二匹が斬る

 大公の執務室は落ち着いた雰囲気で整っていた。派手さはなく豪華さもなく、むしろ地味なぐらいだ。けれど、さり気なく飾られた品々も各分野における名工の一級品ばかり。

 その部屋の主はアルストル大公ハクフ。

 大公職を受け継いで日は浅いが、堅実な仕事ぶりが評価され早くも名君という噂が広まっている。

 静かな環境で書類にペンを走らせ――。

「ふはははっ、はーっはっはっは!!」

 勢いよくドアが開いて入ってきたのは、前大公ジルジオであった。さすがに名君の噂が立つハクフは眉一つ動かさず、ややあって書類から顔をあげた。

「父上、もう少しお静かに」

「なんだなんだ、少しは驚かんか。つまらんのであるぞ」

 ジルジオは偉そうに言いつつ、ハクフの確認する書類を覗き込んだ。

「かーっ、こんな細かい書類まで見ておるのか。大公が細かい所まで気にすれば配下は萎縮する。信じて任せて最後の数字だけを確認すれば良かろう」

「またそんな適当な事を……」

「いや、真面目な話だ。任せねば人は育たぬ。上に立つ者の役目は配下を信じる事である」

「私はそれで苦労させられたのですけど」

「しっかし、その苦労のお陰で引き継いだ後で困っておらんだろ。はっはっは」

 かつての大公ジルジオが好き勝手やって、しょっちゅう不在にした結果、アルストル行政は極めて高度に組織体制が整っていた。

 無論、そこに至る迄の文官たちの苦労と胃痛は並大抵ではなかったのだが。

「とにかく仕事への口出しはお控え下さい」

「おうおう、大公になったからと儂に指図かぁ? 偉くなったもんであるなぁ」

「指図ではなくて、お願いですよ」

 ハクフはペンを置き、改まった態度で立ち上がった。

「いま私がやっている事は、父上からすれば全て物足りなく稚拙に思えるでしょう。幾つかの事は先が読めて、失敗すると分かっておられる事もあるでしょう」

「うむ、たとえばお前がやろうとしている――」

「ですが」

 ハクフは強く言って言葉を遮った。

 その態度にジルジオも鼻白む。

「それが分かるのは、父上が失敗も含め数々の経験をなさったからです。今ここで父上が口を出し、私の失敗を阻止するのは簡単でしょう。ですが十年後二十年後をお考え下さい。失敗を経験していない私は、その時にどうすればいいのです」

「ぬうぅ」

「私から失敗の経験を取り上げないで下さい」

「ふむ……」

「父上には私が致命的失敗をしそうな時に、それが大変な失敗程度に収まるよう、こそっと陰で助力をして頂きたい」

「かーっ! なんたる都合の良いことを言うか。もういい、儂は行くぞ!」

 ジルジオはズカズカと部屋を出て行った。そして廊下に出て後ろ手に扉を閉め、破顔して小躍りしたのであった。


「重畳重畳!」

 ジルジオがジョッキを掲げ声をあげた。

 そこは場末のうらぶれた酒場で、壁は油染みテーブルは古びてガタつき、床には無数の傷があった。殆どいない客も年寄りばかりで、もちろん女将も似たようなもの。あと十何年かすれば客も店も自然消滅しそうな雰囲気だ。

「なんでい、えらく御機嫌じゃないか」

 言ったのはアクユ。

 ジルジオと同じ歳にして幼馴染みで気の合う親友という、もはやどんな性格かは言うまでもない存在であった。

「息子の奴がしっかり成長しておったのである」

「そりゃそうだ、お前よりハクフの方がよっぽど出来た奴だろがい」

「違いない」

 ジルジオはゲラゲラ笑うと、アクユもジョッキを掲げ同じように笑った。

「しっかし、いかん。こうなると暇である。ふぬけてしまいそうであるぞ」

「それな。俺もどうにもいかん、家に帰れば息子の嫁にお父様なんぞと呼ばれて丁寧に扱われちまう。これでは逆に恐縮して大人しくするしかない」

「良い嫁ではないか。しかし暇だ。カカリアのとこにでも遊びに行くか」

「こないだ怒られた言うとったやろがい」

「ちょっと様子を見に行っただけで、怒られたのである」

「どうせ毎日行ったのだろ。ちったあ考えろ」

 アクユは呆れ顔でジョッキを傾けエールを呷り飲んだ。注文の声をあげるまでもなく、年季の入った女将がお代わりをテーブルに置き空になったジョッキを回収していった。

「ハクフをからかって遊ぶのもいかんし、カカリアは恐いし。そうなると暇である……ん? 待てよ。良い暇つぶしを思いついたのであるぞ」

「はぁ、お前の思いつきか。昔もそんなこと言って、素っ裸で街を練り歩いたな」

「葉っぱでは隠しておったぞ。だが、儂のスーパーなブツは葉っぱでは隠れておらんかったがな! うはははっ――ぐあっ」

 笑い声をあげていたジルジオの頭に野菜が命中してた。振り向いて睨むものの女将は素知らぬ顔だ。

「くそっ、なんてこったい。まあいい、暇なんで冒険者をやらぬか」

「冒険者ぁ?」

 ジルジオの言葉にアクユは呆れた顔をした。

「うむ、冒険者である。いろいろ整備して援助もして、冒険者ってのが一つの産業としてなりたった」

「まー昔からは考えられんぐらい、至れり尽くせりやな」

「そうそう、それでカカリアも冒険者になったりしたわけだがな。よくよく考えれば娘が冒険者として登録して儂が登録しておらんのは、おかしくないか?」

「おかしいのは、お前の頭だろがい」

 アクユはついに心底呆れた顔をした。

「やかましい。それよか、外に出てモンスターどもを薙ぎ倒す。街の役には立つし暇も潰せる。こんな処で燻っておるより、よっぽど良かろう」

「まあ……悪くねぇな。だが、やるんなら裸一貫からだ」

「おうおう、それは面白い。装備も一から揃えるってわけか、良いのであるぞ」

 二人は顔を見合わせジョッキをぶつけ、ゲラゲラ大笑いをしていた。


 晴れ渡る空の下。

 初心者向けフィールドの平原では、何組かの冒険者がモンスター退治に勤しんでいた。出現モンスターはミニクィークとクワックが中心で、偶にボアバードやベアウルフと呼ばれる面倒な相手が出る程度。

 転送魔法陣でやって来たジルジオとアクユは大きく伸びをした。

「ふーむ、転送魔法陣ってのは便利であるなぁ」

「昔は歩いて移動したもんだが、こういうのも良いな」

「ま、少々味気ないがな。それより、やっておるなぁ! 初々しいのであるぞ」

「俺らも装備は初々しけどな」

 二人が担ぐのは棍棒。廃材を削って形を整えただけのものだ。姿格好も私服に毛皮を巻いただけ。小綺麗な格好をした若者たちの中では異彩を放っている。

「元大公様とは思えん格好じゃねえか」

「そっちこそ、元騎士長とは思えんであるな」

 顔を見合わせた二人は大声で笑い、辺りの冒険者を驚かせた。

 本当は冒険者養成所から通いたかったのだが、二人の正体に気付いた係員が卒倒しそうな顔になり受け付け拒否されたのだ。

 しかし簡単に引き下がるジルジオではないので、すっ飛んできた所長とをした結果、冒険者としての登録をして貰った。なお所長は心労のあまり長期休暇に入ったが。

「どーれどれ」

 ジルジオはミニクィークの群れを見つけると嬉々として進み、棍棒のフルスイングで撲殺した。アクユも同じく棍棒を振り下ろし叩き潰す。どっちも手慣れている。

「やっぱな、もう少し手応えのある場所のが良かねえか?」

「まあ良いではないか、こういうのもオツである。それに思い出すであろうが、ガキの頃を。街を抜けだし外に繰り出した日々をなぁ」

「そういや、そうだ。覚えてるか? 初めての獲物を捌いて、適当な葉っぱと一緒に煮込んで。腹を減らしたお前が真っ先に喰って」

「あまりの不味さに吐き出したのである」

「だが何か知らんが、二人で張り合って最後までかっ喰らったな」

「あれは最高に不味かった。しかし、最高に美味かったのであるぞ」

「だな」

 二人して顔を見合わせ、次の瞬間に大笑いした。


「よーし久しぶりに最高の飯を食べるのであるぞ」

「いやいや、素材は選ぼうぜ。ボアバード、ボアバードの丸焼き」

「そいつは良い、適当に毟って火で炙るか」

 突如現れモンスターを蹴散らし、好き勝手騒ぐ年寄り二人に周囲の冒険者は呆気にとられている。

 しかし、そんな視線を余所に二人は棍棒を担いでフィールドを歩きだした。

「食い物ついでに、なんぞ美人のお姉さんでも見つけたいのであるな」

「嫁さん一筋だった奴が言うようになったじゃねぇか」

「ふんっ、それはそれ、これはこれだ。お前だって美人のお姉さんを颯爽と助けてウハウハ大喜びってのは楽しみであろうが」

「まあなぁ……っと、ちょいと趣旨は違うが颯爽と助けた方が良さそうだぜぇ」

 アクユは言って前方を顎で指し示した。

 その先にはクワック相手に戦う少女三人の姿があった。年端もいかぬ子供が、木の棒を構え泣きそうな顔で戦っている。だが分不相応な相手に挑んでいるのは明白で、このまま放っておけば死ぬのは間違いない。

 ジルジオの目付きが鋭くなり表情が引き締まった。

「……ちっ! 行くぞ!」

「おうよ!」

 ジルジオは棍棒を手に突進し、今にも少女の一人を啄みそうなクワックを殴り倒した。アクユが追撃し体重をのせた一撃で仕留める。

「嬢ちゃんたち怪我はなかったであるか?」

「あ、あの……」

「もうちっと自分の力量ってもんを見定めて相手を選んだ方が良いのであるぞ」

「……獲物! 私たちの獲物!」

「ぬっ?」

 敵意すらある視線で見つめられジルジオは鼻白んだ。アクユも似たような状況だ。その間に少女たちはクワックの残した素材に飛びつくと、二人を警戒しながらジリジリ離れていき、一斉に逃げ出してしまった。

「ありゃモグリの冒険者であるな」

「ま、そうだわいな。一応は黙認って奴だが……それよかな、お前見たか?」

「見たのであるぞ」

 ジルジオとアクユは静かに顔を見合わせた。

 先程の少女たちの装備は装備とも言えないほど粗末なもので、しかもボロボロだった。そして痩せて髪もボサボサ。そんな者がクワックと戦う事がおかしい。

 そして少女三人の腕や足、顔にまで幾つもの怪我の痕が見られた。

 ただし、その怪我の痕はどう見てもモンスターとの戦いによるものではなかったのだ。強いて言うのであれば人の手で殴られたものだ。

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