第172話 落ち着かない中での主張

 案内してくれた相手は侍従長だった。

 侍従長は前世で言うところの、たぶん議員秘書みたいなものだろう。対外的な対応を取り仕切る立場であって、アルストル家の侍従長ともなれば並の貴族より遙かに権力がある。

 つまり凄く偉い存在だ。

 ヤトノのように飲み物のお代わりを要求するなど出来やしない。

「ささっ、アヴェラ様も飲まれますかな」

 そんな相手が、恭しい態度で接してくる。しかもそこにあるのは強い親愛の情のみだ。おかげでアヴェラの戸惑いはとても強かった。隣に堂々と座るヤトノが羨ましいぐらいだ。

「申し訳ありませんが、先程もお伝えした通り『様』などなしでお願いします」

「なるほど、これは失礼致しました。アヴェラ様」

「…………」

 ナニアの配下に対する厚遇などではなく、もっと別の何かだ。

 つまりこれはジルジオが原因だろう、とアヴェラは確信するに至った。あの祖父が過去に何かやらかしたのは間違いないだろう。それでその孫にまで丁寧に接してくるに違いない。

「すみません。うちの祖父がご迷惑をおかけしたみたいで」

「は?」

「あの通りの性格ですから、無茶とか無茶とか無茶とかして、好き勝手やってご迷惑をおかけしたのですよね。申し訳ないです」

 アヴェラの言葉に侍従長は戸惑いを見せつつ、次第に笑顔を抑えられないといった様子になる。和やかな様子で遠い目をする。

「……ええ、あの方は若い頃からとても型破りでした。その当時は胃が痛くなる思いを毎日しておりましたよ。ですけど、どれも得がたい経験ばかり。今となれば何もかもみな懐かしい」

 その言葉にアヴェラはあえて何も言わなかった。

 いまはきっと胸中にて思い出が渦巻き余韻に浸っていると察せられたからだ。そんな時に声をかけるほど無粋ではない。

 しばしの間があって、ドアがノックされた。

 男が入ってくると侍従長に何やら告げるのだが、何やら嫌な言葉が聞こえた。聞き間違いである事を祈っているアヴェラに対し、侍従長は告げた。

「お待たせしました我が主がもうすぐ参ります」

「…………」

 アヴェラは考え込んだ。アルストル家の侍従長の主と言えば、やっぱりアルストル家の長なのだろう。つまりそれはアルストル大公以外に考えがたい。非常に考えたくない事だが、これから大公がやってくるという事だ。

 ナニアが攫われた状況を確認するだけのつもりが、なぜか大公との面会になっている。これは非常に困る。ナニアのギルドの一員とは言えど、ただの一介の冒険者であり、下級騎士の息子でしかないのだから。

「あの、すいません。ナニア様の件で状況など教えて頂ければいいだけなので」

「はい、ですから大公様が参られます」

「…………」

 何か選択を間違ってしまった気がするアヴェラであった。


 ややあって、細身だがガッシリとした印象のある男が入ってきた。身に付けているものは至ってシンプルだが、素材は一級品だと一目で判る。

 アヴェラは急いで立ち上がり深々と頭を下げた。

 侍従長が深々と頭を下げて後ろに下がる様子からして、この人物がアルストル大公で間違いないだろう。国王に次ぐ地位だが、その財力と権勢は国王をも上回るとも言われ、この世界における最上位に属する人間と言える。

「やあ、よく来た。私が大公をやっている、ハクフ=アルストルだ。そんなに頭を下げないで、普通にしてくれて構わない」

 思ったよりも優しい口調でアルストル大公は言った。

 なかなか整った理知的な顔立ちの人物だ。しかし既視感と言うか、どこか見た事のあるような不思議な気持ちにさせられる。

 しかし、あまり見つめては失礼だ。

 うろ覚えの儀礼的な仕草で頭を下げ、これまたうろ覚えの口上を述べる。

「アヴェラ=ゲ=エイフスと申します。無作法にも貴家を訪れた無礼を平に謝罪し、また同時にこうしてお会いできた事に感謝と感激の念を感じる事を――」

「あっ、そういうのはいいから。普通に、普通にね。まっ、座ろうじゃないか」

 アルストル大公のハクフは至って気さくな様子、ソファに深々と腰掛けた。手で軽く合図され、アヴェラもしずしずと座る。

「普通にですか?」

「そうそう、私には対しては……親戚の叔父さんぐらいに思ってくれて構わない」

「はぁ……」

 言う方も言う方だが、言われた方も言われた方だった。

 アヴェラは失礼にならない程度に居ずまいを軽く崩した。実際のところ、親戚の叔父という存在は今世でも前世でも居なかったが、とりあえず頭の中でそれに該当しそうな相手――例えばケイレブとか――を思い浮かべている。


 ハクフは娘が攫われ行方不明になったにしては落ち着いている。流石は大公といったところだろうか。

「では遠慮なく。ナニア様のギルドの一員をやってます。父親は第三警備隊の長をやってまして――」

「もちろん知っている。トレスト君とカカリア……さんの事は、よく知っているよ。それはもう、とてもよく」

「ひょっとして両親が迷惑をかけました? あと祖父のジルジオとか?」

「うーん、まあ迷惑と言うほどの事はなかったかな。ああ、あの爺は――いや、失礼した。ジルジオ殿は別として」

「祖父がすいません」

 ジルジオを良く知るだけに、きっと相手が困るギリギリの線を攻めつつ役立つことをいっぱいしたのだろう。爺と呼ぶ声に含まれた親愛の響きから、何となくそれが感じ取れてしまって、非常に申し訳ない気分だった。

「さて」

 ハクフは笑顔を引っ込めた。

「今回の事件の件で、しかもナニアの件で来たのだね」

「そうです、物見遊山や興味本位ではないです。何が出来るわけではありませんが、ギルドの一員として何もしないわけにはいきませんので」

「ギルドの一員として?」

「あとは友人としても」

「友人か、なるほど。友人は大事だね」

 何度か頷いている。

「あの事件で連中の狙いは、私の命にあった。建物を見れば分かるように、ここも襲撃され激しい戦闘となった。それはもう、私自らが剣を手に取り戦わねばならないぐらいにね。もちろん、かなりの負傷者と死者が出た」

「そうでしたか」

「私の命が取れなかったため、連中はナニアを狙った。そして、あの子は負傷し動けなくなったところを……攫われたわけだ」

 アヴェラはドキッとしつつ安堵もした。

 最初は行方不明が死を隠す為の言葉かと思ってしまったのだが、トレストが言っていたとおり攫われたので安堵したのだ。もちろん、攫われた事も重大事件に違いないのだが。

「負傷した結果として、あの子の命が助かったのは皮肉な話というものだよ」

「相手も計画に無かった事態で、次の行動を決めかねていると?」

 つまるところ、ナニアが攫われた事は突発的に近いもので現場判断でやったという事だ。だから相手も対応に困っているといったところだろうか。

「そうなる。だが、いずれは何かしらの要求なりが来るだろう。親として娘は第一であるし、大事に考えている。しかし私は大公である。この地に住まう全ての者の親と言える存在だ。ならば、ナニアの事は切り捨てねばいけない」

「…………」

 大公は冷たさすらある口調で言った。


 それが上に立つ者の覚悟なのだろう。否、それはこの世界の全員が持っている覚悟だろう。平和だった前世とはまるで違う、もっと生きることに厳しい覚悟だ。

「幸いにと言うべきか、私には妹がいる。今は駆け落ちして出奔中だが所在も状況も掴んでいる。その妹には一人息子がいて、かなり優秀のようだ。その子に大公を継がせれば何の問題もない」

 どうやら相手から要求が来た時点で、ハクフはアルストル大公として動きナニアを見捨てるつもりなのだろう。それに対し言うべき言葉をアヴェラは持たなかった。何故なら、ハクフの目には強さがあったのだから。 

 それでも、それでも止めさせねばならない。

「御言葉ですが――それは良くないです」

「ふうん?」

「その息子が仮に優秀だとしても、帝王学は受けてませんよね。さらに貴族との交流もない。そんな人間がナニア様を切り捨てた上で取り立てられるとなれば、周りの反感は大きいでしょう。アルストルは割れますよ」

「なるほど、だが私が後ろ盾につけば問題ないのでは」

「傀儡政権ですね。最初はいいでしょうけど、その息子だって人間ですよ。面白くない感情を持って、やがて反抗して内乱に発展すると思います」

 それによって生じた戦乱や争乱が歴史の転換点になったりもする。前世の歴史をみれば、そんな事例は腐るほどある。

 ハクフはマジマジとアヴェラを見つめた。

「……その息子に跡を継がせてみたくなってきたぞ」

「ですから、それは悪手だと思いますよ」

「冗談だ冗談。うん、確かによくないな。では、こうした時に私はどうすべきだと思う? 疑いたくはないが周りに敵がいるのは間違いなく、ナニアがどこに攫われたかも分かっていないのだよ」

 その言葉にアヴェラは深く考え込む。


 ナニアは単なる知り合いではなく貴重な友人である。もちろんアヴェラだけでなくて、ニーソやノエルやイクシマにとってもそうであるし、その姉のネーアシマにとってもそうである。さらに両親も気に掛けてもいるし、祖父にも頼まれた。

 そして何より親に子を見捨てさせるなど、到底受容し難い。

「大公がどうすべきかは決まっています。家族は見捨てない、ただそれだけですよ。だから協力させて下さい。だから情報を……あの、相手の捕虜とかいます?」

 唐突な質問にハクフは驚きも見せず頷いた。

「ああ、もちろんだ。今も責めているところだが、口を割る様子はない」

「大丈夫です、どんな手を使ってでも口を割らせますから」

「ふん? そんな事が?」

「それはもう。対応を決めるのは、その情報を待ってからでも良いのでは?」

 アヴェラは自信ありげに答えた。

 この場には持ち込んでいないが、ヤスツナソードとヤトノの力をもってすれば、相手の意思など関係なく情報は聞き出せる。つい先日もそうやって襲撃者の一人を捕らえて情報を聞き出している実績もあった。

「ああ……」

 ハクフは別の意味で理解したらしい。言葉を途切らせ、視線をアヴェラの傍らへと向ける。今まであえて目を向けていなかったが、それは恐れるでもなく無視するのでもなく、この場の主役をアヴェラと見据えて話をしていたからだろう。

「そちらのヤトノ姫のお力ですか」

「ふふふっ、なかなか礼儀を弁えた人間ですこと。御兄様に対する態度と対応と気遣い。実に良いですね。ええ、及第点を差し上げましょう」

「これは光栄です」

 ハクフも大した人物で、ヤトノの正体を知りつつ平然として、それでいて目上への礼を欠かしていない。自然体のまま敬い畏まっている様子にアヴェラは感心した。

「では、御兄様行きましょう! わたくしと御兄様の力を合わせて共同作業。なんて素敵なんでしょうね!」

 意気揚々としたヤトノはアヴェラの手を引き急かしている。その姿それ自体は、兄を遊びに誘う妹そのものだ。しかして実態は捕虜の尋問だ。

 苦笑気味に楽しく笑うハクフに対しアヴェラは恐縮するしかなかった。

 その日、アルストルの拷問官の記録には――邪悪を見た、と一文が記されたのみ。

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