幼き災厄の子3
「フィリアお姉さん、こんにちは」
「あらっ、アヴェラ君! よく来ましたね。ところで、そちらの子は?」
「うちで面倒をみる事にしたニーソ」
アヴェラが合図をすると、その後ろに立つニーソは控え目に頭を下げた。身に付けているものは既にボロ布ではない。カカリアがどこからか調達してきた、質素だがしっかりとした造りの子供服である。
「そうですか、こんにちはニーソさん」
「…………」
フィリアの微笑みを前にしてニーソは物怖じしている。聖堂という煌びやかで清浄さのある空間に戸惑い恐がっているのだ。
それはアンドン司祭が来ても変わらない。
「ようこそアヴェラ君。珍しいですね、こんなに聖堂に来られるとは」
「こっちの子を紹介しておこうかと思って。今度からうちで面倒みるニーソです」
「ほう?」
アンドンに見つめられたニーソはますます怯えてしまった。
「どういった経緯で?」
「拾いました」
「そ、そうですか……」
「それでですが、ニーソは加護神の儀を受けてるか分からないんです。本人もどの神の加護を受けているのか分かってない。調べてくれます?」
「急に言われましても準備というものが。あと、何といいますかね。つまり、お布施というものが発生しまして」
「ああ、そうですか。では仕方が無いか」
アヴェラは悪魔のような顔で笑った。
そして傍らに目を向けるが、そこにはヤトノがいる。何かに気付いたアンドンが制止しようとするが、全てが遅かった。
「ヤトノ、調べてくれ」
「畏まりました! もう簡単ですから、お任せ下さい。さあ――名乗りでなさい」
ヤトノが大張り切りで言った途端、室内の空気が一変した。
重厚にして荘厳で途方もなく大きな存在が頭上から覗き込んでいる気配がする。しかも一つ二つではない。もちろんそれは部屋の中だけでなく聖堂全てで感じられ、あらゆる者が畏れおののきひれ伏していた。
その中心地となる部屋では桁違いの圧があった。アンドンもフィリアもニーソも全身に汗をかいているほどだ。
しかしアヴェラは手で顔を扇いでいる。
「なんか暑くないか?」
「その程度ですます御兄様。流石です!」
「なにが流石かは知らないが、分かったのか?」
「はい、知識の神ですね。あっ――」
ヤトノは小さく呟いて、少しだけ困った様子で視線を巡らせた。その先でニーソの様子がおかしい。背筋を伸ばして虚空を見たまま意味不明な事を呟いている。
「私はニーソ、ニーソナンデス……私が思う故に私あり……nが正の整数でaをnと互いに素な正の……神の実在……◎▲∴?≠■〒~wwΣΘ」
明らかにおかしい状態だ。
「おい、ニーソは大丈夫なのか?」
アヴェラが睨むとヤトノは目を逸らした。
「えーっと、知識の神めが気を利かせたのか、加護の強度あげたせいです。何とかと天才は紙一重状態だと言うのに……」
「おい!?」
「大丈夫です、大丈夫なんです。医神がニーソめの脳を弄って普通より少し上程度に戻してますから」
「脳を弄るって、何だそれは」
「わたくしは悪くないんです。知識の神めが頭のいいバカで面倒なだけなんです。だから皆にウザがられて孤立するんですよね、本当」
司祭のアンドンは聞いてはいけない事項を聞かされ、耳を塞いだまま声をあげずに絶叫している。フィリアは幸運にも何も知らず理解していないが、アンドンの様子から何が非常に拙い事が起きていると理解して、キョトキョトしている。
きっと処置が終わったのだろう。ニーソは不思議そうな顔をした。
「なんだろう、頭の中がとてもスッキリ。今までが泥の中をもがいてた気分」
「ニーソ大丈夫か?」
「大丈夫なのよ」
「……なんか喋り方とか変わってないか?」
「そんな事ないの、この方が普通だもの。ありがとう、アヴェラ」
にっこりと微笑むニーソは清々しい顔をしていた。アヴェラは一抹の不安を覚えたものの本人の言葉を信じた。
「とりあえず、今日の用事はそんな感じで。場所を借りられて助かりましたよ」
「ア、アヴェラ君。ちょっと待って、君から上の者に説明を――」
「忙しいので宜しくお願いします」
「まっ待って下さい、お願い。本当に待って」
アンドン司祭は額を押さえ俯いた。何気なく手をみて、そこに何本もの抜け毛を確認すると女の子のような悲鳴をあげていた。
「いやあぁぁっ!」
悲鳴を後ろにアヴェラたちは聖堂を去った。
「えっとね、聖堂の人達は大丈夫なの?」
「大丈夫だろ。それより、ニーソにいろいろ教えてやる。文字は分かるか?」
「言語は話せるけど、読むことは少しだけなの。あと出来れば計算も知りたい。きっとアヴェラの役に立つから」
打てば響く感じでニーソは答えてくる。
本当に聖堂に行く前と行った後では別人かというぐらいに様子が違う。念の為にこっそりヤトノに確認してしまったぐらいだ。もちろん間違いなく本人らしい。
「よし、文字も計算も教えてやろう」
「ありがとうなの」
「計算は四則演算に……約数倍数、割合に比。なんか思いだしてきたぞ、方程式とか確率とか習ったなぁ。そうそう微分積分とかな」
今度はアヴェラの方がブツブツ呟きだし、ヤトノは少し心配そうな顔をした。
「その辺りは後で、今は歩きながらで出来る事を……よし、思考に関するものを教えようか。トロッコ……ではなく、暴走する馬車の進路を少しだけ動かせるとしよう。そのまま走れば五人に激突、しかし動かしたら二人に激突する。さあ、どうする」
「え……? 何もしないで運命に任せるかな。だって、私が介入する必要ないもの」
「それも一つの答えだな」
「アヴェラならどうするの?」
「うん? それは相手の見た目で判断して、気に入った方を助ける。それもまた運命ってもんだろ」
こうした思考問題は、責任を取ったり非難されたくないから悩むだけだ。
しかし元々世界は相互干渉状態、常に自分の行動が誰かの運命を狂わせている。だから目に見える時にだけ躊躇するのもおかしなものだ。
「そこで悩んで苦しむのは偽善ってもんだな」
「なるほど、そうよね。つまり……私はアヴェラに気に入られたの?」
「うん?」
「だって助けてくれたもの」
ニーソは歩きながら横を向きアヴェラを見つめている。
「そりゃ気に入った。気に入った、可愛い妹みたいだ」
「御兄様!? この賢妹良妹のわたくしを差し置いてニーソを妹だなんて」
「うるさい、こっちより背が高いのに妹とか言うな」
「む……それは確かに。分かりました、御兄様。早く大っきくなって下さい」
「無茶言うな」
三人が固まって歩く姿は子供たちが無邪気に遊んでいるようだった。その姿は楽しそうで誰が見ても微笑ましく思ったに違いない。
ニーソはしばらくの間、エイフス家で暮らすことになった。あまり広さのない狭い部屋だが、とりあえずアヴェラの子供部屋を共同で使いベッドも一緒だ。
トレストとカカリアは子供の事だからと気にしていないし、ニーソはもっと気にしていない。気にしているのはアヴェラだけだが、どうせ元からヤトノも一緒だったのだ。幸いな事にベッドは大人用サイズなため、三人でも十分に寝られた。
そしてニーソはカカリアの家事手伝いを一生懸命やっている。
「えっと……猫の手、猫の手」
ニーソは呟きつつ、庖丁を不器用に使って野菜を切る。手本を見せたカカリアの場合はリズミカルで小気味良い音だったが、ニーソの場合は途切れ途切れと拙い。しかも切った後の形状もまるで違う。
「できました!」
「私が最初にやった時より、ずぅっと上手ね」
「そうなんですか?」
「小さい頃から自分で料理する機会もなくってね。それで冒険者になった後なんて、適当に切って焼いて食べるぐらいだったもの」
カカリアは言いながら、ニーソが切り終えた野菜を鍋に移していく。先回りして水を用意してくれたニーソの機転に微笑みながら感心している。
「ありがとう。ところでニーソちゃん、ちょっと大人びたかしら」
「そんな事ないです。でも、今日はアヴェラと一緒に聖堂に行ってから少し気分が良い感じなのです」
「聖堂行って来たのね。何か困った事なかった? これでも聖堂には少し顔が利くのよ、あちら関係で何かあったら直ぐに言いなさい。分からせるから」
「は、はぁ?」
戸惑うニーソは知らない、カカリアの言う分からせるという言葉の意味を。だから無邪気に何か困ったら相談しようぐらいに思っただけだ。
ひと通りの料理ができて配膳して食事が始まる。
皆で囲む食卓の暖かな雰囲気にニーソは感激しつつ、いずれ自分も同じような場所をつくろうと心に決めた。
トレストはガブリと肉を口にして味わい呑み込んだ。
「ニーソ君のお父さんは捕獲、もとい保護して警備隊の訓練に参加して貰った。毎日朝から晩まで身体を鍛えていけば大丈夫だ。直ぐに泣いたり笑ったり出来なくなって博打なんて手を出す気も起きないだろうさ」
「ありがとうございます。たっぷり鍛えてあげてください」
「うん、きっと精鋭中の精鋭になるだろう。それはそうと、警備隊の皆にはニーソ君の事は伝えておいた。そのうち顔も合わせておこう。そうすれば何かあっても警備隊は君の味方だ」
「は、はぁ?」
戸惑うニーソは知らない。警備隊の鉄の結束を、そしてその権力を。だから無邪気に、何かあったら少しは助けてくれるのかなと思っただけだ。
和気藹々とした雰囲気の中で両手に持つパンを囓り、ニーソは幸せというものを実感していた。
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