第205話 報告するまでがお仕事

 青く晴れ渡る空に一点の黒い染みがあり、それが徐々に大きくなっていく。それは両翼を広げゆっくりと降りてくるドラゴンだった。地表に近づけば吹き荒ぶ風に、草たちが折れる寸前にまで倒れ、木々の枝葉が激しく舞い散る。

 巨大な蹴爪が地を踏むが衝撃などは殆どなかった。

 丁寧に丁寧に着地したドラゴンは赤黒い甲殻の身体で身を屈め、地面に向けて翼を広げた。

 そこをアヴェラたちが次々と滑り降りた。

 山間部の崩壊に転送魔法陣も巻き込まれ、帰るに帰れなくなったのでカオスドラゴンに運んで貰ったのだ。

「ありがとうございました」

「いえいえ、これぐらいお安い御用で。へっへっへ、姉御の旦那さん。これからもどうぞ、お気軽に呼んで下すって頂ければ」

 カオスドラゴンは揉み手しながら言った。

 いつにもまして腰が低いのは、前には広範囲の大地を破壊したからでもあり、今回もまたアヴェラが壊滅させた山間部を見たせいもあるだろう。

 ノエルとイクシマが手を振るとカオスドラゴンも小さく手を振ってみせ、ノシノシと少し移動してから翼を動かし舞い上がった。気遣いの塊のような動きだが、もちろんヤトノに見られているからだ。

「いやはや、助かった」

 アヴェラは安堵の息を吐き、バッサバッサと音を響かせ飛び去るカオスドラゴン――悠然とした動きではなく逃げるような動き――を見送った。

「ここからなら、あと少し歩けば到着だな」

 一行は歩きだした。

「流石にアルストルまで行くと大騒ぎだもんね。うん、ナニア様の時の騒ぎはいろいろ大変だったって聞いてるし」

「忘れられないよう、上空を一周して貰っても良かったかもな」

「それは酷いって思うよ」

 ノエルは笑って大きく伸びをした。

 先頭を意気揚々と進むイクシマも御機嫌だ。

「しっかし空の旅は良いんじゃって。こう、なんと言うかな。高い場所から広い世界を見るってのは、実に気分が良い」

「何とかと煙は高い所が好きって言うが本当みたいだな」

「むっ、その何とかと言うのは何じゃ。いや待て、言わずとも良い。どうせお主の事じゃ。碌でもない事に違いないからの」

「何てことだ、イクシマが僅かに賢くなったぞ。物事を類推して予想できるようになるとは、今日はご馳走にするか」

「やかましい! じゃっどん、ご馳走にはなってやるぞ。ふっふーん。言うたからには、たっぷりと食べさせるのじゃ。我は肉が食べたいぞ」

 してやったりという顔のイクシマであったが、しかし相手が悪い。

「良いだろう。家で食事にするから、お前はテーブルについて威張ってろよ。ノエルとヤトノには母さんの手伝いを頼むとしよう」

「ふえええっ! そんなのって、そんなのって出来るわけなかろうが!」

「皆が働いているときに一人だけ何もしない恐怖を味わえ」

「いや本当じゃぞ! 割と本気で洒落にならんのじゃぞ」

「そうか?」

 首を捻るアヴェラはイクシマが何故そこまで必死なのか理解していない。

「どうしてこう嫌なことばっか思いつくん!? せめて野営の時にしろよー!」

 イクシマの声が辺りに響く。

 上空にいた間に見つけておいた街道目指して平地をすすみ、やがて街道に出るとアルストルの方角へと進む。わいわい楽しく騒いでいれば、どんな道も大した事はなかった。


 夕方前にはアルストルに到着した。

 ノエルはアヴェラの自宅に向かい帰還の報告と夕食の準備を、イクシマはコンラッド商会に向かいニーソに連絡を、それぞれ動く。

 そしてアヴェラはケイレブの元へ向かった。

「居ます?」

 言いながらアヴェラはドアを開けた。指導教官に与えられた専用部屋で、本来であればもっと恭しく丁寧に伺うべき場所だ。しかし相手が相手で、もはや親戚みたいな感覚である。

 そもそも今回のゾンビ騒動はケイレブの依頼なので、余計に遠慮がない。

「居るよ、とまあ顔を見ながら言うものではないと僕は思うがね」

「奇遇ですね。同じことを思っていますよ」

「そいつは良かった」

「ですね」

「ま、座りたまえ」

 和やかな会話をして応接用のソファに座る。奥の書斎テーブルからケイレブも出てくると向かいに座るが、それまで摘まんでいたらしい木の実の入った皿を間のテーブルに置いた。

「知り合いに貰った炒り豆だが、なかなか美味しいものだよ」

「携帯食に向いてます?」

「湿気りやすいのでどうかな。軽く塩を振っただけだが、どうだいイケるだろう」

「確かに」

 アヴェラは少し貰うが、ヤトノは遠慮なく手で掴む。ただし、一粒ずつ摘まんで食べるのは同じだ。

 しばらくパリポリ豆を囓る音が響く。

「で? どうだった」

「いやもう教官の勘が大当たりでしたよ」

「ふーん」

 またパリポリと豆を囓る音が響く。

「行方不明者は既に死亡してます。詳しい話は省きますが、碌でもない事をした奴がいまして。あちら方面は全滅ですよ」

「全滅か」

「ええ、全滅です」

 全員がゾンビ化したので全滅は間違いないだろう。

「そいつは厄介だ」

「厄介でしたよ」

「調査班を送った方がいいかな?」

「止めた方がいいかと。伝染病みたいなものが蔓延したので、下手に近づけば他の地域に広がる可能性がありますんで。ちなみに、こちらは大丈夫ですけど」

「まあ、そこは心配してないよ。伝染病の元締めみたいな存在もいるのだからね」

 ケイレブが視線を向けた先で、ヤトノはニッと笑ってみせた。災厄神として疫病もまた関係している。むしろ誇らしげで、小威張りさえしているぐらいだ。


「ちなみに、あちら方面の転送魔法陣が死んだようだが。それもかな」

「ええ、勿論です」

 実際にやったのはアヴェラの魔法なのだが、そこはシレッと頷いている。

「寸前で命からがら帰った者の話では、何やら山が壊れたそうだが。それも?」

「勿論です」

「そうしておこうか」

 ケイレブは苦笑気味に笑った。勘の鋭い上級冒険者なので、大凡のことはお見通しなのだろう。とは言え、そこを細かにつつくような性格ではない。むしろ面白がっているぐらいだ。

「行方不明者も、それに巻き込まれた事にしておくか」

「モンスターに敗れたのではなく?」

「その場合は自己責任だが、災害に巻き込まれた場合は見舞金が出るからね。遺族がいれば多少なりとも生活の足しになるだろうさ」

 厳密に言えば虚偽報告だが、それを証明する者はいない。上級冒険者が白と言えば白になるわけで、そしてケイレブは清濁併せ呑み、規則は最大限有効活用する性格なのだった。

「アヴェラへの報酬も、かなり危険度が高いクエストだったと報告しよう。実際、危険だったのだろう?」

「とーっても危険でしたよ」

「それは大変だ、手当を弾まねば。ただ申し訳ないが、今日の明日で支払えないよ。なにせ若干手続きに時間がかかるからね」

「構いませんよ」

 外部からの依頼であれば組合が報酬を預かっているため即金で支払われる。だが内部からの発注は決済処理に時間がかかるという、まさにお役所仕事だ。

「それほど、お金には困ってませんから」

「羨ましいね。こちらは子供関係でお金が必要でね」

「いっそ依頼を受けたらどうです?」

「そうしたいが、僕が動くと大騒ぎだからねぇ……」

「まあ上級冒険者が動くとなれば、誰だって大事件と思いますからね」

 大事件が発生すれば上級冒険者の出番で報酬も桁違いだが、その頻度は小さい。さりとて下位の仕事を受ければ変な勘ぐりもあるだろうし、下位の者の仕事を奪うような事になってしまう。

 その辺りを考えると上級冒険者は名誉で社会的地位は高いが、稼ぎは中級冒険者の上位層と大差ないかもしれない。普通の上級冒険者は権力と特権を振りかざし上手いこと儲けるものだが、ケイレブがそんな事をするはずもない。

 ケイレブが更に手を伸ばすものの、その炒り豆はヤトノが素早く奪い去った。

「やれやれ困ったね。追加で何か用意しようか?」

「いえ、大丈夫ですよ。今日は家に帰れば帰還パーティーでしょうから」

「なるほど。君を満腹にさせてしまっては、後でカカリアが恐いね。早いところ帰りなさい。お疲れだったね、ありがとう」

「こちらこそ」

 アヴェラとケイレブが手を挙げ挨拶する横で、ヤトノは最後の炒り豆を口に放り込んだ。ちょっぴり物足りなそうなのは、いつもの変な厄除けが出なかったせいかもしれない。

 しかし機嫌良さそうなアヴェラに、ヤトノは直ぐ笑顔になった。

 二人は手を繋ぎ家路を急いだ。

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