第217話 備えあれば憂いなし

「いよいよなのですね」

 カルミアが両手を合わせ感慨深い声を出した。

 ついに二人が駆け落ちを決行する日が来たのである。船便などの手配はニーソが行い、調整などはアヴェラとノエルとイクシマが奔走。ちょこちょこと警備隊の面々にも手伝って貰ってようやくだ。

 とんでもなく面倒なので二度とやりたくない、と二度と会わないであろう相手を見ながらアヴェラは思った。

「それでは、こちらに着替えを」

 最後の仕上げで着替えて貰わねばならない。流石に見るからに貴族といった服で動かれては露見や発見の可能性が高まってしまう。

「えぇっ、こんな服なんて嫌です」

 差し出したのは庶民の中でも裕福な者が着る糸紡虫の吐く糸を織ったものだが、手に取るなりカルミアは文句を言った。

「こんな生地では肌を痛めますし、それに色だって美しくありません」

「……ちょっとの我慢ですよ、こういうのも偶には良いではありませんか。しかも今なら何とダチュラとお揃い。お揃いですよ。なんと同じものを着れば二人の愛が更に! 更に高まるという特典付き。さらに! これだけではない! 何とお揃いのローブまで付けてしまいます。これはもう着るしかない」

「まあ、そうね。素敵ね」

「今からしばらくの間、オペレーターを増やし……ではなく、見張りを増やして対応しています。お見逃しなく!」

 まるで不要なものを買わせる通販司会者のようなアヴェラの言葉にカルミアとダチュラはいそいそと着替えに行く。残ったノエルとイクシマは呆れたような顔をするばかりだ。

「ほんとね、アヴェラ君って時々何て言うか変なこと言うって思うの。しかもね、聞いているとそんな気にさせられる感じがあるんだよね」

「我が思うに、こやつは詐欺師の才能がある。間違いないんじゃ」

「うーんっ、それ否定できないと思う。あ、でももう少し良い表現がいいよね」

「ならば嘘吐き、ペテン師、いかさま師――みぎゃあぁっ!」

 失礼なエルフの耳をアヴェラは摘まんだ。さらにコネコネクニクニサスサスフニフニペシペシムニムニクリクリペチペチしていく。弱点の耳を散々に弄られたイクシマは腰砕けになってへたり込んでいった。

「あー、いやー。それぐらいにしてあげた方がいいんじゃないかな、うん。イクシマちゃんって耳が弱いから」

「いずれノエルの弱点も見つけよう」

「えっ、えぇ……」

 アヴェラの宣言にノエルは顔を真っ赤にしつつ、惚けた顔でへたり込むイクシマを見やり何を想像したのか、ぎこちない笑顔をみせた。

「えっと、その。お手柔らか、に……」


 そしてカルミアの駆け落ちが始まる。

 駆け落ちに当たって書き置きを残させてきた。内容も確認し添削までしてあるので誘拐に間違われる事はないし、もちろんアヴェラたちの関与が疑われる事もない。

 二人を連れて指定の場所まで行けば、あとはニーソの手配で事は動く。

 ドッカーノ家の敷地の端に行き、破損した塀の部分から裏通りに出る。そのまま不自然でない程度に人の少ない通りを選んで歩きだす。

 アヴェラたちが前に並んで後ろにカルミアとダチュラが続く。

 二人はフードを目深にかぶり、さらに腰元には剣を帯びている。街中で見かける冒険者と同じ格好だ。手を繋いでいる姿は少々不自然だが、それも許容範囲だろう。

「こうすれば、どこにでも居る初心冒険者だな」

「初心者にしては装備が整い気味かな? 私なんて装備も苦労したから、うん」

「確かに。最初に会った時なんて服すらなかったよな」

「それを言わないで……あれは私の人生最大の恥ずかしい格好なんだから。でもあれがあったからアヴェラ君に会えたわけだし。うん、ここは恥ずかしいだなんて思ったら駄目だよね」

「安心していいさ。川に流されて真っ裸になったエルフもいるから」

 アヴェラの言葉にイクシマがまなじりを吊り上げる。

「そ、れ、は! お主が脱がせたんじゃろがぁ!!」

「据え膳ぐらい掻っ食らえとか言ったエルフもいたなぁ」

「ふぎゃーっ!」

 イクシマは両手で顔を隠して悶絶する。だが、話を聞いたノエルは目を瞬かせ身を乗り出し、聞きたいという気持ちを強く表した。

「え、なにそれ。私、聞いてない。何があったの」

「やめよ聞くでない。そういうのは我とこやつだけの間の話なんじゃって。ノエルよお主だってあるじゃろ、他の人に話したくない二人だけの会話というものが」

「うーん……あるけど聞きたいかなーって」

「やーめーよーっ」

 二人してじゃれ合うようにして歩いているが、その間にもアヴェラは辺りを見やって警戒中。カルミアの駆け落ちは露見していないものの、何が起きるか分からないのが世の中だ。


 そして、やっぱり予想外の事が起きた。

 商人街の路地裏で合流したニーソは申し訳なさそうな顔をしている。

「ごめんなさい、船便の出港が三日ぐらい遅れるという話なの」

 この世界では定期便と言っても、確実に決まった日時に出るわけではない。それは大雑把な予定だ。数日程度は平気で変わる。

「仕方ないさ。分刻みで動かないとクレームがつく世の中じゃないんだし。ちなみに遅れた理由は? 船に問題でもあったのか?」

「ううん、船長さんが夫婦喧嘩して奥さんの機嫌をとるのに三日いるそうなの」

「……急に文句を言いたくなってきた。まあ、いいけど」

 一応はヒソヒソと話している。

 向こうでボケッと突っ立っているカルミアとダチュラに、あんまり詳細は聞かせない。もちろんニーソとも直接会わせないようにもしている。

 万が一にも二人が捕まった際にニーソの関与がバレないようにするためだ。

「まだ想定の範囲だな」

「うん、ちゃんと宿も確保してあるから大丈夫なの」

「よしよし」

「えへへ」

 アヴェラに頭を撫でられたニーソは下を向いて嬉しそうだが、しかし顔を上げた時にはキリッとした顔をしている。もしこれがイクシマなら、フニャッとしているところだろう。

「宿は冒険者用だけど高級なところで、お客さんの素性は問わないし情報も絶対に漏らさないところなの」

「ニーソが選んだなら間違いないな」

「もうっ、すぐそういう事を言うんだから」

 ちょっと照れたニーソが嬉しそうに笑って、しかしポカポカ叩いてくる。もしこれがイクシマなら、ジタバタ暴れているところだろう。

 宿の場所だけ聞いてニーソを帰し、カルミアたちの元に行く。

「船便は三日後になったそうです」

「まあ大変」

「ええ、どうやら船長が重大案件で交渉を行う必要が生じたとかで。でも安心して下さい。良い宿を用意してありますので、そこで船旅前の時を二人っきりでお過ごし頂ければ」

「まあ、そんな……」

 カルミアは恥じらうような素振りをみせるが今更だ。これまで何度、二人の密会場に入って行く姿を確認したことか。どっちがより積極的だったかも分かっている。


 二人を宿に送り込むと、外に出ては駄目だと繰り返し念押しをした。

「何か不安だな……」

「あやつら、なんなん。ほんと、なんなん? 自分の立場とか状況とか、あと他にもいろいろ。なーんも分かっとらん。おかしいじゃろって」

「そうなんだよな。あれはもう世間知らずという具合じゃないな」

「全くじゃって。宿に入ってケチ付けて、しかもじゃぞ。仮にそう思ったとしてもじゃ。我らや宿の者がおる前で言うことなかろうに!」

「我慢我慢」

「分かっとる、じゃっどん腹が立つ。お主はそうではないのか?」

「アレと結婚させられる未来を回避できた、そう思えば我慢出来る」

「むっ……それは確かに」

 三人並んで歩いてエイフス家がある区画まで来たとき、太陽は随分と下に落ちていた。斜めの赤らんだ日射しに照らされ、随分と伸びた影を背後に伴いながら、僅かに上り勾配になった石畳みを進んでいった。

 そしてエイフス家が見えてきたとき、そこに人の姿があるのを見た。逆光で見づらいが、向こうが気付いて走ってくる。動きだけで分かる相手だ。

「坊ちゃん」

 思った通りにウェージであった。

「ドッカーノのとこで動きがありましたぜ。あのクソ……お嬢様の事が判明したみたいです」

 今回の件の全容は警備隊でも限られた人数にしか教えていない。もちろん情報を漏らすような者は居ないだろうが、何かあった際に巻き込まないようにと言う配慮だ。その限られた者の一人がウェージである。相棒のビーグスの方は今も偵察中に違いない。

「で、坊ちゃんの方はどんな具合で?」

「船の出航が三日遅れるとかで、宿に待機させてる」

「ははぁ、そうなると俺らの方でも、ちっとは攪乱しときますかね」

「やりすぎないように、って言う必要もないか。みんな妙に手慣れているし」

「んふっふふ。坊ちゃんも初めての割りに、妙に手慣れてますがね。こりゃトレストの旦那の薫陶ってやつですか」

 妙に嬉しそうだ。

 報告だけするとウェージはアヴェラに対しては軽く手を挙げ、そしてノエルとイクシマに対しては恭しく頭を下げ歩きだした。頼れる兄貴としての対応と言う事だ。

「連中が動きだしたんか、我らはどうすんじゃ?」

「別に。何も知らないし何も関係ないことだから、変に動く必要はないさ。いや、婚約者との結婚に向け浮かれている様子でもみせておいた方がいいかな」

「何て奴じゃ。本当に何と言うか詐欺師とかに向いとるんじゃって」

「でも浮かれてるのは事実かな。ほら可愛い皆さんとの、これからあるわけだし」

「そーいうとこじゃろがい!」

 声をあげるイクシマと、その隣のノエルの顔は落日の光に染まっている。けれども日を背にしたアヴェラの顔はむしろ影になって、よくは見えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る