ベイビー・ケイレブⅡ

 既に日は暮れ、空には月輝き星散りばむ夜の時間。

 都市は人と共に眠りにつき、静けさと共に寒さが辺りを漂うばかり。

 ただし都市と郊外を隔てる場所では少しばかり違ってくる。城門や城壁では篝火が焚かれ侵入者に備え訪れる者を警戒し、夜になっても熱気を持って備えているのだ。

 こうした防備に携わるのは、兵士の中でも優れた者たちである。

 特に城門を任される門兵ともなれば、文武両道のエリート。

 ただし素直でお上品な連中は貴族に引き抜かれるため、大体にして一癖ある者ばかりが残っているのだが。

「あいつだけど、なんか凄くないか?」

 そんなエリート門兵の、トダイは困惑と驚きと呆れの混じった顔をしている。

「俺の教えが上手いのはあるが、直ぐに基礎を身に付けやがった。しかも時々、侮れん動きをみせる時もある」

「確かにな。組み手をやらせても何と言うか……妙に上手い」

「あれは将来凄いのになるかもしれん」

 見張りをしながら眺めているのは、槍を振り回す少年の姿だ。

 小柄で体つきも細いため槍に振り回されている感はある。それでも、習い始めて数ヵ月とは思えない動きをみせていた。

 その少年の名をケイレブという。

 ある日、この門に流れついて居着いた子である。

 最初に見たときは目に輝きもなく疲れきった様子で、あまりにも哀れに思ったエイフス小隊長が直々に城門近くの休憩小屋まで案内してやったぐらいだ。

 あまり期待せずに仕事を与えてみれば、これが熱心で真面目な働きぶり。

 施しの食事だけでは少なかろうと、ちょくちょく食べ物を差し入れてやれば、きちんと礼を言って受け取り、隅っこに行って食べるのだ。きっと両親の教えが良かったのだろう。

 それが今では、ここで独りでいる。

 何があったかは想像に難くなく、それが哀れで健気で何か泣きたいような気持ちになってしまい、門兵の皆が自然とケイレブ見守るようになった。

 だからケイレブが金を巻き上げられた時は、門兵一同で馬鹿な連中を痛めつけて制裁を加え、小隊長は家から回復薬を持って来た――その下手な嘘を今でも皆にからかわれている――ぐらいだ。

 そして目の届く場所に置くため、武術や学問を教える事にすれば飲み込みが早く予想外の才能の片鱗をみせているのであった。


 門兵たちの仕事は緊張と退屈の両方が混在している。

 城門を出て直ぐに荒野になるわけでもなく、その先にもぽつぽつと住居があって集落めいたものだってある。林もあれば畑もあって、そうした見晴らしの良い景色の中を街道が貫いていく。

 それを眺めながら、接近する存在を報告するのは城壁の上にいる連中だ。

 城門の傍らで待機している者たちは、その報告を受けて準備。やって来た者が通行証を所持しているかを調べ、目的や滞在場所なども確認する。

 手配をされている犯罪者が入り込めば責任問題でもあり、その人相風体なども瞬時に見て取り、少しでも怪しければ念入りに調べねばならない。

 その中で殊に面倒なのは貴族相手。

 星の数ほどある紋章を見て相手を把握する必要もあるし、馬車の内部の確認もせねばならない。聞き分けのよい者は少なく、突っ切ろうとする場合すらある。

 だから門兵は大公の直属扱いになっているぐらいだ。

 もちろん入るばかりでなく、出て行く者に対してもやらねばならず仕事は多い。しかし誰も来なければ暇で、ぼんやり立っているだけでもある。

 だから緊張と退屈が混在しているわけだ。

「上からの連絡がありました。向こうから一名来るそうです」

 見習いのオグロが駆けて来た。

 正式に門兵になるため張り切っているが、張り切りすぎて少し空回り気味だ。ちょっと微笑ましく、トダイたちは厳しくも優しく見守りながら指導している。

「おいおい、報告のやり方が違ってやしないか?」

「あっ、申し訳ありません。報告します! 城門塔より連絡。場所、街道。状況、接近中。人数、一名。風体、戦士風。以上です」

「よし。次にする事はなんだ」

「ええっと、周辺警戒と装備確認とか?」

「トラブルがあると、どさくさに紛れて城門を突破しようとする馬鹿が出るからな。街中に入りたがってる奴らを遠ざけておけ。ああ、ケイレブは別だぞ」

「了解です!」

 ぱたぱたとオグロは走って、そこらの連中を追いやりだした。

 しかし、どうにも頼りなさが漂う姿だ。

 エイフス隊長がチラッとトダイを見てきた。何か意味深な様子だが、オグロの方を顎で指し首を傾げてみせる。それで察するのは昨夜の会話――オグロに経験を積ませるため、一度一人でやらせてみるかというもの――であった。

 トダイは笑って軽く頷いた。 


 アルストル大公は豪放磊落にして豪快。

 戦場では先頭を突っ走って斬り込み、賊が出たと聞けば自ら剣を手に取り討ち取りに行く。時々ふらっと館を抜けだし街中を彷徨く事もあるし、郊外に一人で出かける事だって珍しくない。

 だから神出鬼没とも言える。

「おうおうおう、ご苦労であるな! しっかりやっておるか!?」

 張りのある声を聞いてトダイは片眉をあげた。門兵は大公直属なので、やって来た相手の顔はよく知っている。

 今ここでオグロに任せるには、明らかに荷が重すぎる特殊な相手だ。

 トダイは意気揚々と向かうオグロを止めようとしたが、小隊長に肩を掴まれた。面白いから見ていろと囁かれ、それもそうだと頷いた。

 他の門兵たちも、皆いい性格をしているのでニヤつきながら見ているだけだ。

 何も知らぬはオグロのみ。

「よし、そこの男。止まって通行証を出すんだ」

「はあっ? 通行証だと? んなもん、俺の顔で十分ではないか」

「なに言ってんだ。いいか、よーく聞け。たとえあんたが誰だろうとな、ここを通るには通行証が必要だ。大公様が直々に命じて決められた事なんだ」

 門兵たちは唇を噛むようにして笑いを堪え、最高の見世物を見守っている。オグロに対してもだが、相手の男がこの正論に対しどう反応するかが楽しみだった。

 オグロは辺りを指し示す。

「周りを見ろ。多くの人が、ああやって通行証が手に入るまで耐えているだろ」

「ふむ、そうであるな」

「それにだ! あんな小さな子だって通行証を手に入れるため頑張っているんだぞ。だから通行証がない奴を通すわけには行かない」

「……なるほど! 確かにその通りだった。すまんな、俺が間違っていた」

 横で聞いていたトダイは珍しい事もあるものだと訝しむ。この相手が素直に謝るとは到底思えなかったのだ。

 ここで門兵たちの失敗をあえてあげるのならば。

 相手がどんな人間か忘れていた事だろう。

「いいだろう! この俺も通行証を手に入れるまで、ここで働かせて貰おう」

 トダイは最悪の言葉に耳を疑った。他の門兵たちは声なき声で悲鳴をあげ、小隊長のエイフスは卒倒しそうな具合だ。すでに周りには野次馬も集まっているので、今さら男の正体を明かせる状態でもない。

 男がニヤニヤしている様子からすれば、皆が一番困る選択をしたのは間違いない。

「おっ、やる気か。だったら荷物運びがあるぞ」

「はーっはっはっは! 見ておれよ、一人で三人分ぐらいの仕事をしてみせよう」

「無茶して腰を痛めるなよ。あんた名前は?」

「俺の名はジル……うむ、ジルと呼べい!」

「はいはい。じゃあジルさんよ、頑張ってくれ」

 オグロはひと仕事やり終え、上手く対応できたと意気揚々と皆の元に戻った。だが、何故か頭に拳骨を貰って困惑するばかりであった。


 ジルは皆の三倍働いた。

 しかも気付けば周りの人足を従えて、先頭をきって動いている。それで皆が従うので作業が捗る。ケイレブは子供心に凄い人だと思って感心した。

「はーっはっはっ、これぐらい軽いもんよ。次の資材が行くぞ! 皆、続けぃ!」

 皆が声をだし資材を担ぎ上げ、先頭を進むジルの後ろを続く。

「おう、そこのクソガキ。無理するなよ。一度に運ばずとも二度に分けよ」

「クソガキじゃない」

「ああん? クソガキをクソガキと言って何が悪い。うはははは!」

 笑い声を聞きながら、しかしケイレブは悪い気はしなかった。

 いままで大人から浴びせられた笑い声は、もっとバカにするような嫌なもので心が重くなるばかりだった。しかし、このジルの笑い声は心から楽しそうなものだ。

 だからだろう。突然現れて仕切りだしたジルに対し、皆が疑問を抱かず喜んで従っている。それは天賦の才と言うべきものだ。

 しかし、それを面白く思わない連中もいる。

 長くここに居着いて、勝手に仕切って牛耳っているような連中だ。

「おいあんた、しきたりってもんを知らんのか。ここで一番偉いのは――」

「知るかボケェ! この俺が一番偉いに決まっておろうが! はーはっはっは!!」

 ヤバイ奴だとケイレブは思った。

 そして大人たち数人が制裁のためジルに襲い掛かった。しかしジルは恐ろしい強さで返り討ちにしている。呆気にとられて見ていたケイレブだったが、突然大人の一人に捕まった。

「おい、見ろ! このガキがどうなってもいいのか?」

「マジかよ、子供を人質にするバカがおるとはな。こいつは呆れたわ」

「うるせえ! お前が暴れるのが悪いんだろうが」

 滅茶苦茶な事を言う大人にケイレブは怒りを覚えた。ここ最近習い覚えた体術擬きを駆使して相手の腹に肘を打ち込み、さらには噛みつく。そして拘束を逃れて地面に降りると同時に容赦なく脛を蹴った。

「やるではないか、このクソガキよ!」

「だからクソガキじゃない」

「よーし、ならば僕ちゃんと呼んでやろう。どうだ、嬉しいか!」

 ゲラゲラ笑いながらジルはパンチを放ち、ケイレブを人質にとった者をぶち倒した。騒ぎに気付いて門兵たちが駆け付けたのは、そのタイミングであった。

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