第214話 いろいろあって今がある

 警備隊の建物は石造りの堅牢な構造をしており、テーブル類も頑丈な木製のものだ。どれも非常時に於いての備えであり、実際に先般の襲撃事件でも大いにやくだっている。ただし普段の使用では窓も小さく昼でも照明が必要なぐらいであるし、通用口も小さいなど使いづらくある。

 そんな室内の中央に少し空けた場所があり、幾つかの椅子が置かれ、休憩がてら雑談が出来るようになっていた。

「ここは、いい人ばかりでなすなぁ」

 モサリは満面の笑みを浮かべている。

 すっかり肩の力が抜けており、巨躯でありながら威圧感はなく、むしろ近寄って安心な大きな生き物的な雰囲気だ。しかも、その顔は弱虫で臆病な野良犬が初めて家の温かさを知ったような様子でさえあった。

「ま、そうだな」

 そう言って頷くビーグスは元は孤児で、今ではすっかり遠い記憶になっているが、トレストと出会うまでは相棒のウェージと二人で必死に生きてきた。この警備隊が本当に良い人の集まりだという事は身に染みている。

 もちろん、自分もそうあろうと決めているのでモサリの言葉が嬉しかった。

「誰も蹴ったりぶったりせんですし、親切なことばっかり言いなさる」

「すると、今までそんな扱いだったのかい?」

「あややっ、そんな事は……」

 慌てて口を押さえるモサリの様子に、こいつは良い奴だとビーグスは思った。酷い扱いを受けていたのは既に調べがついている。だから普通であれば、ここで愚痴や文句を言い募るところだろう。

 それをしないモサリは、本当に性根が良い。

「お前さん、家族とかは?」

「もう居ねえ。おっ母さんがおったけど、もう死んじまった」

「それは気の毒にな。そんで親爺さんはどうしたんだい?」

 ビーグスは根掘り葉掘りと聞いて行く。

 ただし下世話な根性ではなく、必要だからやっている。モサリを警備隊に迎える事には文句ないが、しかし警備隊という役職である以上は――たとえアヴェラの紹介であろうと――手放しに信用はできない。身辺調査は必須であり、そのため雑談をしながら少しずつ探っているのだ。

 辺りには他の隊員たちも居て、仕事をしながらモサリの様子や反応をつぶさに観察し仲間たり得る相手かを窺っている。

 だが、そんな事などモサリは少しも気付いていない。ただ遠い目をして深々と息を吐いた。

「それは……その……オインクだもんで」

「すまん」

 クイークやオインクといったモンスターが人間の女性を襲うのは繁殖の為だ。だから誕生するのは、そういった種族側となる。極稀に人間体としても生まれるが、その場合は誕生と同時に喰われてしまう。

 誕生前に女性が救助され人間体が生まれたとしても、生かされる事はほぼない。極々稀に生かされたとしても、モンスターの血を引くが故に差別の対象となるのは言うまでもない事だった。

「だもんでおっ母さんが一人でな、おらん事を育ててくれたんだ」

「で、あのドッカーノ家にはいつ雇われたのだい? それとも親の代から仕えてたって感じなのかい?」

 ビーグスは干し芋を差し出しながら尋ねる。

 そうやって食べ物を使って油断させ、素性を聞き出しているのだ。しかしモサリの素朴さと人の良さが相俟ってしまい、そんな事をする自分に罪悪感が込み上げているのだが。


「や、この芋は美味ぇっすなぁ」

「好きなだけ食べな。で、どうなんだい」

「うん、お嬢様がおらを可愛い言って雇って下すったんだ」

 恐らく可愛いと言うのは、仔犬や仔猫に対するような感情ではないのだろう。

 つまり若い女性が時として他人には理解し難い奇妙な感覚で、ある種独特な造型に対し可愛いと言い出すものに違いない。

「へえ、あのクソ……もとい、お嬢さんがね。どういった経緯で、あのクソ……お嬢さんと出会ったのか興味がわくな。何かあったのかい?」

 その雇用された経緯が大事で、ビーグスは突っ込んでいく。たとえ下世話な嫌な奴に思われようと、これは仕事として必要なことだ。

「まあ、それは別に大した話でないことだで」

「いやいや、そこは話そうぜ。お互い仲間なんだからよ。ちなみに、俺がトレストの旦那と出会ったのはな。相棒の奴が病気になって助けを求めた時だな。あの人はな、困った奴を見捨てない凄い人なんだぜ」

 ビーグスは軽く自慢げに言った。

 自分が言うことで相手にも話させるためだが、やっぱりトレストの事を自慢したい気持ちもあるのだ。

 モサリは感心したように頷いている。

「そうかね。うーん、おらはそんな大した事はなかったんだが」

「まあ仲間なんだ、そんぐらい言ったっていいじゃないか」

「ん。あれは随分と昔だが、おら大食いで馬鹿だもんで何も考えずバクバク喰っとったんだ。で、家に食べるもんがなくなってもうてな。ああ、あの頃おら本当に馬鹿だった。おっ母さんが自分は食べんと、おらに食わせてくれとった事に気付かなんだぐらいの馬鹿だった」

「良いおっ母さんだったんだなぁ」

「へへっ、ありがとなす」

 自分の母親を褒められ、モサリはにっかり笑った。

「で、ある日もう食べるもんがないんで生きてはおられんって、おっ母さんが言いなすったんだ。そんでな、お前はおっ母さんの子だからおっ母さんが始末をつけてやるがおっ母さんも一緒におってやる言うてな。こう縄で、おらとおっ母さんの腰とを繋いで川まで行ったわけだな」

「…………」

「まあ、おら何も分かっとらんかったが。おっ母さんと一緒ならええかと思って頷いてな。でもって川に行って、二人でえいやと飛び込もうとしたんだ。そこに、お嬢様が通りかかって面白い事をしてると――」

「もういいよ、分かった。うん、もう話さなくていい。あのクソ……お嬢様ってのも少しは良いことをしたんだな」

「え? だども、ここからお嬢様が――」

「いいんだ。ほら、この芋の残りを全部食べていいぞ。いや、食べてくれよ」

 ビーグスはそれだけ言うのが精一杯だった。後ろにいるウェージや隊員たちは手拭いを目に押し当て鼻をすすっている。

 そしてモサリは完全に警備隊に受け入れられた。

 皆はパトロール時にはモサリを連れていき、各自が美味いと思う店でモサリに腹いっぱい食べさせる。そんな光景が見られるようになったのであった。


「――とまあ、そんな状況だそうだ」

 コンラッド商会の一室でアヴェラは言った。

 御抱え冒険者であるアヴェラたちには一室が与えられている。

 ニーソの協力もあって職人に直接指示できることもあり、内装はアヴェラは自分好みに仕立ててあって、それは言うなれば和モダン調で侘び寂びな雰囲気が醸し出されている。

「うおおおんっ! あ奴め、あ奴そうであったんか! 苦労したんじゃなぁ」

 閑寂な雰囲気の中にイクシマの声が響き渡り、侘びも寂びも台無しにした。

 手の甲で涙を拭っては泣き、鼻水が垂れてくるとハンカチで鼻をかんでは何かと煩い。年頃の娘エルフとしてはアレだが、まあイクシマなので仕方がないだろう。

 ノエルも目を赤くしており、自分の境遇を重ねているに違いない。

「そっか、モサリ君も苦労してきたんだね」

「モサリは良い奴だから、幸せになって貰いたいところだ。カルミアから引き離したのは正解だったよ」

「正解どころか、大々々正解だよ。うん、間違いないよ」

「あとはカルミアの始末だな」

「始末って……それ駆け落ちだよね。始末って、駆け落ちのことだよね!?」

「当たり前だ。人を何だと思ってるんだ」

 アヴェラは不満げに言った。

 流石にそこまで悪辣ではないし、命を奪えば多少なり罪悪感が残ってしまう。しかし欠片たりともカルミアの事を心に残したくないので、そんな事はしない。ただし死地に追いやって勝手に死んで貰うのは構わないのだが。

「そっか、そうだよね。良かった」

「やれやれノエルは優しいな」

「別にそうでもないよ、うん。だって心配なのは、赤ちゃんの事だけなんだから。その赤ちゃんに罪はないから。何とかしてあげたいなって思う」

「…………」

 言われたアヴェラは、初めてその存在に思い至った。

 今までカルミアとダチュラに対する事しか考えていなかったが、確かにまだ生まれる前ではあるが子供がいるのだ。その子に罪はなく、むしろ被害者に近い。

 アヴェラは駆け落ち案の中から、危険モンスター生息地に行かせる案を抜いた。少なくとも子供には生まれる権利がある。

 それに気付かせてくれたのは、自然と人を思いやり気遣えるノエルのお陰だ。

「やっぱりノエルは優しいな」

 アヴェラがすっと手を伸ばしてノエルの髪に触れると、ノエルは軽く目を瞬かせた後に含羞はにかんだ笑みを浮かべる。二人の間に優しい雰囲気が漂い――そして横から、イクシマの鼻をかむ音が盛大に響いた。

 漂っていた雰囲気は蹴散らされた。

「…………」

「え、なに? なんなん? なんで我が睨まれるとるん? しかもノエルまで。我、何かしたんか?」

「うん、いいんだよ。イクシマちゃんらしいからね」

「なんか我に対する評価が気になる言い方じゃって。どんな評価なん!?」

「さあどんな評価かなー」

 穏やかに笑うノエルは、やっぱり優しいとアヴェラは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る