第210話 感情は分別せよ

 家を出てそのまま通りを歩いて行く。

 ただし今すぐ何かしようという目的があっての事ではなかった。両親に宣言した勢いで家を出てしまったのだ。流石に今すぐ帰るのは気が引ける。

 ヤトノはしょんぼりしている。

「御兄様、御兄様。何がいけなかったのです? わたくしは何か間違えておりましたか?」

 うつむき加減でアヴェラの服の袖を掴み、素足でぺたぺた歩いている。自分が何か悪いことをしてしまったらしいと察しつつ、しかしそれが何か分からずにいるのだ。

「んー、まあ別に間違えてはない」

「でも何か変です。せっかく家族が増えるって喜んでいましたのに」

「そうだな、とりあえずだが――」

 アヴェラは歩きながら、何が問題であるのかを説明した。

「――と、言うわけだ。その辺りの事情を説明して両者納得の上でなら、まだいいのかもしれない。だけど今回のことは完全に騙し討ちで不意打ちだった。それで皆が怒っているわけだ」

「なるほど理解しました。つまり御兄様を虚仮にしたというわけですね。ええ、とっても理解しました」

「何もするなよ」

 先に釘を刺しておくとヤトノは頬を膨らませた。今すぐにでもドッカーノ子爵の邸宅に乗り込み、災厄を振りまくつもりだったに違いない。

「なぜです、嫌です。絶対にやるんです」

「ダメだ」

「嫌です、嫌です。そんなのいーや!」

 ヤトノは足を踏みならし、さらに道の上に転がって暴れている。まるで駄々っ子みたいな仕草だ。見た目が幼げな少女なので、通りすがりの人がほっこりしながら見ていく。

「もう一度言う、何もするなよ」

「…………」

 アヴェラに見つめられ厄神の分霊であるヤトノは黙り込む。両者のこれまでの関係性とかを抜きにして、なぜかしら何も言えなくなったのだ。

「御兄様のいけず。でも、そんな強引なところも素敵!」

「とにかく余計な事はしないようにな」

「はーい、分かりました。そうですね、御兄様が手を下すまでは何もしません」

 にっこりと笑うヤトノはどこまでも澄んだ笑顔をみせている。


 自分の感情を整理し思考を整える場合は、外に出て歩いた方が良い。一室で椅子に座り悶々と考えるよりも頭が働き遙か簡単にまとまる。

 それでも今は、いろんな感情が渦巻きごっちゃになっていた。

 自分の感情が整理できない者は、得てして大失敗をしでかす。討つべきを討たず討たざるべきを討つ、そんな馬鹿な結果になりかねない。

「少し整理しないとな」

 歩きながら考えると、今の思考は大きく分けて二つあった。片手をヤトノの頭に置いて指先でトントン叩いて考え込む。

「一つは恨み辛みでドッカーノに対する怒りの思考だが……いや、これも余計な感情が交じってるな」

 自分が利用されようとしている事への怒りや不満、そして不安。喜んでくれた両親をガッカリさせた事への申し訳なさ。婚約話で自分が認められたと勘違いした自分の間抜けさ。何も気付かず将来の計画まで考えた事への空しさ。警備隊の皆に自分が騙されたと知られた事への羞恥もある。

「幾つかの感情は関係ないな」

 ドッカーノに対する怒りや不満以外は必要ない。それに自分が自分に向けた感情を抱え込んで動くのは全くもって無駄。我が儘な子供が駄々をこねるに等しい。

 本当の怒りというのは、もっと純粋な澄んだものだ。

「もう一つの思考は、今後どうするかだな」

 これは簡単だ。

 今すべきことは婚約話を台無しにする事であって報復などは後である。

「優先順位を間違えたらダメだな」

 ようやくアヴェラの顔に笑みが浮かぶ。

 機嫌良く頷くのは今までの鬱屈とした感情が整理されたからだろう。ヤトノはするりと動いて、頭に置かれていたアヴェラの手を掴み腕に抱きつく。そうやって歩く様子は、いかにも仲良し兄妹の散歩といった風情ですらあった。


 何をするにしても、まずは仲間に相談すべき。

 コンラッド商会の専用部屋に来て話をしたところ、たちまちイクシマは勢い込んで戦鎚を手に取りさえした。

「よし、ればいいんじゃな」

 その金髪頭にアヴェラは優しく手を置いた。

「違うに決まってるだろうが。このエルフときたらもう……」

「じゃっどん! 他にどうしろってんじゃ」

「それを今から考えるのだろうが。分かったかな、エルフちゃん」

 アヴェラが優しく頭に手を置くものだから、イクシマは目を瞬かせ困惑した。ここまでの対応は今までになかった。少なくとも記憶にある限りは。

「エ、エルフちゃん? どしたん、さっきから中途半端に優しいんじゃが。どっか悪いんか。はっ!? ショックが大きすぎたんじゃな。お主ぃ、可哀想にな。よいぞ我が抱きしめてやろうぞ」

 ちびっ子エルフが両手を広げ待ち構える姿勢に、アヴェラは溜息を吐いた。

「……お前には優しくする必要はないな。このボケナスエルフ」

「あ、戻った」

「この空っぽの頭でも少しは考えてみろよ。いま殺れば警備隊で隠蔽してもドッカーノ子爵には疑われるだろうが。それぐらい分かるだろ? ほらほらほら」

 アヴェラはイクシマの頭を鷲づかみにして揺さぶった。いつも通りの扱いに、そこはかとなく満足しているのかイクシマはされるがままだ。

「まあまあ、アヴェラ君もそれぐらいで」

 ノエルが間に入って止めた。

「イクシマちゃんが言うやり方は言語道断だけどさ、それぐらいにしようよ」

「ま、そうだな。普通はそう思うよな」

「でもね、どうするかって実際考えると凄く難しいよね。うーん。何か相手の方に非を認めさせるとかは?」

「非か、つまり弱みを握って脅すのか」

「その言い方、身も蓋もないって思うんだけど」

 ノエルは困り顔で頭をかいた。

 その横でイクシマが身も蓋もないと呟き呆れた顔をするので、イラッとしたアヴェラは尖った耳をつまんだ。

「やめよ! 耳は、耳は敏感なんじゃって!」

「敏感だとどうだってんだ? ほら、どうなるんだ」

「あっ、あっ、ダメ。そこダメなんじゃって。本当にダメなんじゃって……」

 イクシマは顔を真っ赤にさせて悶えている。


 賑やかしい横でニーソだけが静かに考え込んでいる。軽く口元を動かし声にならない程度に何かを呟いていた。

「ニーソ?」

 気付いたアヴェラが声をかけるとニーソは我に返った。

「あ、ごめんね。いまちょっとドッカーノの借財を計算してたから。うちの店の分を全部取り立てても破産まではいかないかな。知り合い関係に手伝って貰えれば、十分に出来そうなのよ」

 商人が貴族を破産させ追い込むと、さらっと怖いことを言ってる。しかも子爵を呼び捨てだ。ノエルとイクシマは恐怖を感じて一歩後ずさっている。

「いやそれはマズいな。いまのところ婚約話があるのだから、子爵家が潰れたら娘だけでもと送り込まれるだろ」

「ん、そうなるのね。なら別の手を考えて破滅させなくちゃ」

「……なんで破滅させる方向なんだよ」

 相談したのが間違いだったと思うぐらいに極端な意見に走っており、いまのところノエルだけが癒やしだ。

「そうなると、相手の弱みを握って脅すノエル案しかないか」

「待って、なんか違う。私そんなこと言ってないよね。うん、言ってない」

「分かってる。ノエル案で相手の弱みを握るとして、どうするかだ」

「それ、ちっとも分かってない」

 文句を言うノエルはさておき、相手の弱みを握って思うように操る事が一番手っ取り早い。そして弱みを握った相手に何をさせるかと言えば――。

「こちらが多少泥を被って、向こうさんから婚約解消させるのがいいな」

「それ、いくないぞ。お主が周りから笑われる」

「別にいいだろ、それぐらいでないと難しい」

「じゃがな、お主もいずれは結婚というのがあるわけじゃろって。そうした時に話がついて回るのじゃぞ。いや、何も言うな。ま、そうなった時は仕方があるまい。お主のため、この高貴なるエルフ一族である我が仕方なく。うむ、仕方なくじゃぞ。いいか仕方なく我がお主と結――」

「まずは相手の密会現場を押さえるのが一番だな」

「聞けよー! いまの聞けよー!!」

 イクシマは暴れた。

 騒々しい中で話をすすめ、まずはドッカーノ子爵家のカルミアの動向をしばらく観察し、相手の男と密会する現場があれば、それを押さえる事になった。イクシマは不機嫌気味で、ニーソもドッカーノ家の帳簿に笑みを浮かべている。

 頼りになるのはノエルぐらいのものだ。

「すまないが協力を頼む」

「了解だよ。でもね協力なんかじゃなくって、自分たちの為でもあるんだから。任しておいてね」

「ふうん? ま、よろしく頼む」

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