◇第十五章◇
第191話 頼まれ事は素直に受けましょう
上級冒険者の社会的地位は高い。
モンスターの脅威に怯える人々にとって信頼と安心を委ねられる相手であり、ちょっとした貴族と同列に扱われ、冒険者にとっては夢と憧れを体現した存在である。
「えっ、嫌ですよ。そんなの」
アヴェラは上級冒険者のケイレブに平然と言った。まるで遠慮も無い。敬うどころか、近所の知り合いにでも接するような態度だ。
応接用テーブルを挟んだ向かいのケイレブは肩を竦めた。
「少しぐらいは検討して欲しいものだがね」
「なんだか面倒そうな話ですから、他に頼んで下さいよ」
「そこを何とか頼みたいのだが」
「むしろ自分でやればいいのでは? だって上級冒険者なんですから」
アヴェラは短めの黒髪を掻き面倒そうに息を吐く。
チュニックにソフトレザーを少し用いられた装備は、よく使い込まれているが手入れもしっかりとされたもの。誰がどう見ても、新進気鋭で絶賛活躍中の若手冒険者だと分かるだろう。
それにしては上級冒険者に対する態度は雑だ。
今もテーブルにある皿から遠慮なく干し芋の欠片を摘まんで、ひょいと口に咥えて噛んでいる。大きく開かれた窓から景色を眺め、どこからか聞こえてくる魔法実験の小爆発と悲鳴に耳を傾け、すっかり寛いでいた。
むしろケイレブの方が下手に出ている。
「御言葉だがね。君が思っているほど上級冒険者も暇ではないよ。市長や協会長との会議もあるし、他の職員との打合せもある。しかも講義もせねばならんし、その為の資料作りもある。僕だって早く帰りたいよ」
「あんまり冒険者らしくないですね」
「実はそうなんだよ。上級冒険者の生活がこんなだったとは……」
罵ったケイレブは干し芋を摘まむと、口の中に放り込んで噛みしめた。
しかし、所詮は成功者による贅沢な愚痴というものだ。
「現実って、そういうものですよ」
「いやに達観した事を言うね。だが、君も上級になって同じ苦しみを味わうといい」
「上級冒険者になれるとは思いませんが、先達の背を見る限りは遠慮したいです」
「なに、遠慮は不要だ。僕が推薦してあげよう」
雑談のような雰囲気で、指導関係にあるとは到底思えない。
それも当然で、ケイレブは若い頃にアヴェラの両親であるトレストとカカリアと共に冒険をしていた。だから、どちらも親戚のような感覚で話をしている。しかも、つい先日には子供の誕生祝いで盛大にお祝いしてもいるのだ。
とても気安い。
「ああ、話が大幅に逸れてしまったね」
ケイレブは腕組みをして天井を見上げ言った。
木目の綺麗な板が整然と並び、幾つかの節と合わせ綺麗な模様となっている。庶民の暮らす家などでは見られない豪華な造りだ。壁も丁寧なつくりで、入り口脇に吊してある古びた外套以外は上質なものばかり。
「改めて頼むが、行方不明者の捜索を依頼したい」
「改めて言わせて貰いますが、嫌ですよ。だって、そういうの珍しくないでしょう。フィールドに出たら自己責任、モンスターの返り討ちにあうのは当然ですから」
「確かにね。だけどね、同じフィールドで複数の冒険者が戻って来ないのだよ」
「厄介なモンスターが出現した可能性もありますね。それなら上級冒険者とまでは言わないでも、それに近い実力と実績のある人に任せてはどうです?」
アヴェラは言い募って、口先を軽く尖らせた。
ただし本人は認識していないが、今のアヴェラたちは中堅冒険者に数えられている。しかもピンからキリで言えばピンの方であった。
「だからこそ君に頼むのだがね」
ケイレブは干し芋を摘まんで噛みしめた。
「組合はこの件を大した事がないと軽視している。理由は君が言ったとおりだよ。だが、どうにも最近はきな臭い。そして僕の勘が告げている、これは何かあるだと」
「はぁ、勘ですか」
「アテにならないと思うかな」
「いいえ、ケイレブ教官の勘なら正しいかと」
勘とは状況を読み取り、その状況に対する最適な判断をもたらすもの。それは長年の経験を積み重ねた上で生じてくる。上級冒険者として数々の危機を乗り越えてきたケイレブの直感であれば、その精度はかなり高いだろう。
ただし骨董品などに関する勘は、全く信じられないが。
「嬉しい事を言ってくれる。だけどね、僕が動けば問題が大きくなってしまう。なにせ、これでも上級冒険者だからね。悔しいが上級であるが故に動けないのさ」
「立場ってのも厄介ですねぇ」
「その通りだよ」
「他の中堅処に頼めないのも、動かすと目立つって理由ですか」
「いや……そちらは、あれだね。他の教官の派閥と言うかね。まあ、僕は上級冒険者になって日が浅い割りに、市長に目を掛けて貰っている。つまり、そういう面倒な事情を理解して欲しいのだよ」
「ますます上級冒険者は遠慮したいですねぇ」
どんな世界のどんな場所であろうと、意志ある者たちが集まれば、そこには軋轢が存在し互いに牽制しあうという事だ。
現実とは哀しいものである。
アヴェラの隣で長い黒髪が揺れ、白い神官着のよう衣装の少女が身を乗り出した。幼さの残る顔立ちに相応しい、柔らかな肉付きの腕が伸ばされ、ワシッと干し芋を掴んで口元に運んだ。
そうしてヤトノが干し芋を囓る様子は小動物的な可愛さがある。
しかし、細められた目の鋭さは尋常ではない。
紅い瞳は恐ろしいぐらいに冷たく、どこか超然とした強い光を宿していた。
「さっきから聞いていれば何ですか。御兄様を呼びつけたあげく、愚痴や言い訳ばかり。ちょっと失礼なんです」
「やれやれ、珍しく静かで大人しいと思ったけどね。蛇娘は相変わらずだね」
「しゃーっ! 誰が蛇娘ですか、なんと無礼な。呪いますよ!」
「ふっ、今日こそは問題ない品があるのだよ」
まるで待ち構えていたぐらい――いや実際待ち構えていたのだろう――に笑い、ケイレブはウキウキしながら椅子の後ろから一枚の石版を取り出した。
何かの生物が彫り込まれているが、出来の悪い人魚が直立するような姿だ。
「はぁ? なんですそれは」
「厄除けのアマベー様の石版だよ」
「はあ……?」
「遠い異国の伝承によれば、災いが起きた地に現れ人々に伝えたそうだよ。もし再び災いが起きれば、我がアマベーの姿を描き人々に見せよとね」
ケイレブは石版を抱えながら説明している。
目を輝かせ嬉しそうだが、まるっきり自分の宝物を見せたがる子供の状態。ケイレブは冒険者としては超一流だが、変な品を見つけてくる事にかけても超一流なのだった。
冷ややかな目のヤトノは石版を見つめた。
「これを災い避けの品と、言いたいのですか」
「遠国の品でね、なかなか高かったよ」
「いろいろ言いたい事はありますが……」
ヤトノは小さくこめかみを揉んだ。
分霊とはいえど厄神が心底呆れている。
目には見えぬ神々の気配が分かるアヴェラには、数多の神々がケイレブを感心している事が感じられた。厄神を呆れさせたのは偉業に違いない。
「あのですね、まともに考えてごらんなさい。それ、単に見せろと言ってるだけじゃありませんか。どこに災い避けの要素があると言うのです?」
「言われてみれば……いや、待ってくれ。伝承される間に、抜けたのではないかな」
「抜けてるのは、貴方の頭なんです。なんにせよ、それは変哲もない石の板で何の意味もありません。どうせ、どこぞの零落神が自分の認知を高めようと小賢しくも地道な宣伝活動を……ああ、それは言わぬ方が良いですね」
紅い瞳に力が込められると石版はサラサラと崩れていく。
「あああっ、これは高かったんだ。止めてくれ、話し合おうじゃないか!」
「知った事ではありません」
慌てふためくケイレブの様子に、ヤトノはとても嬉しそうだ。再び干し芋を手に取って、ひと際美味しそうに囓っている。
砂を握りしめ茫然とするケイレブが哀れすぎて、アヴェラは囓っていた干し芋を呑み込み、嘆息しながら言った。
「とりあえず引き受けますよ」
「何てことだ。来月の小遣いまで突っ込んだものが……」
「聞いてますか?」
「ああ、すまない。引き受けてくれて感謝するよ」
「それより、早く帰宅した方がいいと思いますけど。お子さんが生まれたばかりでしょう。そういう時に側に居て手伝わないと後々大変ですよ」
その前に変なものを買って散財するのを止めるべきだろうが、流石にそこまで言う気は無かった。
「大丈夫だ、僕が親とも思っている人とその家族が側に居てくれている」
「ああ、そういうのが良くないんですよね」
アヴェラは前世の知識を元に、産後に家族を顧みず仕事に没頭した男たちの悲惨な末路を余りあるほど語り続けた。ケイレブの顔色が見る間に悪くなり、額には冷や汗が流れ口元を戦慄かせている。
「ま、まさかそんな! 僕は家族の為にと! 皆の生活を支えるためにと必死に頑張っているつもりなのだよ!」
「そういうのが駄目ですよ。女性という存在は共感を求めるものであり、大変な時に側にいてくれることを評価するわけです。あ、もちろんだからと言って収入が減るのも良くないそうですけど」
「僕にどうしろと!?」
「さあ?」
アヴェラは首を傾げた。仕事と家庭の両立など現実的には不可能な事をどうやるべきなのか、その正解は前世の様々な事例でも具体的なものは何一つなかった。
しかもアヴェラは前世では天涯孤独だったので、さらに分からない。
「でも本当に家族のことを思うなら側に居るべきなんでしょうね。失ってからでは遅いですから」
「……ああ、そうだね」
ケイレブは額を押さえて天井を見上げた。
「そうだった、分かっていたはずなのに。どうやら僕は思い違いをしていたようだ。苦しいときこそ側にいて支えねば。ありがとう感謝する」
「いえいえ。それでは、そのフィールドを調査してきますよ」
アヴェラは干し芋を口に放り込み、それを味わいながら立ちあがった。
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