第215話 らしいと言えばらしい

 アヴェラはテーブルに向かって軽く思案顔だ。

 商会の専用部屋で考えているのは、カルミアとダチュラを駆け落ちさせる事だ。単純に送り出せば良いというものではない。

 まず、送り出して簡単に戻って来られても困る。

 そして、簡単に戻れぬ場所にしても二人に不審がられてはいけない。

 さらには、ドッカーノ家にバレずバレても手出しできない場所が望ましい。

 その全てを、少しでも早くやらねばならないのだが――そうそう都合のよい場所など思いつかない。

「エルフの里もいいな、山奥で不便で行き来が難しい。しかも獰猛なエルフが彷徨いているからな」

 床に胡座をかき戦鎚を磨くイクシマが獰猛な顔をして睨んでいる。

「でも定期便があるんだよな。言っておけば飛空挺には乗せないだろうが……食い意地の張ったエルフが、食べ物につられて乗せてしまう可能性は否定できない」

 イクシマは何かを言おうとしたがノエルに宥められ、さらに差し出された大福につられて大人しくなった。

「はい」

「ん」

 ニーソが飲み物を差し出し、アヴェラは半分上の空で受け取って口にする。阿吽の呼吸と言うべきか、言葉は不要といった雰囲気だ。

「ん? これは……」

 口の中に広がる味は僅かな渋みと苦みがあり、しかし旨味と甘味を感じる。だが食べ物のそれと違って、口の中に残るものは植物の葉がもつ青々しい爽やかさで、後口はすっきりとしている。

「気に入った? これ新しく入荷した飲み物なの。どうかな」

「出涸らしを見せてくれるか? つまり、この煎れた後のものを」

「はい、どうぞなの」

 差し出されるポットを見て香りを確認し、ひと言断ってから茶葉を少し摘まんで口に含んでみる。渋みが強いが、しかし懐かしい味だだった。

「お茶だ……」

「うん、これは新しいお茶なのよ」

「そうじゃなくて、お茶というお茶だよ」

 アヴェラの前世では、お茶と呼ばれるぐらい当たり前に浸透していた飲み物。つまり緑茶というものである。

「これだと番茶に近いが、良い味だな――」

 言ってアヴェラはニーソの期待に満ちた目に気付いた。

 もちろん満足されるまで聞き出されるのだが、最近のニーソは聞き出し方も上手くなっている。うろ覚えな知識から、玉露や煎茶や番茶といった違いや抹茶、さらには発酵によって別物に変わる事までを聞き出された。

「とにかく、そんな感じだから試行錯誤してくれ。と言うかな、エルフの里に持っていけば婆様が大喜びするぞ」

「そうなの?」

「間違いなくな。さっき言った茶の種類なんかも詳しいだろうし、茶を飲むための作法とかも詳しく教えてくれるだろうさ」

 アヴェラは何気なく言った事が発端で、エルフに茶が届き大騒ぎとなり、それがアルストルに逆輸入されて世界に広まろうとは誰が思っただろうか。

 やがて茶の湯の作法として表エルフ、裏エルフ、武者エルフといった流派も誕生。エルフ好みと呼ばれる茶道具の中より名物と呼ばれ、一国に匹敵するような価値をもつ茶道具も誕生するのだが――それはまた別の話だ。


 改めて煎れて貰った茶を飲み、アヴェラは満足げな息を吐いた。

「落ち着く……」

「気に入ったなら、また仕入れておくね。ちょっと遠いから少し時間がかかるけど、転送魔法陣も通じていないとこなの。ごめんね」

「どこなんだ?」

「うん、海の向こうの大陸なの。海路ならそれなりに安全なんだけど、空路だと風が厳しくて飛行モンスターが多いから難しいらしいのよ」

「ほほう」

 アヴェラはその話に身を乗り出した。

「船便の頻度はどれぐらいなんだ?」

「季節にもよるけど、半年に一回ぐらいなの。船団でまとまって行くから、行って戻って上陸しての休憩もあるからそれぐらいかな」

「船での移動なら安全なんだな、あと簡単に乗れるのか?」

「うん、絶対とは言えないけど安全な方かな。乗るのは、紹介があれば簡単だけど……まさかアヴェラ、行く気なの?」

 ニーソは心から不安そうな顔だ。

 もちろんアヴェラに行く気はない。

 簡単には行き来できず、別の大陸である。しかも船旅と言えば――実際は大変なのだが――世間知らずな者であればロマンス溢れていると大喜びされるに違いない。

「簡単には帰れないから、アヴェラが行くなら私も行くの。次の船便は十日後ぐらいに出るから、急いで商会の中で調整しないと」

 そんな検討に入りかけたニーソを押しとどめる。

「違うさ。行かせるのに良いのがいるだろ」

「……ああ、そうね! そうよね! 直ぐ手配するの、もちろん極秘で」

 理解すれば後は早い。商人には商人の繋がりがあって、そこに貴族が介入できない部分もある。ニーソがやると言えば、上手くやり遂げるに違いない。

「よし」

 懸案事項の解決目処がたったアヴェラは気分よく、お茶を口にした。そして、それに伴い次に意識が向く。

「そうなると、これからの事について言っておきたい」

 アヴェラの言葉で室内に微妙な緊張感が漂った。しかもヤトノも白蛇から少女へと姿を変え、わくわくしながら待機している。


「とりあえず、と言っては言い方が悪いがノエルから皆の気持ちは聞いた」

 言いながらアヴェラは緊張してきた。

 自分の想いを告げるつもりだが、これまでのどんなモンスターを前にした時よりも緊張している。そして恐くもある。

「それでだ二人と一匹の気持ちで――」

 緊張に耐えきれず、言葉がでなくなりそうで、ついつい変な言い方をするのは良くない癖だろう。

「ちょっと待ていっ! その一匹ってのは何じゃ。我に対して失礼じゃろが」

「誰とも言っていないが、自ら名乗り出るとはな」

「……うがあああっ!!」

 イクシマ一匹が叫びをあげた。

 しかし、おかげでアヴェラの緊張は少し和らいだ。そのまま言葉が続けられる。今度こそと一気に言う。

「それで将来に対する三方合意に基づく提案を貰って、当方としては受入態勢を考えている次第であり、その方向に沿った関係性を構築し心地よい暮らしを提供しつつ共に歩もうという意志がある」

 アヴェラは顔を赤くし、そっぽを向いた。

 これでも精一杯真面目なプロポーズだった。しかしノエルとイクシマは目を瞬かせている。理解が追いついていないらしい。

 そしてヤトノは膝からくずおれ、さめざめと泣いてしまった。

「嬉しい、ありがとうなの。それなら受け入れは具体的にいつからなの」

 しかしニーソは流石であった。

 その対応力にはヤトノが感激しているぐらいだ。

「本案件が片付き、身の回りの整理がついた頃合と考えている」

「住む所はどうしよう」

「現状の住居は両親が使用する。そちらとの調整がつくまでは、どこか別の場所で一緒に暮らしたくはある」

「それなら、ここでいいよ。そのつもりで、ここ用意したって聞いているの」

「…………」

 改めてこの専用部屋について考えてみると、商会の建物と独立しているし、普通の住居と同じように玄関があって部屋があって寝室だってある。

 コンラッドは、そこまで考えていたらしい。

 そういった目で見られて配慮までされていたと思うと、悶えたくなる気分だ。

「あ、あのね。私は難しい言葉は分かんないけど……」

 ノエルも側に来たが、両手を後ろにやって頬を染めている。

「でも、嬉しいよ。頑張って言って良かった、うん。本当に」

「言われなかったら、動けなかった。ずるずると終わるところだった」

「そうだと思った」

 ノエルは含羞はにかみながら笑った。

「そうなると、これからの関係をちゃんと考えないとだね」

「これからの関係……」

 アヴェラがまじまじと見つめると、ノエルは自分の今の発言について心の中で検証したらしい。急に目を見開いて顔を紅潮させた。つまり理解したらしい。

「えっと……うん? ……うあああっ! そういう意味じゃないからさ! あっ、でもそういう意味で思って貰えないと困るよね。ああ、私は何を言ってるんだろ。あはははっ……」

 ノエルは史上最高に顔を真っ赤にさせ下を向いてしまった。 

「え? どういう事なん? 我、よう分からんが」

 ただ一匹だけはさっぱり理解していない。

 アヴェラの言った言葉からして理解していない様子だ。

「まったくこれだからイクシマさんは……」

「むっ、小姑は分かっておるんか!?」

「お黙んなさい。はぁ、しかたありませんね。この親切で優しいわたくしが小娘に教えて差し上げましょう」

 ヤトノがとことこ近づいて、話の流れを説明するのだが――横で聞いているアヴェラは、例えるならば理解されなかった自分の冗談について解説される時のような気分だった。

 さらにヤトノは、これからの関係について説明した。

 さらにさらにヤトノは、それに伴い男女間で行われる事柄について説明した。聞いているアヴェラもニーソもノエルも、顔を真っ赤にしたぐらいの具体的かつリアルな内容だった。

 そしてイクシマは――。

「はええええっ!! そんなのって、そんなのって破廉恥じゃあああっ!!」

 顔を真っ赤にして咆えている。だが、この部屋にはそれが商会まで殆ど届かないぐらいの防音性はあるのだった。

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