第204話 お片付けは水洗い

 森に囲まれたゾンビ彷徨く静かな庭園。

 小さな池の水面がさざめきだすと、その池の底面部が左右に割れ、全ての水がそこに流れ落ちていった。水が落ちきると、割れた底面部から四角い箱が迫り上がった。

 箱の一側面が開きアヴェラが姿を現す。

「地上階に到着だな」

「なるほど、こうなっているのですね。面白いです」

「池の底から出るとは……上須賀も案外と趣味が良かったのかもしれないな」

「はい?」

「いや、どうでもいい話さ」

 アヴェラは頷きながら箱を出て地面へ降り立った。追いかけてきたヤトノが腕にしがみつくので、それを持ち上げて遊んでいる。

 しかし続けて姿を現したノエルとイクシマは軽く足をふらつかせていた。

「なんだか気分が……」

「うむ、ふらふらするんじゃって」

「なんで部屋に入って出たら庭なんだろ。はて、これは一体?」

「もしや転送魔法陣だったんか」

 どちらもエレベーターという概念すら知らないため戸惑っている。そして急激な気圧変化と昇降感によって目眩がしているらしかった。

 とは言え、地上に出てゾンビを見ながら深呼吸をしている。

「やっぱ穴蔵なんぞより地上がいいんじゃって、こうして深呼吸すると――」

「芳しいゾンビの香りか?」

「やかましいっ! なんで、そういうこと言うん?」

「これはどうも失礼」

 アヴェラは肩を竦めてみせたが、そこに申し訳なさは欠片もない。それが分かるイクシマが目を怒らせようと、全く気にした様子もなかった。

「それよりもだ、まずはどこかで水浴びできればな」

「水浴びぃ? お主は何を言うとるんじゃって。悠長すぎやせんか」

「何と言うかだな……つまり衣服や髪にウィルスが付着した可能性があるので衛生管理のため身体を洗っておきたいんだ」

「は?」

 イクシマは小首を傾げて不思議そうだ。金色の髪が靡いて可愛い感じだが、しかしアヴェラは思案顔をしながら頷いた。

「ああ、イクシマの水準に合わせて言うとだな。ゾンビ汁でばっちいからお手々を洗いましょうってわけだな」

「なんぞ馬鹿にされとる気がするんじゃが」

 イクシマの疑問はもっともだった。

 言うにしても、もう少し言い方というものがあるはずだ。姫に対するような――いちおうイクシマもエルフの名家の三の姫でもある――丁寧さとか恭しさとか。アヴェラは優しげな口調だったが、どうにも優しすぎる。まるで子供にでも接するような言い方だったのだ。

「お主はもそっと我に対する態度を改めるべきじゃって思うぞ」

「へーいへい」

「それじゃ、それがいかん。そこはな、畏まりましたとか言うべきじゃろが」

「畏まりました」

「……なんか腹が立つんじゃ」

 イクシマは呟いて軽くアヴェラの足を蹴ってみせた。


 これで依頼は片付いた。

 通常の依頼とは違ってケイレブから直接頼まれた依頼のため、アルストルの街に戻って完了と伝えて多少の事情を説明するだけで良い。証拠もなにも必要なく、そこは信頼関係で理解して貰える。

 ただし、まだやる事があった。

「まずは証拠隠滅せねばな、あいつの居た痕跡は一つも残せない」

 地上にある屋敷もだが、地下にあるダンジョンは特に消し去る必要がある。最後に利用したエレベーターなど以ての外。そうした余計な知識は害悪にしかならない。なお民主主義などという余計な知識は上須賀自身が消し去っている、それを知った者たちゾンビに変えたという形でだが。

 承認欲求の強そうだった上須賀が、存在の痕跡すら残せないのは皮肉に過ぎる。

「さて、どうやるかな」

「魔法は駄目じゃぞ、絶対魔法は駄目なんじゃぞ!」

「つまり魔法を使えと言うのだな?」

「誰もそんな事は言っておらんじゃろが」

「いや、そういう意味だろ」

「なんでそうなるんじゃあああっ!」

 イクシマが叫んでゾンビが寄ってきて、それを倒してひと息つく。

「くそっ、イクシマのせいで手間がかかる」

「我か!? 我が悪いんか!?」

「当たり前だろうが、諸悪の根源」

「やかましいいいっ!」

 イクシマが叫んでゾンビが寄ってきて、それを倒してひと息つく。

「あのな、ちょっとは学習しろよな……」

「くっ……このっ!」

「ゾンビのほうが学習能力があるかもしれないな」

「ぐぬぬぬっ!」

 イクシマが叫んで……しまう前に、ノエルが口を塞いで黙らせた。それでイクシマはフガフガ言いながら文句を言っている。

 ただしノエルが軽く叱るような顔をした。

「今のはさ、アヴェラ君も悪いって思うよ」

「いやぁ、それはイクシマって弄り甲斐があるから」

「アヴェラ君?」

「分かった、以後そこそこ多少はちょっと気を付ける」

 注意されたあと、アヴェラは真面目に証拠隠滅の方法を考える。やはり魔法が一番だ。ダンジョンの破壊もだが、まだ未発見の残留物があるかもしれない。そうなると、やはり辺り一帯を破壊する魔法が必要だ。

 隕石は駄目だろう、炎の矢もマズい、ゴーレムをつくればきっとゴーレムのつもりで来てしまいそうな金色の存在がいる。

 考えていると徐々に面倒になってきた。


「あの上須賀め、本当に面倒だな。もういい、とりあえずダンジョンだけでも破壊しよう。下手に埋めるよりは水没だな。海神の加護、オープンザゲート」

「御兄様!?」

「いや、この魔法なら文句も言われてないし構わないだろ」

「まあ構いはしませんけど」

 ヤトノは黙っていた、太陽神が気付いて悲鳴をあげたことを。今の今まで腐敗の神レラージェのやらかし対応で、そこに気が回っていなかった太陽神が悪いのだ。

 何も悪くない。

 しかし、強いて言うなら間が悪かった。

 いまは多くの神が注目している最中。そこで呼びかけられ力を求められた海神が得意満面、大いばりになって張り切ってしまったのだ。そして海神は雄大な海であるため良く言えば豪放磊落、悪く言えば大雑把で適当。

 故にアヴェラがダンジョン内に呼び出した門から大量の海水が溢れ出た。

 海水は瞬く間に内部を満たした。

 本来であれば地上に噴出するところだが、アヴェラに害を及ぼしそうなのでヤトノが抑えた。結果、行き場を失った海水は地中へと浸透していくしかなかった。

 なお大規模な土砂災害である地滑りや土砂崩落は、地中の粘土層と岩盤層の間に水が入り込み、その水圧によって浮き上がった土塊が動き出す現象である。

「ん?」

 アヴェラは足元が細かく震動している事に気付いた。地中からは雷鳴のような重低音が響き、付近の地面には次々と亀裂が広がり木々が傾き倒れだした。

「何だ? 変な音が――」

 言う間にも足元の震動は激しくなり立っている事も難しくなりだした。ここに居ては非常にマズいという事は考えるまでもなかった。

「普通に逃げるのは難しい、ヤトノ掴まれ。風神の加護よ飛べ、トベテーション!」

 アヴェラはノエルとイクシマを両脇に抱え、さらにヤトノを足に掴まらせて空中へと待避。直後、それまでいた地面が動きだした。

 震動とかいったものではなく、正しく横に動きだしたのだ。

 それは地すべり。しかも表層ではなく地中奥深くで発生した大規模な深層崩壊である。大轟音と共に山が丸ごと動いて別の山へと激突。衝撃によって更なる地すべりや土砂崩壊が各所で誘発される。そこに溢れ出した大量の水が流れ出すが、崩壊土砂の天然ダムに溜まっていき、やがて決壊。

 山中に突如として発生した大津波が下流の全てを押し流していく。

「「「…………」」」

 足元で起きた壮大にして壮絶で破滅的な土砂災害にアヴェラたちは声もない。

「おや、海神と大地神が言い争ってますよ。ほんと見苦しいんです」

 ヤトノだけが楽しげに笑いつつ、押し寄せる風圧を払いのけていた。

「あー、お主。さっきのゲートとかって魔法はもう使うんでないぞ。洒落にならん。いいな、絶対じゃぞ。我との約束じゃぞ」

「私もその方がいいって思うよ。間違いなく、うん。私とも約束なんだよ」

 抱えた二人から――静かに穏やかに諭すように――言われてはアヴェラも素直に頷くしかなかった。

 しかしこれによって上須賀の創り出したものは、完膚なきまでに粉砕され欠片も遺さず消滅している。もちろんゾンビの類もほぼ大半が消滅していた。作業が軽減された腐敗の神には感謝されているかもしれない。

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