第209話 親離れ子離れ

 エイフス家には沈黙と、微妙に気まずい空気感が漂っている。流石に話の内容が内容なので誰もが言い出しがたいのだ。特にアヴェラは微塵も悪くないのに非常に居心地が悪い気分だった。

 とても静かだ。

 室内は薄暗いが外は日差しが強い。熱くなった屋根から家鳴りが時々響く。

 そんな中でウェージが口を開く。

「あーその、ヤトノちゃん。それは本当ですかね」

 恐る恐ると遠慮気味に訪ねるのは、ヤトノの正体こそ知らぬものの、何かしら超常的な力を持っている事や恐ろしい存在であると察しているからだ。

「わたくしを疑うと?」

 じろりと向けられた緋色の瞳には底知れぬ迫力がある。だがそれでもウェージは耐えて見せた。本人の胆力もあるがアヴェラの兄貴分として、どうしても確認したかったのだ。

「疑うのではなく、信じたくない思いですぜ」

「ふんっ、まあ良いでしょう。許してさしあげましょう。先ほど申したように、わたくしは嘘は嫌いなんです。真実しか申しません」

「そう、ですか……」

 ウェージは音がするほど歯を噛みしめ、相棒のビーグスに肩を叩かれている。他の隊員たちも似たようなもので各自が怒りと憤りを覚えているのだが――。

「ドッカーノ子爵も相変わらずね」

 カカリアの呟きにウェージたちは身を震わせた。その静かな声には、それぐらいの何かが込められていた。

「正七位の家に子爵家の娘が嫁ぐなんて破格の条件。むしろ喜んで貰えるとさえ思っているに違いないわ。本当にもう考えが足りない方よねぇ」

 くつくつと笑う姿は、かつてないぐらいブチ切れている。カカリアが手を載せていた椅子の背もたれが軋みをあげ、ついに砕けた。

 エイフス家に集まっていた警備隊の皆が怖くなって後退っている。

 だがカカリアは意にも介さず、それどころか薄く笑いさえした。

「ねえ、トレスト。楽しくなっちゃうわよね」

 トレストも獰猛に笑った。

「そうだな、久しぶりに面白い話を聞いた。実に面白い、はっはっは」

「相手の分からない子ができたのは構わないわ。それならそれで、その相手と駆け落ちするぐらいの覚悟はないのかしら」

「ないのだろうな。しかも、うちの子に迷惑をかけるとはな」

「お話に行く?」

「もちろんだ」

 ドッカーノ子爵は子爵なりに熟考し、そこには善意すらあったかもしれない。確かに普通の貴族なら多少は悔しがりつつも今後の展開を期待して受け入れたに違いないのだから。ただ相手が悪かった。事前調査が足らなかった。それに尽きる。


 アヴェラは手を二回叩いて注目を集めた。

「勝手なことはしないで貰える?」

「アヴェラちゃん。こういうのは泣き寝入りはダメなの。仕方ないにしても、まずはガツンと殴りつけてケジメをつけないとダメなのよ。お母さんが一緒に――」

「母さんは黙っていて」

 どんなモンスターにも怯まぬカカリアが蹌踉めいた。それでも慌てた様子で手を合わせて我が子に訴えかける。

「でもね。でもでもお母さんはね、アヴェラちゃんがなめられたままなんてダメって思うの。ドッカーノ家に乗り込んで謝らせる必要があるの」

「気持ちは嬉しいけど、これは自分でケジメをつけるよ」

 アヴェラの言葉で、カカリアは目を見開き両手を口にあて硬直した。まるで置き去りにされると気付いた子犬の様相だ。おそらく心境はそれに違いない。警備隊の皆は気の毒そうな顔をしている。

 その傍らにトレストが立った。

「アヴェラよ、自分でやると言うのだな」

「そうだよ。自分の事は自分の手で片付けるよ」

「ふむ……ならばよし! お前に任せよう」

 トレストが宣言するとカカリアは目を細め両手を握りしめた。まるで親の敵に襲いかかりそうな猛犬の様相だ。おそらく心境はそれに違いない。警備隊の皆は決死の覚悟で取り押さえる覚悟をしている。

「お前がどうしようと、どんな結果になろうと俺たちは受け入れる。全てはアヴェラの思うがままにやるといい。しかし、俺たちの力が必要な時はいつでも言え。俺たちは全力でそれに応えよう」

「ありがとう父さん」

 アヴェラは頷いた。

 それからカカリアにも目を向ける。ここでフォローせねば、とても危険な状態だと気付いたからだ。

「母さんもありがとう。母さんの気持ちは分かっているし感謝しているよ」

「アヴェラちゃん、お母さんは。お母さんはね……」

「でもね、これは自分でやりたい。自分でやらないといけない事なんだ」

 しっかりと目を見て言えばカカリアは肩を落とし、それでも渋々と頷いた。


 トレストは腕を組み、家を出て行くアヴェラとヤトノの姿を見つめた。ドアが開き閉まり、その姿が消えると家の中は静かになった。

 警備隊の部下たちもいるが、誰一人何も言わず微動だにしない。

 その理由は――静かに呟きだしたカカリアの存在にある。

「トレスト。トレスト、トレスト、トレスト。どうして、あんな事を言ったの?」

 カカリアの目つきは危険領域を突破し敵意すらある。もちろん夫婦として互いに愛し合い信頼しきった上での事なので本当の意味での敵意ではないだろう。だが、何にせよ敵意は敵意だ。

「なあ、カカリア」

「何かしら」

「君は俺が怒ってないとでも思うのか? うちのアヴェラを虚仮にされて、俺が怒ってないとでも思ってるのか?」

「それは……思ってないわ。でもだったら――」

 言いかける言葉を遮りトレストはカカリアの両肩に手を置いた。

「アヴェラが自分でやると言ったのだ。ならば信じて任せるべきだろう。もう、そういう時が来たのだよ」

 子が親を離れる時だ。もちろん親子関係は続くが、精神的に一人で立とうする時が来たのである。本当であれば、もうとっくにそんな時期は過ぎていた。それを惜しんで手元に置こうとして、優しいアヴェラは付き合ってくれていたのだろう。

 この結婚の話が来た時点で、もう子離れする時だったのである。それが思った形とは違うが、そのようになったのだ。

「でも、私は心配なのよ」

「カカリア」

「だってモンスター相手とは違うの。相手は貴族、ちょっとした言葉や仕草だけでも面倒な事になるの」

「カカリア」

「もし、そうなったらどうするのよ。庇いきれない事だってあるのよ」

「聞くんだカカリア」

 トレストは愛する者の目を真正面から見つめた。かつて愛を告げた時と同じようにカカリアは身を震わせている。

「その時は俺が代わりに背負う。そのためなら喜んで死んでやる。それが親である俺たちの次の役目だ」

「……トレスト」

 胸の中に倒れ込んで泣き出したカカリアを抱きしめ、トレストも耐えていた。たったいま告げた言葉は自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。この十数年間を大事に可愛がってきた子が飛び立つ事が誇らしいと同時に寂しくもあったのだ。


 この二人を悲しませた相手にビーグス、ウェージのみならず警備隊の皆は怒りを覚えていた。譜代の者もいれば、多大な恩を受けた者もいる。心から慕って親とも思う者もいた。

 そしてアヴェラは皆の弟分である。

「ドッカーノ家には塩対応だ」

「塩対応か、そうだな塩対応だな」

「やるぞ」

「やるぞ」

 口々に呟き厳しい顔で頷きあう。

 塩対応――それは警備隊の最終手段にして、もっとも恐ろしい報復。つまりアルストルで定められた法の通りに接するというものだ。

 これを聞けば、どんな大商人でも這いつくばって許しを請うだろう。

 なぜなら法にない事は全て不許可になる上に、少しでも違反があれば没収や拘束が行われる。あげく法の通り行われているか随時確認され、その間の時間も拘束されてしまう。

 もちろん全て法による行動であるので、逆らえばアルストルに対する反逆だ。

 これを関係者に対しても行うと噂を流すだけでも、商人や職人は関わり合いを恐れて即座にドッカーノ家との付き合いを断ち近寄りさえしなくなる。そうなれば生産性のない貴族は干上がってしまう。

 もちろん実行は警備隊にとっても非常に面倒くさいことだが、それをやろうと決めるだけの怒りが皆にはあった。

 そんな決意をする皆の横で、トレストとカカリアは二人だけの世界状態だ。

「それはそれとして。俺たちは俺たちでドッカーノ子爵への報復をやろうじゃないか。適当にモンスターを捕まえてきて敷地に放り込むとかな」

「それ良いわね。任せて郊外への秘密の出入り口は幾つか知ってるから」

「ついでにアレだ、一度生えたらなかなか駆除できない草があっただろう。市内持ち込み厳禁のやつだよ。少し回収してきて、庭園にプレゼントしてあげよう」

「なんて素晴らしいの」

 カカリアはトレストの腕の中で軽く飛び跳ねた。

「どうせなら、お父様にも声をかけようかしら」

「おいおい、そんな事をしたらドッカーノ家が壊滅するぞ。それは最後にとっておこうじゃないか。まずは俺たちの手でじわじわとだ」

「素敵ね」

 この二人を敵にした相手にビーグス、ウェージのみならず警備隊の皆はちょっとだけ気の毒な感情を抱いてしまった。

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