◇第十六章◇

第206話 家族以上家族未満

 コンラッド商会の一角。

 お抱え冒険者専用の部屋には、装備の手入れ場所もあれば、横になり休憩できる場所や、飲んだり食べたり出来る場所もある。しかも冒険に必要な道具類、さらに食糧は嗜好品も含め商会側で用意したものが置かれていた。

 他の冒険者が見れば羨んで歯噛みしそうな至れり尽くせり具合。もちろんそれは、商会がそうするだけの成果や恩恵をもたらしているからこそだ。

「はい、これを使って欲しいの」

 ニーソは真っ白な布類を差し出した。

 それはシャツなどの下着で、真っ白で肌触り良く滑らかなものだった。上質な生地が使われている事はひと目で分かるが、同時にそれが高級品だという事も分かる。

 ノエルとイクシマは戸惑い顔を見合わせた。

「えっとさ、これ使う……使っていいの?」

「もちろんなの。あ、替えも十分にあるのよ。それから胸に当てるブラッジャは戦闘用以外に、普段使い用も作ってみたから使ってみて欲しいの」

「ええっ……普段使い用?」

「そう。あれから、いろいろ改良して種類も増やしてみたの」

 コンラッド商会のみならず各商会の女性たちが集結し、使いやすさと着心地、さらには如何に魅惑的に見えるかも追求されつつあった。それは他の下着類にも波及しており、いまやアルストルはアンダーウェアの一大産地となりつつあった。

「じゃっどん、これ高いじゃろって。手触りやわやわ」

「うん、ちょっとお値段張るかな。でも大丈夫なの。使ってみての感想とか、改良するところとか教えてくれればいいもの。それにね……」

「それに?」

「二人とも知ったから言うけれど、アヴェラのお家ってアレでしょ。だから高級品を気軽に使えるようになっておかないとダメなのよ」

 アレとはアルストル大公家の血筋。

 この場に居ないアヴェラは関係ないと主張するだろうが、しかし世間的にはそうはいかない。つまるところ、その側に居るつもりがあれば心構えが必要という話だ。

「むっむぅ……別に我はそういうんは気にせんことにしとるんじゃが」

「あとね。アヴェラが下着を見るような時に、それが粗末な下着だったら哀しいって思うの」

「なっなななっ、なんたる破廉恥な……うっ……そ、そういうんであれば、まあ我も……な」

 何かを想像しつつイクシマは下着を手に取った。それは下に穿くもので、両手で持って広げる。何を想像しているのか、見る間にその顔は赤らんでいく。

「まあ我もな、これを脱がされ――」

 言いかけたときにドアが開いた。

「遅くなって悪い」

「ふんっぎゃあああっ!!」

 エルフの叫びが辺りに響き渡り、商館の屋根にとまっていた小鳥たちが一斉に飛び立った。


 イクシマは床に座っていた。

 大声で叫んだせいでニーソが驚き調子を悪くした事への謝罪と反省のため、エルフ一族に伝わる古式ゆかしき正座スタイルである。

 横に立ったアヴェラはその金髪頭を指でツンツン押した。

「お前はニーソに何か恨みでもあるのか、おい」

「それについては誤解であり、また我の行いに対し反省しておる」

「いいかニーソは繊細で、か弱いんだぞ。分かるか? 素手でモンスターの首を締め上げたり、ウホウホ言って食べ物を漁るエルフとは違うんだ」

「ぐぬぬぬっ……」

 反論したいイクシマだったが、ニーソが動悸を起こし休息を要しているのは事実。ぐっと堪える事で反省の意を示していた。

「いつも言ってるだろう、叫ぶなと。叫ぶな。うん、実に簡単だ。どうしてそれができない?」

「それはつまり。つい思わず、というやつなんじゃって」

「なるほど。考えるより先に言葉が出ると……つまり目の前に動く物がきたら飛びつく虫と一緒ってわけか。うん? この頭は昆虫並か」

 アヴェラは金髪頭を鷲掴みにして左右にグリグリ揺らした。

 いつもよりネチネチ言うアヴェラだが、それはニーソが被害に遭ったからだ。自分自身に対することなら、もうちょっとすんなり終わるだろう。

「もうっ、駄目よアヴェラ。そんなこと言ったら酷いと思うの」

 ようやく気を取り直したニーソが窘めた。

 ノエルが持って来た冷たい水を口にして、ようやく調子を取り戻したらしい。立ち上がってイクシマを庇うような仕草までしている。

「だが、この邪悪なエルフをだな……」

「そういう言い方は駄目なの」

 ひょいっと出された指がアヴェラの唇を押すようにして黙らせた。そうなるとアヴェラは、反省した意味を込めて肩を竦めるしかない。

 圧倒的戦力差を目の当たりにしたノエルは目を見張っている。

 一方でイクシマは床に突っ伏した。

「うおおんっ! ニーソよ、お主は良い奴なんじゃって。それなのに我は、我は!」

「気にしなくて良いよ。イクシマちゃんは、そういう子だって分かってるから」

「……ん?」

「だから大丈夫なのよ。ちゃんと分かってるから」

 ニコニコしたニーソに邪気の欠片もない。極々当たり前のことを当たり前に言っているだけ。だがしかし、それだからこそイクシマの心をえぐるのであった。


「で、何やってたんだ?」

 アヴェラの問いにニーソは商品の下着を見せた。極々当たり前のように机の上で広げてみせる。女物の下着を前にアヴェラは気まずい。

「……ははぁ」

「こんな感じで新しい下着を用意したの。ねえ、アヴェラから意見はある?」

「いや別に……まあ縁にフリルとか装飾を付けるとか、子供向けなら可愛い刺繍をお尻につけて補強替わりにするとか……そんなところか」

「あっ、それいいかも。他には?」

「んーっ……あとは……布地を全部細い黒糸にして透けそうな感じにするとか?」

「透ける?」

「まあ、セクシー系と言うかな。色気のあるのも需要があるだろってことだ」

 需要と聞いたニーソだが思案顔をして、ふむふむ肯き検討に入れている。

 後ほど他商会のお姉様方に説明したところ、皆は天啓を得た如く顔を輝かせ、最優先で実用化に向け取り組みだしたのは言うまでもない。

「だがイクシマなんかは、かぼちゃパンツでいいんだ、かぼちゃパンツで」

「かぼちゃパンツ?」

 目を輝かせたニーソは笑顔で筆記セットを差し出した。描いて、という事だ。アヴェラが急に言い出した事を、いつでも残せるよう準備しているのである。

 アヴェラは渋々と、かぼちゃパンツを描いた。

「ほら、こんな感じだ。子供とか赤ん坊用だな。大きくてゆったりしてるから動きやすいし、着替えもしやすい」

「なるほど。確かにそうかもなの」

「試作品をつくるなら、幾つかくれるか。ほら、いつも世話になってる上級冒険者の教官が子育て中なんだ」

「うん、三日もあれば出来るから。用意しておくね」

「製品化するなら、名前はエルフパンツにしてくれよ」

 横で聞いていたイクシマが片眉をあげた。いつもであれば、ここで叫んで止めさせたところだが、さっきの事があったばかりなので何も言えない。

 かくして野暮ったいボテッとしたパンツは後世においてエルフパンツと呼ばれ、エルフ全体への風評被害をもたらす事になった。だが、今は誰もそれを想像さえしていない。


 コンラッド商会で時間を過ごし、それぞれ帰宅した。

 アヴェラたちも、それほど毎日フィールドに繰り出すわけではない。いやむしろ最近は敢えて控えて調整をしている。

 なぜなら、もはや中級冒険者に数えられ報酬関係は大幅に上がっている。過度な贅沢さえしなければ日々の生活に困らない。闇雲に依頼を受けず、余暇や休憩をしっかり取って体調を万全にしつつ、依頼を吟味して選定する余裕があった。

「今日はパンツ談義で終わった……」

 夕焼け空の下、石畳の道を歩きながらアヴェラは呟いた。隣を歩くヤトノは色の変わった石を選んで踏んでおり、それで軽く跳ねる様子が微笑ましい。

「御夕飯はなんでしょうね」

「まあ母さんの料理なら何でも美味しいさ」

 たぶんヤトノ経由で伝わるのだろうが、カカリアが聞いたら感動して倒れそうな言葉だ。昔はもっと大雑把な料理だったとも聞くが、今では素晴らしく手が込み美味しくなっており、ご近所が指導を求めてやってくるぐらいだ。

「ですけど御兄様も安心ですね。ニーソめは料理上手ですし、ノエルさんもなかなかのもの。イクシマさんは大胆な料理が多いですけど、まあまあですし」

 ヤトノの言葉にアヴェラは空を見上げた。

 三人と一緒の生活は料理どうこうだけでなく、居心地も良く楽しく良さそうに思えている。この世界は前世と結婚制度が違っているので、そうした生活も可能だ。

 ――そして家族か。

 前世の孤独と侘しさを思うと、大家族は一つの夢である。

 そうした温かく賑やかしい生活を想像すると、少しばかり目元が潤むぐらいだ。

「あと、ヤトノもいるから安心だな」

「もうっ、御兄様ったら。わたくしを喜ばせてどうするのですか」

 ヤトノは長い袖で口元を隠しつつ、手でペシペシしてくる。

 そうして家に帰ると――トレストとカカリアが深刻な顔をしていた。困ったような悩んでいるような真面目な顔だ。

「どうしたの? 何か問題でも?」

「まあ、問題と言えば問題なんだがな……」

 妙に歯切れの悪いトレストは大きく息を吸い、静かに言った。

「お前に縁談が来ている」

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