第216話 己を思うか他を思うか

 貴族の敷地は広々として、しかも美しい。花が咲き誇る庭園や整った木立に緑なす広場と、それらが織りなす格調高い景色が広がっている。

 もちろん手入れをする者がいるからこそ成り立つものなのだが、そうした管理人や管理人が暮らす小屋や資材置き場は美しくないため、人の目に触れぬ場所に目立たぬように設置される。美しい者たちはそこに近づかず――だからこそ、こっそり自由に使うことは容易なのだろう。

「今日も今日とて、盛りのついた犬の如しだな……」

 アヴェラは地面に胡座をかき、自分の膝で頬杖をつきつつ呆れ顔だ。

 駆け落ちのための話し合いをするには人目に触れぬ場所にせねばならず、するとカルミアとダチュラの逢瀬の後とならざるを得ない。どれだけ馬鹿らしかろうと、二人の真実の愛とやらに水を差さないためには仕方がない事だった。

「そう思わないか?」

「「…………」」

 問いかけるものの、ノエルもイクシマも無言のままだ。

 無視とかそういうものではない。目の前の小屋で行われているであろう行為をいつになく意識し、さらに目の前に居るアヴェラを意識しているため、何も言えないのであった。

 しかしアヴェラも方向性は違えど意識していた。

 気付けば二人を――そのどことは言わぬが――ちらちら見てしまうのだから。

「やれやれだな。おっと、出て来た」

 しかしダチュラだけだ。

「カルミアお嬢様は?」

「いま少し余韻……いや、お疲れのご様子なのでお休みされている」

「なるほど。お疲れね」

 言ってアヴェラはダチュラを風下に座らせた。

 小屋の中にある水で体を清めたとは言えど、ちゃんとした湯浴みをしたわけでもない。それなりの臭いがする。そして、それをノエルやイクシマには嗅がせたくはないからだ。

「ああもう、モサリの馬鹿がいなくなったせいで面倒が増えちまった」

 ダチュラは不平を口にしている。

「最近は荷運びとかやらされるし本当に困る。あいつ馬鹿だけど力だけはあったし、言えば何でもやるから便利だったのに」

「モサリなら警備隊でしこたま扱き使われて泣きそうな目に遭っているよ」

「そりゃいい、ざまあみろだな」

「毎日泣いてるぐらいさ」

 嘘である。

 モサリは警備隊の皆から気に入られていた。

 巡視の度に美味い店を教えて貰いご馳走され、いつも可愛がられて笑顔が絶えず嬉しそうに笑っている。間違いなくドッカーノ家に居たときよりも幸せだろう。

 しかし、それをダチュラに教えてやる必要はない。

 むしろ教えれば、やっかみから面倒な事になるだけである。だから嘘を吐いたのだが、これには嘘の嫌いなヤトノも我慢してくれている。

「で、駆け落ちの準備はどう?」

「もちろん、お嬢様がこっそり宝石を用意されている。それから高そうなアクセサリーも持ち出せるよう、日頃から身に付けるようにしているし……なあ、本当に駆け落ちしなきゃ駄目か?」

「今更なにを」

「いや、だって海の向こうの遠い国に行くのだろ」

 ダチュラはぶつくさ言っている。

「今のままでも良いんでないかい。つまり、お嬢様があんたさんと結婚だけする。それで俺がそれについていって今まで通り。そうすりゃ駆け落ちなんて面倒な事をする必要ないじゃないか」

「…………」

 稀に見る馬鹿と思ったが、しかし生まれ変わる前の世界を思い返すと案外と稀ではないかもしれないとも思えた。

 あっちの世界にだって、そういった人間はいっぱい居た。

 自己満足のためだけに人を誹謗中傷する者。

 自己主張ばかりして周りに迷惑をかける者。

 自己完結した狭い視野と思考で暴走する者。

 自己顕示のために正義を騙り他人を襲う者。

 自己中心な思い込みで大勢の命を奪った者。

 どの世界にも突き抜けた馬鹿が一定数存在して、周りに迷惑をかけながら生きていた。偶に遭遇してしまって困らされるものに、ここで運悪く出会ったという事だ。

「その場合は――」

 アヴェラはスケサダダガーを半分ほど抜き放ち、その刃を見せつける。

「――お前を斬らねばならないんだが」

 とたんにダチュラは悲鳴のような音をたて息を吸った。

「じょ、冗談だよ。本気にすんなよ」

「こっちも冗談さ」

 駆け落ちさせるための打合せだが、その半分は二人を監視するためだ。ダチュラもカルミアも、自分たちの置かれた状況というものを全く理解していないのである。実に愚かしい。

「お嬢様と上手く駆け落ちして、幸せな暮らしをすればいい。それで、みんなで幸せになろうよ」

 アヴェラは笑った。

 たぶん胡散臭くは見えなかったはずだ。

 それから少しして出て来たカルミアの様子を確認し、駆け落ちに対する情熱が冷めてないことを確認。バレないようにするための注意を再度しておいた。


「やれやれ、ああいう真性の馬鹿を操るのも楽じゃない」

 言葉だけなら悪役そのものな事を言いつつ、アヴェラはぷらぷら歩く。

 貴族の暮らす区画のため歩きやすい。石畳みはしっかりと整備され、隙間から草の一本も生えていない。道の脇にある街路樹も、しっかり剪定がされていた。

 ヤトノは石畳みの色違いを選び、ひょいひょいと跳んでいく。

 偶に距離があるとアヴェラの手に掴まり、大きく跳んだりして楽しそうだ。アヴェラがニーソを含めた三人にプロポーズ――と言う名のなにか――をしてから、ご機嫌だった。

 傍らにはノエルとイクシマも並び、ゆったり皆で歩いている。

「お主ってのは、口がまわると言うんか……油断も隙もないと言うか。ほんっと心配じゃって。うむ、これは我が見張っておかねばいかん」

「末永くか」

「そういうとこじゃ!」

 照れているのか拗ねているのかイクシマは、じと目エルフになって唸っている。

 そんなやり取りに笑っていたノエルが前を指さし声をあげた。

「あ、モサリ君だ」

 手を挙げ左右に大きく振っている。

 向こうではモサリが手を振り、どすどすと走ってくる。巨躯とも言える大柄なのでなかなかの迫力だが、にこにこした笑顔なので恐くはない。

 しかし、その肩には大きな麻袋が二つも担がれていた。

「や、アヴェラどん。こんにちはだな。会えて嬉しいんだな」

「こっちもだよ。しかし、凄い力だな」

「んーっ、おらは生まれつきそういう感じなんで」

 モサリは口ごもった。

 それがオインクの血を引いている事を言いたくないのだろう。既にアヴェラは知っているが、しかし知らない振りをした。誰だって知られたくない事はあるし、それを自然に受け入れるのが友というものだ。

「おいおい置いて行くのは酷いぜ」

「やっ、申し訳ない……」

 追いかけて来たウェージや警備隊員たちに、モサリは身を縮め謝った。まるで今にも恐ろしい目に遭うような様子で怯えている。もちろん皆がそんな扱いをするはずがない。

 つまりドッカーノ家でのモサリの扱いが、そういったものだったという事だ。

 ウェージと目を合わせれば肯きが返ってくる。

「ま、そういう感じだったみたいですぜ」

「そうですか」

「大丈夫ってもんです、こういうのはね幸せで上書きするんですよ。俺もビーグスもね、トレストの旦那とカカリアの姐さんにそうして貰った。今度は俺らの番って思っとりますんで」

 からからとウェージは笑った。

「だからってモサリに荷物を持たせすぎでしょうに」

「あー、まあ本人が持ちたいって言うんで……」

「そういうのは駄目ですね。罰として、ここからモサリを借りていきますよ」

「うぇーっ。それは……」

「それからウェージさんは聖堂に行って、フィリアさんに癒やして貰うこと」

 少し前からフィリアはウェージに熱を上げているが、当の本人は鈍感すぎるが故の措置だ。もちろん他の隊員たちも大きく肯き、癒しが必要になるようウェージにたっぷりと荷物を押し付けていた。


 戸惑い落ち着かなげなモサリを連れ、アヴェラたちは大通りを行く。その辺りは繁華街にほど近い場所で、いくつか美味しい店がある。

「どの店がいいかな……」

「ケイレブ教官に教えて貰った場所でどうかな。量も多くて美味しいところ」

「確かに。そこにしよう。教官も骨董品以外なら頼りになるよな」

 裏通りの場末の酒場みたいな食堂で、名物女将なご高齢女性がやっている。安くて美味く、客は一癖も二癖もあるが良い客層。あのフィリアも常連で、給仕の女性と仲が良いぐらいだ。

 問題はアヴェラが女将に気に入られ、妙に構われるという事だった。だが、大盤振る舞いしてくれるのでモサリを連れていくには最適だろう。

 そして予想通り、たっぷりの料理がでた。

「どう? ここ良い店だろう」

「やー、美味いなすなぁ。こんなご馳走食べたのは初めてだ」

 言いながら酒蒸し肉を食べようとするモサリの手をアヴェラは止めた。

「ちょっと待った、待った。それはね、こうやって横にある葉っぱを上にのせて……ここから一気にパクッとやる」

「パクッとかぁ」

「…………」

 既にパクッとしたアヴェラが身振り手振りで促すと、モサリも同じようにして口に運び、目を大きく見開き蕩けるような顔をして飲み込んだ。

「やっ、やや。これは美味いなすなぁ! おらぁ幸せだ、おらぁ幸せだなぁ」

「うんうん、それなら次はこっちの美味しい食べ方をいこう」

「頼んます!」

 モサリは満面の笑みを浮かべ、心から美味しそうに食べる。

 だからアヴェラも楽しくなって常になくはしゃぎ気味。そんな様子をヤトノとノエルは嬉しそうに笑って見ているし、あのイクシマでさえ邪魔せぬように控えて笑顔でいる。

 さらに周りの客は微笑ましそうに見守り、女将はにやにや笑って次の料理に取りかかっていた。きっと、たっぷりと用意してくれるのだろう。

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