二匹が斬る参
「父上、何て事をしてくれたのですか!」
アルストル大公ハクフは珍しく声を荒げ、分厚い樫の木のテーブルを拳で叩いた。
大きな音が響いたが、言われた方のジルジオは少しも堪えた様子はない。小指を耳に突っ込みグリグリしているぐらいだ。
「別っにー、ちょっとスラムの掃除をしてやっただけであるぞ」
「ちょっと? あれがちょっとですって?」
スラムは不法滞在者や軽犯罪者の巣窟となり様々な犯罪の温床となっていた。ハクフはそこの対策の為に様々な計画を進めていたのだが、そのスラムが綺麗さっぱり片付いてしまったのだ。
そこに巣くっていた悪人どもは鉱山送りになり、虐げられた者たちは様々な職場へと割り振られ仕事が与えられていた。
やったのはジルジオを中心とした年寄りたち。
騎士団を辞したベテラン老騎士たちや、警備隊を引退したベテラン隊員。魔法に長けた前魔術師長もいれば盗賊ギルドや商会の前元締めや前幹部。各貴族のご隠居まで参加したのだ。
お陰で下手に罰すれば、どこまで影響が及ぶか分かったものではない。
あげく、やったのは単なるスラムの掃討ではなかった。
これまで話が出ては立ち消えていた冒険者協会の新本部が建設されだしている。しかもアルストルの公金を使ってだ。その指示書にはハクフが書いた覚えのない了承サインがあった。
絶対に偽造だが、ハクフ自身が見ても見わけのつかない見事なサインだった。どうやったのか、さっぱり分からない。
「スラムをなんとかしようと、ずっと考え計画を立てていたのですよ。それがもう全部台無しじゃないですか!」
「おやおや、それは気の毒にな」
ジルジオはニヤニヤしながら腕組みした。
「しかし前にお前が言ったではないか。失敗を経験してない私はその時にどうすればいいのかと。覚えておるか?」
「ええ覚えてますよ。それが何ですか」
「これで自分の計画が台無しになった時の対処法が身につくであるな。はーっはっはっは!」
「こっ、このっ、このーっ!」
「残念であったな。ではな、さらばであるぞー」
ゲラゲラ笑いながらジルジオは大公の執務室から走り去った。アルストル大公のハクフは何度も地団駄を踏んで悔しがっている。
ジルジオは勝手知ったる大公府を歩き回り、厨房で勝手につまみ食いをしたあげく、幾つか菓子を孫娘のナーちゃんに食べさせ剣の扱い方なんぞを教えたりした。それを見つけたメイド長が激怒して、箒を振り上げ襲って来たので慌てて大公府の裏口から飛びだすした。
「ひーっ、恐い恐い。ほんと、おっかない」
ようやくメイド長の追撃から逃れると、ちょうど練兵場だった。
その広々した場所の一角では、アクユが息子である現騎士団長に文句を言われていた。面白そうなので様子を見に行く。
「父上。父上がスラムで暴れるものだから、あちこちから非公式の抗議文が騎士団に届いたのですよ。各警備隊や冒険者協会、果ては盗賊ギルドからさえも!」
「非公式の抗議文? そんなもん適当に燃やしちまえ」
アクユは小指を鼻の穴に突っ込んでグリグリしている。
「燃やせるわけないじゃないですか。とにかく、それを受け取った私の気持ちが分かりますか」
「分かるわっきゃねーだろ。お前は他人の心が読めるんか? 読めんだろ。つまり、そーいうこった」
「そういう意味ではありません」
「はーっ、かったるい。あのな、そういうお上品な喋り方はよせよせ。んな喋り方なんぞ戦場じゃ通用せんぞ。もっと肩の力を抜いた方がいいぞ」
鼻から引き抜いた小指を弾き、そこから飛んで来たブツを回避した時点で現騎士団長がキレた。剣を抜いて斬りかかる。だがアクユは危なげなく回避してみせた。
「なんでぇ、その剣筋は。これが騎士団長とか、あー情けねー」
「ぶっ殺す!」
「やれるもんならやってみな。ほーれほれ」
親子で斬り合いをはじめるが、刃と刃が噛み合い火花が散り恐ろしい勢いで剣が交わされる。新参騎士たちが青くなっている横で古参の騎士たちが野次を送り、やがて賭けまで始まった。
ジルジオは肩を竦めた。
「はー、やれやれ。相変わらず野蛮な連中であるな、儂のように素敵でスマートな紳士になれんとは嘆かわしい」
かつてジルジオが真っ先に賭けを始め、もしくは剣を握って参戦していたことは棚に上げだ。年寄りとは都合の良い記憶をしているものである。
ジルジオはぶらぶらと街中を歩いて行く。
「さて、どうするか。しっかしアクユは忙しそうであるからな。一人で冒険者ごっこをするのもつまらん」
だらしない格好で、腰元には剣が一振りだけ。それで果実を囓りながら歩くため、これが前大公とは誰も思わないだろう。完璧な偽装だが、けっこう素の姿だったりする。
「家に戻るのもなぁ……」
引退したジルジオが住む邸宅は、アルストルの街中にある小さな丘の上の小さな森の側だ。かつて妻と出会った懐かしき大切な場所で、余生を過ごすために長年かけ準備してきた住処であった。
良い場所だが、あまりに浸ると老け込んでしまいそうな気もするのだ。
「生まれたばかりのアヴェラを見に行きたいが……カカリアが恐いし」
警備隊からの非公式の抗議文はジルジオも目を通したが――生意気なことに――カカリアの夫であるトレストが差し出したものもあった。つまりそれは、カカリアの意思も入っているということだ。
子供が生まれたばかりで夫の仕事が忙しくなり、その原因がジルジオにあると知っているのだから、カカリアは絶対に怒っている。
ほとぼりが冷めるまでは近寄らない方が絶対に良い。
「ま、しゃーない。スラムの件は、やらねばならんかったであるからな」
ジルジオがスラム対策を急行したのは理由があった。
ハクフの計画していたスラム対策は慎重かつ丁寧な内容だった。計画自体は確かに良いものだったが、悪いことに情報が他に漏れていたのだ。他領や他国が介入しようと暗躍する気配があり、そのままであればアルストル内部に致命的刃を抱える事になりかねなかった。
だからジルジオが知己を集め、他の介入がある前にスラム対策を完了させたのだ。
そしてスラムが潰れ、新しい場所に変わるための建設作業が始まり、燻っていた人材が各所に割り振られ、物が動いて人が動き金が動いている。
後はハクフや若い連中のお手並み拝見というわけだ。
「いやぁ良い事をした後は気分が良いのであるな」
楽しげに笑いながら、ジルジオは馴染みの酒場へ向かった。
「おう女将、生きておるか」
ジルジオは場末のうらぶれた酒場に入るなり声をあげ、ウェイトレス姿の少女たちに気付いて相好を崩した。
少し前に助けた子らで、そのまま酒場で働いているのだ。
「よし、嬢ちゃんたち。儂にエールのジョッキを持って来てくれ。なみなみ注いだやつであるぞ」
「はーい。熱々の肉包み蒸しはいかがですか?」
「それは良い、頂こうか」
商売上手になってきた様子が微笑ましい。
若い娘が働き出したことで店には活気のようなものがある。もう少し年月が過ぎ少女たちが成長していけば、もっと活気に満ちて客も若い連中が増えるだろう。そうなれば、店も長く続くに違いない。
「ふははっ、流石は儂。完璧であるな」
まだぎこちない動きでジョッキを運んできたのは、少女たちの中心だった子だ。将来は結構な美人さんになるだろう。以前のような怯えた様子は消え失せて、今は本来の輝きを取り戻し優しさに満ちている。
「おじ様、どうぞ」
「おうおう、ありがたいな」
「あのっそれで報告が一つあるんです」
「ふむ?」
少女は恥ずかしげに自分のエプロンを握ってモジモジしている。
「あのですね。実は私、聖堂で修行することになったんです」
「ほほう!」
「太陽神様の加護もあるからって、お店のお客様だった司祭様が推薦してくださったんです」
「そいつは目出度い!」
「全部、全部。おじ様のお陰なんです」
少女の嬉しそうな表情にジルジオは心から嬉しくなった。こういった人々の顔を見たいが為に、これまで頑張って大公をやってきたのだ。
「なーに気にする必要ないのであるぞ、全ては嬢ちゃんが頑張ったからである」
「そんな事ないですよ……」
「若者よ前を向き未来に進め。友と仲間を大切にし自分を大事にせよ」
そしてジルジオはエールを掲げ、少女の名を呼び祝福を贈った。
「汝、フィリアの行く道に幸あれ!」
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