ベイビー・ケイレブⅣ
それっきりジルの姿は見ていない。
あの商人コンラッドは、お礼だと言って大量の食料を届けてくれた。
門兵の皆は前よりも優しくなり、まるでケイレブが仲間であるように扱ってくれる。さらに門前で暮らす人々も一定の敬意のようなものを持って接してくるようになった。
だから悪くない生活だ。
「そらそら、まだ構えが甘いぞ」
オグロが言って棒を振るい、ケイレブの構えた棒を叩き落とした。衝撃で手が痛くなるほど痺れる。しかし、ジルから受けた一撃のお陰で気にもならない。
稽古は楽しい。
誰かと共にいられるし、何より自分が学んで成長している実感があった。それに何より頑張れば褒めて貰える。あとご飯も美味しい。
「すっかり兄貴風を吹かすようになったじゃないか、オグロよ」
「そりゃもうね、俺はケイレブの兄貴なんでね」
「はっ、だったらな。こっちはケイレブの親爺ってとこだな。それよりいいのか? 交替時間だぞ」
「あっ! 忘れてたって!」
「隊長が怒ってたぞ、急げ」
言われてオグロは大慌てで素っ飛んでいく。
「やれやれだな。それよかケイレブ、今夜使う薪を集めてくれ」
「分かった、行ってくるよ」
ケイレブは稽古に使っていた棒を腰に差し薪拾いに行く事にした。それは門兵たちが夜を明かすのに使うものだ。予算とか経費とかの関係で節約したく、買うより駄賃を払って集めさせた方が安いそうだ。
お陰で金が稼げて嬉しくもある。
「行ってくるよ」
その言葉が言えるのは帰る場所があるからこそで、とても嬉しい。
前は一人で林の中に行くのに不安もあったのだが、今はそれほどでもない。皆に鍛えられて少しは戦えるようになっているし、大声をあげれば助けが来てくれる。
放浪していた時と比べれば、どこまでも幸せだった。
だから皆の役に立ちたく、そして役立つところを見せたくて一生懸命に薪になる枝木を拾い集めていく。縛って束にして自分の背丈ほどの量になったそれを背負う。
そして戻っていくと、騒動が起きていた。
ただし騒動と言っても何か危険な事が起きているわけではなさそうだった。
門内より武装した騎士一行がやって来た。
正式な装備に身を固めアルストル領旗を掲げた物々しい姿に、また何か戦乱でも始まるのかと、辺りはざわつき緊張した。だが、一行は門前を塞ぐようにして広がる。
そして正装をした上級騎士が胸を張り前に出た。
「これより門外の者共に、大公閣下よりの布告を告げる。謹聴せよ!」
皆が固唾をのんで見守るなか、上級騎士の元に従卒が書状を捧げ持って差し出す。それを受け取り、封をきって恭しい仕草で広げ、身を反らし気味に堂々とした態度で読み上げだした。
「本日、この通告をもって門前通過に要する通行証は廃止するものとする。通行にあたっては従前の通り、身元確認と目的を確認する検問のみを行うものとする」
あっさりとした内容だが、辺りに控えていた人々は大きな歓声をあげた。手を振り上げ跳びはね、互いの肩を叩き抱き合い、笑い叫んでいる。
人々はさっそく門を通過しようと詰めかけ、門兵たちが慌て身構える。
だが騎士一行が協力し睨みをきかせたお陰で、混乱は最小限だ。流石に武装した騎士たちが居並べば威圧感があって迂闊なことはできやしない。人々は大人しく列をつくって並びだした。
さっそく門を通過する人々の検問が行われ、次々と人が通過していった。
ただし、上級騎士は主要な門兵を呼び寄せた。そのまま門前から少し離れた場所へと移動するが、こちらにはこちらで通達があるらしい。
「組織改正決定を通知する、門兵については規模を縮小。合わせて大公直下における所属を解除、第一警備隊の所属とする」
隊長のエイフスやトダイなどは顔を見あわせ困惑した。今の内容では事実上の降格人事、今までの頑張りを無視されたような扱いである。
そんな不満は目に見えており、通達に来た上級騎士は軽く笑って続けた。
「なお、現在の門兵小隊長は適正なる職務遂行と優れた行動を認め、従七位から正七位へと昇格、これを第三警備隊隊長へと転属させるものとする」
エイフス隊長は目を見開いた。
位階の昇格など滅多にないことで、エイフス家の家伝に記されそうなぐらいの出来事である。
もちろんトダイや他の者も手を握り喜びの声をあげている。
一応は全員がエイフス家の雇われという立場で、こうした転属の場合は当然だが全員まとめて異動する事になる。つまりは、全員まとめての昇格に等しい。
ざわつくなかで上級騎士は小さく溜め息をつき、今度は同情の顔で続けた。
「ただしこの指示については、立たむ月になった時点から有効とする」
「おいおいおい、急すぎるぞ……」
立たむ月とは次月を意味する。
そして今は、既に月半ば。残された日はあまりないが、その中で職務を遂行しつつ引継ぎ資料を用意して、逆に引継ぎを受けて配下の調整をもせねばならない。
つまり、とんでもなく大忙しになる。
「あー、なお大公閣下よりの私信を伝える……頑張れ頑張れ、以上」
「あの野郎が」
無礼な呟きではあったが、伝令の騎士は聞かなかった事にした。微苦笑しているため、どうやら同類相憐れむといった心境のようだ。
そしてケイレブは所在なく立っていた。
門は開かれた、だが同時に自分の居場所がなくなった。街には入れても、自分はまた一人きり。住む場所も食べる物も自分で探さねばならないし、お金を稼ぐ方法も考えねばいけない。
だが、それも少し前には当たり前の事で――。
「ケイレブ。良かったじゃないか、これで街に入れるぞ」
トダイがやって来たが、何やら視線を逸らしている。
やはり、お別れという事で気まずいのだろう。せめて最後は笑顔で別れたいと、ケイレブは気にしていない素振りで笑った。
「うん、そうだね。まっ、あれだよ。街で何かを探して頑張ってみるよ」
「それなんだがな……俺の家に来ないか?」
「え?」
「俺の家で暮らさないかって事だ。親爺もお袋も日中は暇をしているし、家に誰かがいてくれた方がありがたい。これからどうするのか、それを決めるにしてもだ。俺の家でゆっくりと考えればいい。ゆっくりとな」
「え……」
街を見やったケイレブの目には、大きく開かれた門の姿があった。まるで自分を迎えてくれているようでもあり、そして歩むべき未来のようにも思えたのだ。
・・・
・・
・
「いろいろあったな」
ケイレブは古びた外套の中で腕を組み、足を組み直した。
あれからトダイの家で世話になった。しばらくしてトレストと出会ったが、互いに馬が合わず殴り合いの喧嘩に発展。それから親友になって冒険者になって、いろいろあって今に至る。
トダイは今でも親父であり、アルストルの騒動さえなければ、ここに駆け付けていたに違いない。もちろんオグロとも親交がある。
あれからジルには会えていない。
何となく知り合いの一人にイメージは重なるが、その相手には敢えて尋ねていない。ジルはジルで、他の誰でもないのだから。
ひと通りの考えが終わってしまうと、急に落ち着かない気分になってきた。
思ったよりも時間がかかっている。
治療院の廊下の天井を見上げるが、その端に小虫が見えて落ち着かない。視線を下げて廊下を見れば、何人かが立ったり座ったり動いたりで、余計に落ち着かない。
「…………」
だから足音がした時は、即座に鋭い目を向けたぐらいだ。上級冒険者の眼力に治療院の治療士は驚き怯んでさえいるぐらいだ。
「ああ、度々すまないね。ついピリピリしてしまった」
「大丈夫ですよ。それよりもですね」
治療士は最高の笑顔をみせた。
「お父さんを呼んできて欲しいと頼まれましてね。皆さん待ってますよ、もちろん産まれたばかりの子供たちも」
「!」
ケイレブは跳ねるように立ち上がった。
案内されるまま歩いて行くと、話を聞いていたらしい周りから自然と拍手が湧き上がる。皆、ケイレブたちのことを気に掛け見守ってくれていたのだ。
照れくささと嬉しさに突き動かされ、笑顔と早足で通り過ぎる。
案内された部屋には、二つのベッドが並べられ疲れきった顔の妻たちが互いに手を繋ぎ横になっていた。傍らには二人の嬰児を抱いた産婆の姿がある。無事同時に産まれたらしい。
ぐっと込み上げる感情を堪えケイレブは笑い、
「二人ともありがとう、よく頑張ってくれた」
疲れ切った顔の妻二人を
まだ触れさせては貰えない、だから見るだけだ。
産まれたばかりの姿には尊さがあった。命という奇跡が目の前に存在し、庇護し慈しみたい気持ちが込み上げてくる。それが自分の子ともなれば、奇妙な感慨もあって背筋がぞくそくする。
そして手渡された我が子を抱く二人の母の姿は、この世で最も清らかであった。
二人は顔を見あわせ静かに微笑みあい、同時に呟いた。
「「この子に幸せが訪れますように」」
その瞬間、ケイレブは目に見えぬ拳に頭を殴られた気がした。
唐突に思いだしたのだ――あの日あの時あの暗い森の中。自分を抱きしめ命を落としつつある母が最期に呟いた言葉。
それは間違いなく、今の言葉だ。
ケイレブの両頬を涙が次々と伝い落ちていく。
これまでの人生で苦しい事も辛い事もあった。だが挫けずにいられたのは、その母の言葉が心の奥底にあったからに違いない。そして多くの人に助けられながら生きてきて、今ここでこうして我が子に対面している。
「きっとそうなるさ」
ケイレブは言って鼻をすすった。
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