ベイビー・ケイレブ
施療院の廊下でケイレブは険しい顔をしていた。どっかりと椅子に腰掛け腕を組み、自分でも良くない癖だと思いながら貧乏揺すりをしていた。
そのピリピリした姿には、誰も迂闊に近づけないほどだ。
周りでは多数の怪我人が治療を待ち、今なお次々と負傷者が運び込まれている。
現在アルストルは大動乱の真っ最中。祭りの最中に敵性勢力の襲撃を受け、多数の死者や負傷者が発生したのだ。
もちろん主要な敵は討ち取って残敵の掃討にかかっている時だ。
本来ならケイレブもそれに加わらねばいけないが、しかし別のもっと大事な用件があって施療院に来ていた。もちろん自分の怪我などではない。
愛する者たちを心配して来ているのである。
もちろん、その愛する者たちも怪我を負ったわけではない。
もっと別の理由だ。
「あの……」
恐る恐ると呼びかけられた声に、ケイレブは跳び上がるように立ち上がる。あまつさえ傍らに立て掛けてあった剣を手に取りさえした。
そのため施療院の治療士は驚き身を仰け反らせさえしている。
「ああ、すまないね。ついピリピリしてしまった」
「大丈夫です。ですが、もう少し気配と言いますか。抑えていただければ」
辺りを見回せば怪我人や、その家族たちが不安と怯えを見せていた。
ケイレブはバツの悪い顔をして皆に頭を下げた。
「どうにも落ち着かなくてね」
「お気持ちは分かりますよ。ですけど私の経験上、まだ時間はかかると思います。どっしりと構えていてあげてください」
「そうさせて貰うとしよう」
優しい言葉を向けられても、今のケイレブは頷くことしか出来なかった。椅子に座り直し目を閉じる。待つだけというものは辛く、もどかしい。
だから気を紛らわせるため、遙か昔の朧気な記憶を掘り出すように思いだす事にした。
両親は開拓村に暮らしていた。
ただし、恐らくだ。
幼い頃の世界は狭くて小さくて、周りがどんなだったかは認識もしていない。ただ、あちこちで木を伐り倒し石を運び地面を耕す様子があったので、多分開拓村だったのだろうと思っている。
父親と母親についての認識も同じだ。
どっしりして大きく、いつも木と土の匂いを漂わせていた父親。よく笑って温かく、いつも小まめに動いていた母親。そんな覚えがあるだけだ。二人は名前で呼び合っていなかったので、どんな名前だったかさえ知らない。
そんな両親の間をころころ走り回って、幸せという言葉を知らないまま幸せな日々を過ごしていた覚えだけはある――が、そんな日々は唐突に終わった。
ある日、運命の急変を告げる悲鳴が響き渡ったのだ。
そして突如として襲われた。何の争いだったか何が原因だったかは覚えていない。ただ恐ろしい怒鳴り声をあげる武装した連中を見たような記憶がある。
何より強烈に覚えているのは炎と煙と血の色である。
父親は家に踏み込んできた相手の武器を奪って二人を倒し、さらに一人と刺し違えていた。母親は重傷を負いながらケイレブを抱え家を飛び出すと村を離れ、炎と煙を突っ切り力尽きる瞬間まで走り続けてみせた。
そして覚えているのは、暗い森の中で自分を抱きしめ蹲る母親の重さと、そして冷たくなっていく寒さだ。最後に母親は何かを呟いていたが、その言葉はどうしても思い出せない。
ただ覚えているのは、全てを失い長い苦難の日々が始まったという事だ。
都市アルストルは周囲を城壁に囲まれ、そこに入るには城門を通るしかない。ただし大公ジルジオの指示によって、出入りは厳しく制限されていた。
もちろん理由はある。
アルストルの権益を狙い侵攻してきた隣国との戦が終わったばかり。そのため、間諜や工作員などの出入りを警戒せざるを得なかった。街に入るには通行証が必要となっている。
「――と言うわけでな。悪いが坊主は入れないんだ」
申し訳なさそうに言う門兵に、ケイレブは静かに頷いた。
話の内容はよく分かっていなかったが、中に入れて貰えない事は理解していた。だが、邪険にされないだけマシだろう。他の場所では、殴られたり蹴られたりで追い払われる事もあるのだから。だが、何にせよここには居られない。
「待て待て」
あてのない放浪に出ようとしたケイレブを門兵が呼び止める。
「一応だがな、お前と同じような連中が寝泊まりできる場所がある。大したもんでもないし城壁の外だがな、それなりに安全だ」
「…………」
「それから少しだが金が稼げる仕事もある。荷運びとかモンスター退治とかだが、お前が出来そうな仕事だってある。やる気があるなら声をかけるんだぞ。いいな、頑張れよ」
その口調は優しく励ますようなものだ。
久しぶりに聞いた言葉が温かで、どこか心が刺激される。だからケイレブは、もう少しだけここに滞在する事にした。
案内された場所は城壁に沿って少し行ったところにあった。四方に柱を立て上に板をのせ、壁はないが草を編んだ敷物がある。
「まっ、こんな程度のもんで悪いがな」
「屋根がある」
「お前、いつもどんなとこで寝てたんだ?」
「草藪とか茂みとか、なかったら草を集めてた」
「……そうか」
門兵は急に黙ったかと思うと、頭をわしゃわしゃしてきた。父親がそんな事をしてきた覚えがあったので、とても懐かしかった。
食事は夜だけで少量だが貰えた、タイコウサマという人の施しらしい。
だが、施しを受けるのは嫌なので仕事をする事にした。朧気に父親と母親が働いていた姿を覚えているので、それと同じ事をしたかったという理由もある。
あと金を貯めれば、街に入るための通行証も買えるそうだ。
だから、それを目標に金を貯める事にした。
草を刈って集めて片付けて、あとは街道の補修をするための石を運んだり。そんな仕事をしていると門兵たちが褒めてくれて、褒められると気分が良いので頑張ることにした。
何日か頑張って金を貯めたら、周りの大人たちに奪われた。
殴られて痛くて悔しくて泣きながら寝たが、次の日になると自分以上に怪我をした大人たちが次々と金を返してくれた。
よく分からない。
そのまま仕事を貰いに行くと、顔なじみの門兵がやって来た。
「おいケイレブ、怪我をしたみたいだな。あー、ちょうどいい。実は古くなった傷薬を処分するとこでな。うむ。どうせ捨てるものなので、お前にくれてやろう。安心しろ、もちろんまだ使えるやつだ」
「えっ……?」
「あー、それからな。今日は弁当があるのを忘れてパンを買ってきちまってな、このまま捨てるのも勿体ない。だから、お前にやろうじゃないか」
「いいの?」
ここの門兵は、うっかり者が多い。
たいてい誰かがパンを買いすぎたり、弁当を二つ持ってきたりしている。それで処分に困っては、ケイレブに食べてくれと頼んでくるのだ。
ありがたいが、こんなにうっかり者ばかりだと心配になる。
パンは誰にも取られないように懐に入れて、隅っこに行って回復薬を飲みながら食べる事にした。腹もいっぱいになるし怪我も治ったので最高だった。
仕事は日暮れ前には終わる。
既に施しの食事が始まっているが、そちらを見ると大人たちが群がっている。その中に割って入るには、ケイレブの身体は小さすぎる。
だから少しばかり時間をずらし、人が減るまで待つのがいつもの流れだ。
「よし、ケイレブ。今日も頑張っていたな。それで今日の報酬についてだが、お前に支払う金は俺たちが預かる事にした」
「そんなっ……」
「いやいや、心配するな。預かると言っても、ちゃんと言えば渡してやる。お前の金を盗ったりはしない。それは俺たちの名誉にかけて誓う、いや加護神に誓おう」
加護神への誓いはそれ以上ない程の誓いだ。
そこまで言われては頷くしかない。
「分かった」
「よしよし。ついでに金勘定できるように読み書きと計算を教えてやろう」
「分かった」
ケイレブは少し考えた。
読み書きや計算が何の役に立つかは分からないが、どうせ夜は寝るだけ。それに寝床では暗がりで蹴られたりする。ここで門兵と一緒にいる方が安心というものだ。
「でも、それだったら戦い方を教えて」
「戦い方だぁ? おいおい、お前は街で暮らす気なんだろ。だったら戦い方なんぞより、読み書きと計算の方が役に立つぞ。なんだって戦い方なんぞをなぁ」
「でも、父さんと母さんは殺されたから。戦えたら殺されない」
「…………」
黙り込んだ門兵は、他の連中からゲシゲシ蹴られた。だが、自分が受けている嫌がらせとはちょっと違う感じだ。
それから門兵たちが集まって、わいわい言って相談しだしている。
「よしいいだろう、ここで一番強い俺が剣の使い方を教えてやろう」
「待て、一番強いのは俺だ。だから槍を教えるんだ!」
「こないだの巡回で見せた俺の弓の腕前を忘れたか? 弓だ、弓に決まっている」
「ばーか。男なら素手だろ、素手」
「いい加減にしろ! こいつの将来を思えば読み書き計算が必要だよ」
やいのやいのと言い合った結果、それぞれが得意な事を教える事に決まった。大人というものは実に勝手だ。そう思いながら、皆に囲まれ構われて嬉しいのは事実だった。
斯くしてケイレブは一日の仕事が終わった後に、当直の門兵たちから様々な事を教わった。もちろんそれは、甘くなく厳しいものだ。しかし、独りで過ごすよりもずっと楽しく嬉しかった。
その教えが血となり肉となりケイレブを支える力になる。
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