第173話 知った事と知るべき事と知りたくない事と

「と、言うわけで捕虜は詳しい事は知りません。ただ指示役が身に付けていた紋章を一度だけ見ていて、それが剣と蠍だったそうです。それから引き上げる拠点は、転送魔法陣で砂漠に行った先です。場所が砂漠なので大まかな方向ぐらいしか……こんな程度で申し訳ないです」

 尋問――実際には魂すら変質させる外法――を終えてきたアヴェラは、立派なソファの上で、言葉通り申し訳なさそうにしていた。

 捕虜それ自体は、結局のところ末端の半分使い捨てのような人材だ。そして恐らくは、最初から情報も与えられていない。見たという紋章も、身に付けていた者が誤情報を与えるために使用していた場合だってある。引き上げる場所も、真実が伝えられていたとは限らない。

 引き出した言葉に嘘偽りはなくとも、その元となる情報が正しいかは不明だ。

「いや、十分だよ」

 アルストル大公のハクフは小さく何度も頷いた。

 手狭な部屋で壁に飾られる絵画も穏やかな風景画であるし、調度品類も素朴だ。たぶん来客をもてなす部屋ではなく、身内が寛ぐプライベートな部屋らしい。

 そんな場所に通されたのは驚きだが、忙しいハクフが話を聞いてくれるのがありがたかった。さらにアヴェラの言葉を欠片も疑っていない様子も、何だか嬉しくなってしまう。

「さてと、君が私の立場だったらどうするかな」

「えーっと?」

「好きに言ってくれて構わないよ」

 戸惑うアヴェラとは逆に、ハクフはしっかりと見つめてくる。

 何やら試されているような気もして奇妙な感じだが、一方でこれは自分の意見を伝えるチャンスでもあった。

「そうですね……」

 軽く口元に手をやって思考を巡らせる。

 前世で読んだ小説や、または映画や何やらや、あとは実際に歴史上にあった事などを思い浮かべていく。人間の考える事なんて、何時の時代もどんな世界でも同じだ。

「今の状況で大公の立場なら。まず、配下は動かせないですね。身の回りに敵が潜んでいる可能性があるなら、自身の身の危険もあります。そこを疎かにしては意味はないし、これ以上の騒動は避けたい。何より相手に情報が伝わってしまう」

「うん、そうだね。もっと続けてくれるかな」

「捕虜から得た情報が正しいとは限らないわけですし、まずは絶対に信用のおける者を使って調査に行かせるぐらいでしょうか。それでそれとは別に、ナニア様の行方を捜しつつ相手の調査をする。こんな感じでしょうか」

「実に素晴らしい、ほぼ満点だ。剣と蠍の紋章の持ち主――つまりコーミネ家だね。そこに使者を送り、探りを入れがてら牽制をすれば尚良い具合だ」

「はぁ、なるほど」

「そういう方法も今後の為に覚えておくといい」


 まるで教え諭すような口調に戸惑うが、アヴェラは素直に頷いた。

「では、そんな感じでナニア様の事を対応して貰えれば」

「勿論だ。アヴェラ君、さっそくだが砂漠に行ってくれるかな」

「それはつまり」

「もちろんナニアが捕らわれているかどうかの調査を任せる」

 アヴェラはナニアのギルドの一員だが、一介の冒険者でしかない。それが転送魔法陣を使って砂漠に行こうと誰もおかしいとは思わないだろう。ハクフ配下の騎士は動かせず、冒険者協会に依頼を出すなど考えがたい。

 その点を考えれば妥当な判断ではある。ただ一点の問題を除いて。

「御言葉ですけど、こんな相手を信用なんかしてもいいんです?」

「勿論だ。世界で一番信用している」

 初対面にもかかわらずハクフは全幅の信頼を寄せてくれる。これが人の上に立つ者の度量や器量といったものだろうか。しかし、そうした信頼は心地よいものだ。

 どうせハクフに言われずとも密かに行くつもりだったので引き受ける。

「分かりました。準備が整い次第、行ってきます」

「細かい部分は任せる。報告内容も……ジルジオ殿を経由して伝えてくれたらありがたい。それで報酬なんだが――」

「待って下さい」

 しかしアヴェラは遮った。

 それは失礼な行為かも知れないが、それ以上言わせたくはなかった。

「報酬については言わないで下さい」

「ん? どうしてかな」

「これは仲間であり友人である人を助けるためなので。それで報酬を言われたら、何と言えばいいのか……つまり面白くないです。だってそうでしょう? 次から顔を合わせる度に、報酬が頭をちらついてしまう」

 ハクフは面食らった様子だ。

 しばらくの間、まじまじとアヴェラの顔を見つめ、やがて口元に笑みを浮かべ、そしてポツリと言った。

「……カカリアは良い子を育てたね」

「えっと?」

「いやいや、独り言だよ。では依頼などではなくて、一人の父親として頼ませて貰おうか。どうか娘を頼む、この通りだ」

 和やかな顔でハクフは頭を下げた。


「マズいな、非常にマズいぞ」

「御兄様、何がマズいのですか。ナニアめの件を引き受けた事ですか?」

 アルストル家を今度は裏口からこっそりと出る。侍従長や古参らしい従者たちが妙に顔を見たがったり挨拶をしたがったので、少し時間はかかったものの、今日という日はまだまだ余裕がある頃合いだ。

 ヤトノと二人並んで路地裏の石畳みを歩いて行く。

「それはな、大公が母さんの名前を言っただろ。良い子を育てた、と」

「言っておりましたね」

「ひょっとしてだが、母さんと大公は何か関係があるのかと思ってな」

「ふんふん、それで? それでどんな関係と思われますか」

 いきなりヤトノは目を輝かせ、身を乗り出してくる。口元には微笑と言うよりは笑いを堪えている感じがあって楽しそうだ。

「あまり考えたくはないが……」

「いえいえ、考えましょう。考えるべきです」

「うん、爺様はあんな感じで金もあるし伝手も広い。それを考えると、元は貴族だったのは違いない」

「良い感じの推測ですねぇ」

「しかし母さんは、今では下級騎士の家にいる。昔に何かあった話もチラッと聞いているし、そこを考えれば答えは出てくる」

「ふんふん」

 ヤトノは俄然身を乗り出してくる。

「つまり母さんと大公は、昔の恋人だったのかもしれない」

「はい?」

「結局は身分違いの恋で二人は別れて、その後で父さんと出会ったのだろうな」

 それを考えれば、両親が昔の事をあまり語りたがらないのも納得できる。さらにナニアの件で妙な態度だった事も理解出来る。ジルジオが大公の館を出入りしていた事も説明が付く。さらに大公が親しげだった事も分からないでもない。

「だからマズいんだ。考えてみろよ、自分の子供が昔の色恋沙汰を知ったとなったらどうだ。母さんもだが、父さんだって面白くなかろう。いいか、この件は家で絶対に触れるなよ。知らんふりをするんだ」

 ヤトノは何度も瞬きをして、力説するアヴェラを見つめていた。やがて、どこからともなく取り出した扇子を口元に当て、くつくつと笑う。

「御兄様は……本当に……本当に面白いですね!」

「なんだと、失礼な奴だな」

 アヴェラが不機嫌になって声をあげれば、ヤトノが楽しそうに悲鳴をあげて逃げ出して追いかけっこのようになる。もし誰かが二人を見ていたとしても、仲の良い兄妹にしか見えなかっただろう。


 自宅に戻ってハラハラする両親に対し――アヴェラも内心ハラハラしつつ――話をして、それからナニアの調査に向けて動きだす。

 動きだすつもりだったが、そこで邪魔が入った。他ならぬ両親だ。

「お母さんも一緒に行きますね」

「えっ……母親付きで冒険行くとか……」

 俄然張り切った母親の姿に、アヴェラの感じた一番の気持ちは困惑だ。いやもちろん実力の程は重々承知している。心理的な部分を除いたとしても、絶対に勝てない相手なのだ。

 まさに百人力という頼れる心強い存在だろう。

 ただ母親という事が難点なだけで。

「ならば俺も行こう!」

 さらにトレストまでもが名乗りをあげた。

「えっ……両親と一緒に冒険とか……なにそれ……」

「カカリアが行くなら俺が行かずにどうする!」

 俄然張り切った父親の姿に、アヴェラの感じた一番の気持ちは尊敬だ。妻のかつての恋人――かもしれない――の娘を救うために立ち上がったのだ。

 まさに人として尊敬に値する勇敢な頼れる存在だろう。

 ただ父親という事が難点なだけで。

 とにかく両親と一緒に冒険に出るなど、何と言うべきか最悪だ。思春期の子供的なあれこれ反発心など無いものの、二人がいては非常にやりにくい。たとえばイクシマで遊ぶことも出来ないし、たとえばイクシマを弄ることも出来ないし、たとえばイクシマを可愛がることも出来ないだろう。

「いや、でも二人とも」

「アヴェラちゃん、お母さんはどうしても行きたいの。今だから言うけれど、お母さんは実はね、昔は大公家の――」

「ストーップ! 待った! なし、それなし! はい、そういうのなし!」

 アヴェラは声をあげて遮った。

 ここでカカリアに過去をカミングアウトさせては、トレストに立つ瀬がないではないか。その気持ちを慮れば言わせるわけにはいかない。

「でも、お母さんはね」

「分かったから、行きたい気持ちは分かったから。一緒に行こう。そういうの関係なし。一人の女性を救うために調査をするという事で」

 それがアヴェラの精一杯。大公と面会した時よりも疲れきった気分だ。

「アヴェラちゃんは、本当に良い子に育ったわね」

「うむ、これぞまさに自慢の息子」

 トレストとカカリアが感激する前で、アヴェラは肩で息をしている。そしてヤトノは口元を押さえ必死に笑いを堪えていた。

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