第207話 先行き不安

「縁談?」

 帰宅して驚くような言葉を聞かされたが、そのまま立ち話もなんなので食卓に移動。テーブルには出来たて料理が並んでいる。つまりカカリアも話を聞いたばかりなのだろう。

 アヴェラがパンに手を伸ばすと、いつもより遙かに静かな食事が始まった。

「縁談と言うと、つまりは結婚に向けた話をしようということ?」

 これに対しトレストはゆっくりと頷いた。いつものように、まず肉から食べだしている。ただし食べる速度は、重たい気分を反映してゆっくりだ。

「そうだ、その通りだ」

「はぁ、それはまた急な話で。それで相手は?」

「冷静だな。もう少し驚いても良かろうと思うのは俺だけか?」

「驚いてるよ。ただ、知っておくべきことを先に知っておきたいだけだから」

 実際のところアヴェラはかなり驚き動揺していた。

 帰るすがらに家族というものを想像していたものの、自分が結婚して家族を持つという具体的なことまで考えていたわけではない。今のままの延長で気付けば側に家族が出来ているといった、とても曖昧な考えなだけだった。

 それであるのに、自分の結婚話が目の前に現れたのだ。動揺しないわけがない。

「話はドッカーノ子爵様からで、御相手はご息女のカルミア様という御方になる」

「はあ、もしかして一人娘? まさか入り婿というやつ?」

「流石にそれはない。跡継ぎは別におられる」

「なるほどね。子爵だと正五位ぐらい?」

「あちらの家格から正四位にあらせられる」

「どちらにしても、エイフス家より随分と格上だね。それなのに話が来たって事は、もしかして……あの件がバレたから?」

 あの件とは、もちろんアヴェラがアルストル大公家の血筋という意味だ。

 アヴェラからすれば血筋など全くもって意味ない話なのだが、貴族というものがそれを気にする事は理解している。

「俺も最初はそう思ったが、母さんの考えではそれは薄そうだ」

 チラリと視線を向けられたカカリアが頷く。

「そうね。もし子爵が知ったのであれば自分の娘を送り込むような事はせず、まず伯爵辺りに話を持って行くはずね。その方が利益が大きいでしょうから」

 貴族関係の思惑やら行動に関してはカカリアが詳しい。

 それこそアルストルの御令嬢として育ったのだから。

「ただね、ドッカーノ子爵の場合は何と言うのかしら。ちょっと抜けてると言うのかしら。少々迂闊なところがあったわ。ひょっとしたらという可能性はあるわね。でも、それ以前にアヴェラの事がバレる可能性はないと思うわよ」

「それはどうして?」

「お父様が、つまり貴方のお爺様が本気で対応したから」

 元大公である祖父ジルジオは豪放磊落な性格だが、一方でやる時は恐ろしく計算高くやる。また信用できる知己も数多いため、隠蔽しようとすれば完全に隠蔽できる人物だった。

 だから今でも駆け落ちした大公家の娘カカリアは、遙か遠く国外に居ると誰もが思っている。


 食卓に美味しい料理が並んでいる。普段は瞬く間になくなるのだが、今日のところはゆっくりだ。いつも通りにモグモグ食べるのはヤトノぐらいだ。

「そうなると、どうしてだろうか……」

 アヴェラは思案する。

 この格差婚からすると何か裏があるのは間違いなかった。貴族の場合は階級を非常に重んじる。少しでも階級を上げ、または維持するための努力を欠かさない。そして子供は政略の道具として打って付け。

 自分よりも階級の低い相手に、何の思惑もなく娘を嫁がせるなどあり得ない話だ。あとアヴェラの加護は世間的には忌避されるものでもある。それこそ暗殺者が送られて来るほどに。

「何かあると思うけどね」

「御兄様、御兄様。やっぱりそれは、御兄様が素敵だからに違いないんです。最近もいっぱい活躍されましたし、それが認められたんです」

「活躍? したか?」

「してます、してます。とってもしてます」

 実際に活躍している。

 直近では祭りにおいて賊を撃退し民衆を護り、非公式に行方不明となったナニアを救助している。さらにエルフ一族とも懇意にし、コンラッド商会のお抱え冒険者で、上級冒険者ケイレブの愛弟子。

 少し突っ込んで調べれば直ぐに分かることだ。

 トレストも頷いた。手元のパンに力強く噛みつき堂々と飲み込んだ。

「アヴェラよ、断るなら断って構わん。俺はお前の意思を尊重しよう」

「ありがたい言葉だけど、断るといろいろまずいでしょ」

「いやそんな事は……」

「あるでしょうに」

 貴族の世界は階級が強く影響する狭い世界。基本的に下の者は上に従うしかない。まして今回の様な縁談を断れば、怒り狂って何をするか分からない。

 まして今のところ断る理由がないのである。

「本音で言って、本音で」

「うむ。まあ俺としては受けるしかないと思う。一応だが、ドッカーノ子爵については警備隊で調べ上げた」

 完全な職権乱用だが、この世界においては全く問題ではない。仮に問題だったとしてもトレストは少しも気にしないだろうが。

「まあ貴族だから多少の不評はある。だが悪くない部類の方だ。お嬢様についても、従僕にも親切な心優しい方という話だった」

「そうなんだ」

「だからまあ、正妻の座はカルミア様としてだ。ニーソちゃんたち三人は仲良く次妻となって貰うのがいいだろうな。やあ羨ましいぞ、このこの」

 茶化したトレストだったが、カカリアの一瞥で震え上がって大人しくなった。

「とりあえず会って話をするよ。向こうの気が変わるかもしれないし」

 アヴェラは残りの料理を平らげた。


 月が綺麗だった。

 そんな表現を愛の告白に喩える気持ちも分からないでもない。ただ死を知る身からすると少々倒錯的に過ぎると言うか、鼻持ちならない高尚さ気取りを感じてしまう。何にせよ、某文豪の言葉というのは俗説だったはずだが。

 アヴェラは庭に座り込んで夜空を見上げていた。

 その心持ちを察したヤトノは余計な邪魔が入らぬようにと、この場所付近を治める哀れなる土地神に小虫などを追い払わせていた。

「……結婚か」

 アヴェラはポツリと呟いた。

 前世において十代二十代は恋人が欲しいと思い、三十代になっては結婚したいと思い、四十代になっては子供が欲しいと思い、五十代以降は家族が欲しい気持ちは諦めと共に消え失せた。

 そうした気持ちが屈折して捻れ、奇妙な気持ちに変容していた。

 つまり他人を自分の最も近い側に置くことや、相手の人生に責任を持つことが恐いのだ。信用できるのか、裏切られたりしないのか。そうした考えが先に立つ。

「…………」

 しかしニーソやノエルや、そしてイクシマとは信用と信頼を築き上げ安心できる存在になっていた。今回の相手がそうなるのか。いや、今回の件で三人との関係が台無しになったりしないか。

 やっぱり考えれば考えるほど不安がある。

 いろんな考えが渦巻き、頭の中でゴッチャになっていた。

 しかし一つ嬉しい事は、ドッカーノ子爵が自分という人間を見込んでくれたという事実だ。そこに打算はあるだろうが、頑張って来たことを認めてくれたのだ。

 それが少し誇らしくも嬉しい。

「御兄様は不安なのですか」

「まあ、そうだな」

「なるほど分かりました! ご安心下さい。このヤトノが御手伝いします」

「御手伝い? 何やってる?」

 見るとヤトノはイソイソ服を脱ごうとしている。押し止めると不思議そうな顔をされてしまった。

「どうされました?」

「いや、どうしたもこうしたも。何で脱ごうとする?」

「あれですよね、御兄様は女性との睦み合いが不安なのですね。ですから御兄様の不安を解消すべく、この良妹賢妹のヤトノめが立派に練習台を勤めてみせます」

「…………」

 アヴェラは深々と息を吐いた。

 月が綺麗だと思った気分は吹っ飛んでいる。ついでに言えば不安だった気持ちも吹っ飛んでいる。

 いろいろ台無しだ。

 台無しだが、まあヤトノの気持ちは伝わってきた。

「まったく……気持ちだけ受け取っておくよ」

「えーっ。つまらないです。やりましょう、やりしょうよ。いいえ、やります」

「やめろって」

 服を脱がせようとするヤトノの顔を掌で押して阻止するアヴェラ。それから地面の上で子供みたいな取っ組み合いをする。途中から遊びになってしまった。

 お陰で何とも言えない不安な気持ちは吹っ飛んだ。

 だが騒いでいたせいでカカリアに見つかって、泥だらけの姿を叱られたのだった。

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