幼き災厄の子4

 アヴェラは明るい暗闇の中で目を覚ました。

 今夜は月夜であるし、隙間の多い家だ。だから暗いが明るく、明るいが暗いといった感覚なのである。前世の夜でも煌々とした世界とは感覚が違う。

 木組みのベッドは綿が敷かれ、そこにシーツをかけただけのものだ。庶民に程近い下級騎士の家では、かなり立派なものである。ちらりと聞いた話では爺様との間ですったもんだがあって――何やら、天蓋付きの巨大ベッドに豪華な羊毛や羽毛を使った寝床が運び込まれそうになったらしい――最終的にこれになったらしい。

 前世のベッドに比べれば寝心地はとても悪いが、もう慣れた。

「…………」

 どうして自分が目を覚ましたのかと、アヴェラはしばし考えた。

 そして思い当たるのは、間近で感じる存在のせいだ。目線を転じれば、そこにニーソがいる。ほとんど間近でぴったり身を寄せているが体温が高めだ。

 改めて見つめると、かなり可愛い。

 最初の出会いの時は薄汚れていたが、風呂で上から下まで入念に洗ってやった事で綺麗になっている。肌自体は今までの生活で荒れ気味だが、今でも触り心地は良い。きっとプニプニになれば、もっと心地よいに違いない。

 何にせよ素直で良い子なので、思ったより拾いものだったかも知れない。

 だが、前世で出会った女性達の態度――それは裏表のある態度や、陰口や無慈悲さといったもの――を思い出すと恐くなる。今は素直でも将来はどうなるか分かったものでは無い。

 好意をもって欲しいとまでは望まないが、せめて友人程度でいて欲しい。そう思うのは贅沢だろうか。

「御兄様、眠れないのですか」

 ふいに絶対に信頼の置ける相手の声がした。

 この世界の建物は前世のような気密性のよいものではない。木造ともなれば隙間も多く、あちこちに穴がある。そうした場所からは風だけでなく、光も差し込む。

 ベッドの間近の椅子に、月の光を浴びるヤトノの姿があった。

 背筋を伸ばし人形のように座る姿は、真っ白な肌も黒髪もどこか青みがかって見えて、ただその瞳の朱さだけが少しも影響を受けていない。なにか神秘的な美しさをもった貴い存在に見える。実際に災厄を司る神の一部なので、その感想は間違いではないだろう。


「いや、いま起きた」

 ニーソを起こさないようにと、声を抑えめにして答える。

 しかし日頃の疲れとお腹いっぱい食べられた幸福と、その上で安心しきったニーソは完全に寝入っている。今ならきっと何をしても起きないに違いない。

「良い拾いものでしたね。そのニーソめは、御兄様の忠実なしもべとして生涯尽くしてくれるでしょう」

「忠実なって……お前は何を言ってんだ」

「おや? ニーソめは御兄様を随分と慕って懐いておりますよ」

「どうせ大人になれば、いけいけのギャルになって変わるさ」

 そっとベッドの上を移動して端に腰掛けた。寝入っているニーソだが側に居た安心材料がなくなったせいか、むにゃむにゃ言いつつ手を動かし何かを探す動きをしている。だが適当に枕を与えると、それを抱きしめ大人しくなった。

「「…………」」

 アヴェラとヤトノは、そんな可愛い素振りを無言で見つめる。

「いいですか御兄様。御兄様は最初から諦めておいでですよ。それとも、折角手中に捉えた獲物をみすみす逃す気ですか? 今のニーソには御兄様しか頼る相手がないのですから、このまましっかり手懐けてしまえばいいのです」

「その言い方ぁっ」

 小声ながら強めに注意するが、ヤトノには通じない。

「どう言おうが変わりませんよ。このチャンスに可愛がれば、ニーソの心をそっくりそのまま手に入れられるのですよ。これを逃す手はありません――まぁ、実際には逃す気がないのは逆かもしれませんが」

 最後はとても小さな声だったのでアヴェラには聞こえない。だがヤトノがクスクス笑っているので、きっと何か悪巧みに違いないと思った。

「それはそうと御兄様。こんな夜更けにお客様のようです」

「むっ、また暗殺者か? 最近減ったと思ったのにな」

 前代未聞となる厄神の加護持ちであるアヴェラには、定期的に暗殺者が送られて来るのだ。全てヤトノによって皆殺しになっているのだが全く懲りない。きっとどこかに世界を憂う正義の存在がいるのかもしれない。


「今回はちょっと違いますね」

 ヤトノは壁の小さな板を外しながら言った。こっそり外出できるように細工をしてあるが、安っぽい木の壁だからこそ出来るものである。

「なんだ相手の事を知ってるのか」

「いえ知りませんよ」

 こそこそ言いながら、四つん這いで這って出て行く。途中で止まって振り返りかえるヤトノのお尻を頭で押して急かしながら進む。この辺りは互いに遠慮がない。

 外は冷えて少し湿気があって澄んでいて、いかにも夜といった空気だ。

「今回は単なる暗殺者ではないという意味です」

 ヤトノは言いながら立ち上がる。夜目にも目立つはずの白い衣装だが、何故か不思議と闇に紛れてしまう。むしろアヴェラの茶色がかった普通の綿の服の方が目立ちそうなぐらいだ。

「御兄様は、わたくしの本体の名を以てニーソめの罪を赦されました」

「ん? んー……ああ、そんな事を言ったな。なんだ、本当にそうなったのか」

「その気軽な発言、流石です。素敵です」

「あっそう、はよ続きを言え」

「つれない処も素敵。それはさておきまして、実を言えばニーソめは近々死ぬ運命でしたが、御兄様が罪を赦したため死ななくて良くなりました。結果として死の運命が御兄様のところに来たというわけです」

「なるほど。そうすると死ぬのか、まあいいか」

 アヴェラが笑うと、これにはヤトノの方が戸惑うぐらいだ。

「御兄様、あっさりしすぎです」

「そりゃな確かに悔いや恐怖はあるけどな。一度死んだ身だ。この新しい人生で過ごせた期間がボーナスステージと思えばそれだけだ」

 言いながらアヴェラは堂々と庭へ出て、明るいほどの月光の中に立つ。木陰や建物の陰には闇が出来ていて、そこに幾人かの敵が潜んでいるのは間違いない。だが何の反応もないのは、標的が堂々と姿を現したからだろう。

 さらにヤトノも静々と歩み出てくる。

「いえ、終わらせません。このヤトノが終わらせません。その為に居るのですから」

 サワサワと草を踏み分け黒覆面の連中が出てきた。どうやら警戒は投げ捨て、依頼を完遂する事にしたらしい。手にした剣やナイフが月光を反射している。

「死の運命はニーソから御兄様へ。御兄様から名も無き贄どもへ。ちょいさー!」

 可愛らしい手が振り下ろされると、不可視の衝撃波が辺りを駆け巡る。暗殺者達は軒並み引っ繰り返り、ついでアヴェラも引っ繰り返った。ただし前者は命を奪われ、後者は激しい目眩のせいだった。


「酷い目に遭った」

 翌朝、ベッドで目を覚ましたアヴェラはジト目でヤトノを睨んだ。昨夜はヤトノが使った力のせいで頭痛胃痛腹痛目眩吐き気悪寒耳鳴り動悸を受けて悶え苦しんだのである。

「事故です事故、わたくしは悪くありませんよ。態とやったことじゃありませんし、悪いのは連中なんです」

「まあいい、で? 連中はどうなった」

「連中ですか。肉体は土地神に命じて地虫の餌にしましたよ。魂は本体の下に送り込みましたので、悪霊どもの玩具代わりになっている事でしょう」

「エグいな……」

「はて、エグ? 何やら分かりませんが理解します、理解してみせます」

 ヤトノが力説していると、アヴェラの腕の中で――枕を奪い返したら枕にされてしまった――小さく呻いてニーソが目を覚ました。寝ぼけまなこで瞬きを繰り返し、そこにアヴェラがいると分かると最高の笑顔で微笑んだ。

「……ずるいな」

 そう呟いてしまうのは、そんな顔をされてしまうと庇護意欲を刺激され大事にしたくなるからだ。まさに、可愛いは正義である。

「んっ、どうしたのアヴェラ」

「なんでもない。それよりも、おはよう」

「おはようなの」

「今日もいろいろ教え込むし、あちこち連れ回す。ちゃんと付いてくるように」

「うん、付いてくー」

 ニーソは素直に頷いた。尻尾でもあったらパタパタ振っていそうな雰囲気だ。

「庭仕事も手伝わせるし、畑だってやらせるからな」

「うん、頑張るー」

 ニーソは小さく拳をあげた。

「それでたっぷり扱き使って汗をかかせたら、また熱い水にいれて全身をくまなく洗ってやる。その後は冷たい飲み物だ。もちろん甘い奴だな。それから動けなくなるぐらいご飯を食べさせて、またこのベッドに放り込んでやる。覚悟するようにな」

「うん、覚悟するー」

 ニーソは真剣な顔で頷いた。

「よしまず最初は朝ご飯だ、行くぞ」

「うん、行くー」

 ニーソはアヴェラの後を追いかけベッドを飛び降り駆けだした。

 バタバタと走って良い香りのする方向に行ってしまい、部屋にはヤトノが一人残っているだけだ。

「やれやれですね、本当に面白い。御兄様といると退屈しませんね」

 呟いたヤトノは部屋の向こうから呼ぶ声に急かされ、クスクス楽しげに笑う。部屋を出て駆けだす姿は、どこにでもいる女の子のような動きだった。

 そんなこんなで賑やかな日々が続くのであった。

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