第208話 本日はお日柄もよろしく
広い青空、緑の芝、水草の浮く小さな池、色とりどりの花咲く花壇。そんな庭の木陰に、白布のかけられたテーブルがあった。
上には二客のティーセットがある。
「後は、お若い二人で」
そんな言葉を聞いたアヴェラは軽く感心した。
まさか自分がそんな言葉を、しかも異世界で、聞くような機会があろうとは夢にも思わなかった。
去って行くのは上品な女性で、この庭の持ち主の貴族のご婦人だ。
貴族同士の若い男女が顔合わせをする場合は、こうした庭園にて優雅に上品に行うらしい。それで貴族の誰かの庭を借りているわけだが、目に見えぬ貸し借りというものが蠢いている。
とは言え、当の本人であるアヴェラにとっては関係ないことだ。
見合いの真っ最中、御相手の御令嬢と二人っきりでの対面である。
ただし言葉通りに二人きりではない。当然だが従者が傍に控えており、相手方にはまだ若い青年が、アヴェラの方にはもっと若い少女姿のヤトノが残っている。
――面倒なもんだ。
ぼんやりと考えつつ、アヴェラは対面に座る御令嬢を見やった。
カルミア=ノ=ドッカーノは美人だった。しかし儚く繊細という令嬢のイメージとは随分と違う――いやもちろん、アヴェラの母や従姉も儚さや繊細とは無縁だが――感じだ。
つまりカルミアが肉感的で蠱惑的ですらあったからだ。
「…………」
何を話していいのか分からない。ノエルやイクシマやニーソ相手とは全く違う。軽く緊張もして困ってしまう。
だが、会話は必要。結婚が確定事項であれば、これから先ずっと側にいる事になる。ならば最初が肝心だった。
軽く息を吐いた。
「素直に話しますが、正直戸惑っています」
アヴェラは迷いながら話しだした。
「でも、こうしてお会いできた事を嬉しく思っています。より良い関係を築けるように努力するつもりです」
「はい」
「お互いのことを知らないので、いろいろと話をしませんか」
「ええ、お願い致しますわ」
返事は軽やか相手は笑顔。
とても雰囲気は良い。アヴェラはそれからも、いろいろと喋った。我ながら上手くやったと思えるほど、上手く会話をやってみせた。
そんな傍らでヤトノは大人しく、そつなく付き添い役を果たしていた。
家に帰ってみると奥でガタガタッと音が響き、大急ぎで顔を出すのはトレストとカカリア。そして警備隊の皆だった。
全員がアヴェラの見合い話を気にして集まり待機していたらしい。
この過保護ぶりには久しぶりにウンザリするぐらいだ。しかも仕事そっちのけで集まっているのだ、これで街の治安は大丈夫なのかと心配になってしまう。
「警備隊の仕事はどうなってるの。治安を預かる身でしょうに」
「仕事や、治安なぞ、どうでもよいのだ!」
「よくないって」
「そうか、よくないな。それで? どうだった!?」
トレストが身を乗り出した。
暑苦しいぐらいの勢いだが、見合い会場に来なかっただけマシかもしれない。こんな具合で皆が押し掛けていたら恥ずかしいどころの騒ぎではなかっただろう。
「どうと言われてもね……」
口を濁すのは、正直に言って微妙だったからだ。
カルミアは話しかけると返事をするし、問いかけると答えてくれるが、どれも短い言葉による返事のみ。では聞いていないかと言えばそうでもなく、アヴェラの言葉に言い間違いや勘違いがあると指摘し白黒はっきりさせるよう問い詰めてくる。それでいて、自分から話題を提供してくる事はなかった。
だから会話が楽しくないし、気を使うばかりで、とても疲れた。
ではカルミアに気がないのかと言えば、そうでもない。
表情は常に笑顔であったし、帰り際には従者を通じてではあったが、また会いたいという言葉も貰った。
「ちょっと会話がし辛かったかな。あっちから話してくれなかったし」
「お嬢様だからな。そりゃ自分からは話しづらかろう」
トレストは笑っている。
――やっぱり理解はされないか。
あの時の微妙な空気感。自分だけが必死に場をつくろうと苦労し、相手にされないで空回りするような雰囲気。微妙にずれているコミュニケーションの取りづらさ。
それをどう表現すべきかアヴェラには分からなかった。
「まあ……お互いに緊張していたのかもしれないけど」
「うむうむ、そうだろうな。しかしアヴェラも緊張したか。はっはっは」
「そりゃね……」
これから先こんな感じでやっていくかと思うと気が重い。
だが、周りは大喜びだ。
「坊ちゃん、おめでとうございます!」
「ウェージさんも、近々おめでとうございますなのでは? アンドン司祭が喜んでましたよ、フィリアさんと良い雰囲気みたいだって」
「ぼ、坊ちゃん。ここでそんな事ぁ……」
たちまちウェージは他の隊員に取り囲まれ、臨時の取り調べが開始された。もちろん皆ニヤついている。
「これで話がまとまるのか……何とも感慨深い。俺もお爺ちゃんとなるか。そしてカカリアは、お婆――」
言いかけたトレストは強烈な肘打ちによって沈黙させられた。
「良かったわ、アヴェラちゃん。貴方が幸せになってくれて、お母さんは。お母さんはとっても……」
「まだ気が早いと思うよ」
「そんな事ないわ、これから夫婦二人で力を合わせて。あっ、アヴェラちゃんの場合は五人、いえヤトノちゃんもいるから六人よね。皆で力を合わせていくのよ」
「六人……ね」
アヴェラの脳裏にそれぞれの顔が思い浮かぶ。
ヤトノがいてニーソがいて、ノエルとイクシマがいて、自分が親になって家の中は賑やかになり、警備隊の仕事をして、家に帰れば家族が待っている。思い浮かんだのは、そういうものだった。
降ってわいた話であるし、まだ先も分からない。
ただ寂しかった前世と比べると、なんと楽しく賑やかしいことか――。
「数が違うんです、七人なんです」
ヤトノの言葉に困惑する。
「六人だろ。まあ本当に六人で勢揃いするかは知らんわけだが」
「いえ七人です。ああ、でもそうですね。ちょっと気が早かったかもしれませんね。だって、まだ産まれるまで時間がかかりますものね」
「産まれる?」
アヴェラは困惑した。
「産まれるとは何がだ?」
「はい、あの女めの中にいる小さい命なんです」
流石にヤトノは厄神の分霊、たった一言で皆を硬直せしめた。
「いや待ってくれ。それは本当なのか?」
「御兄様、酷いんです。わたくしの言葉を疑うだなんて。それに、わたくしは嘘は嫌いなんですよ、それこそ呪いたくなるぐらいに」
「いや知ってはいるけど……その……頭が混乱していてな」
言いながらアヴェラは納得していた。
なぜ政略結婚に使える娘を、こうして自家より階級の低い相手に、しかも世間からは疎まれる加護持ちに嫁がせたのか。その理由が意図せぬ娘の懐妊だったというわけだ。
――これは嵌められたな。
アヴェラは喉に手をやり思考を続ける。
あの貴族の庭園が借りられ場所がセットされた時点で、貴族社会では二人の結婚は確定事項。どんな理由を述べ断ったところで言い訳にしかならない。エイフス家は恥知らずの烙印を押される。
――むしろ断られても構わないと思ってるのか。
一応は二人は会って一緒の時を過ごした、その後で娘の懐妊があったのであればアヴェラの子だと主張も可能となる。それであればドッカーノ家は、むしろ被害者面さえ出来てしまう。
――大公家の力を借りる? いや駄目だ頼ってはいけないな。
頼めば全力で協力してくれるだろう。
しかしたとえ大公家が権力に物を言わせたところで、人の口に戸は立てられない。しかもその場合はドッカーノ家は面子丸潰れであるため、たとえ破滅すると分かっても蜂起して自らの正義を主張せざるを得なくなるだろう。
あげく大公も先行きが読めない人物として嘲笑され、求心力を失う可能性もある。
――参ったな。
何とも気の重たい状況になってきた。
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