイクシマだが、実際には大人しく席に着きテーブルに置かれたお菓子の籠を、わくわくそわそわ待っている。
「まさしくペットだな」
アヴェラが言うと、ジロッと睨まれる。
「なんぞ言うたか」
「別になんでもない。食べ物を前にして、待てが出来るようになったイクシマは偉いなぁと思った程度のことで」
「やかましい」
「それより、そのパンは美味しいぞ」
「ほんとか!?」
たちまちイクシマは目を輝かせ、椅子に座りながら背筋を伸ばした程だ。
「コレジャナイエルフの里でロテボネとか詐称される小豆を煮たものが入っている。もちろんコレジャナイエルフの原始的な煮方と違って、ちゃんと砂糖を使って上品に仕上げて貰ってるぞ」
「なんぞ悪意を感じるんじゃが」
「悪意? 悪意などないが、時に真実は人を傷つけるときもある。仕方ないな」
「こやつ……」
イクシマは不満そうに頬を膨らませるものの、それもニーソとノエルが緑茶を運んでくるまでだ。
全員揃ってパンを――アンパンを食べる。
「我、これ好き!」
「よい仕上がりだ。天辺にケシ粒が欲しいところだが、いや桜の塩漬けなら行けるか。ちょうどエルフの里に桜があるわけだし」
「ふぉおおっ、もう一つ貰うんじゃって」
「この調子でジャムとかクリームとか、いれるのもお願いしたいな」
「もう一つ頂きじゃぁ」
「ちょっとは遠慮しろ、この大食いエルフが」
むんずとアンパンを掴む手を掴んで止めた。だが食べ物に目が眩んでいるイクシマはその程度では怯みもしない。むしろ所有権を主張し威嚇するぐらいだ。
「野生のエルフめ、諦めろ。それはモサリにやる分だ」
「むっ、そうなんか。そういう事は早く言えよー」
「それぐらいは気遣え」
アンパンは少しばかり潰れたが、エルフの魔手から守られた。
警備隊の詰め所に向かって歩いていく。
日射しは程よく暖かで、見上げた空を鳥の群れが賑やかしく過っていく。通りの脇にある住宅の庭木はのびのびとして、飾られた植木で花が咲き誇る。道行く者の足取りはゆったりとして、通り過ぎる馬車も心持ちのんびりだ。
「早く行こうではないか」
「もう、イクシマちゃん。そんなに焦らなくったって」
「じゃっどん、早うモサリに食べさせてやりたいんじゃ。あ奴、きっと凄く喜ぶに違いないじゃろって」
「そうだよね」
ノエルとイクシマは楽しく言葉を交わしお互いに笑い合っている。もちろんアヴェラも気持ちは同じだ。
詰め所に行くと、入り口で立ち番をしている隊員が直ぐに気付いた。
「坊ちゃん、ようこそ」
「モサリは居る?」
「は、モサリですか。モサリは外出しております。呼び出しに来た者がおりました」
「呼びに来た? 誰が?」
「いえ名を確認する前にモサリが気付いて出てきまして、随分と親しい様子でした」
その言葉にアヴェラは訝しんだ。
今までに聞いた話では、モサリと親しい者は殆どいない。ハーフオインクという生まれのため人付き合いを避けて生きて来た筈だ。仲が良いとは言えないが親しい者と言って思い当たるのは――。
アヴェラは心当たりの人相を述べた。
この世界は写真もないし、人物画にしても裕福な者が描いて貰える程度。だが、それだけに言葉による説明で相手を想像し推察する能力は高い。警備隊の者であれば特にそうだ。
実際、アヴェラの説明で隊員は力強く頷いた。
「ええ、そいつです」
「…………」
「何か問題でもあります?」
「いや、そうじゃない。問題はないと思う」
そう言いながらアヴェラは不安が高まっていく。なぜならモサリを呼び出しに来た相手はダチュラだったからだ。
宿に隠れているはずの者が、どうしてここに来たのか。
しかもモサリがここに居る事は教えていなかったのだから、わざわざ探してまで来たという事だ。
「ありがとう。行き先は想像がつくから、そっちに行ってみるよ」
アヴェラは言って歩きだした。
早いところ移動せねば皆に囲まれ歓迎されてしまうし、何よりトレストが大喜びで出て来かねない。普段ならそれも構わないが、今は早くモサリと合流したかった。
「どういう事なんだろね、なんだか嫌な予感がするよね。と言うか、どうしてモサリ君を呼びに来たんだろ。宿で大人しくしてなきゃダメなのに」
「分からない。分からないが相手が相手だけに、面倒事の予感がする」
「私が言うのもなんだけどさ、こういう時に悪い事は考えない方がいいよ。良い風になるって信じてた方が、きっとそうなるからさ。うん、でも普通の人はだけど」
不運の加護持ちのノエルが言うと、いろいろ説得力がある。
アヴェラは助言に従い良い風に考えようとしたが、それでも胸を過ぎる悪い考えは止みそうになかった。
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