第168話 祭りの中で各々踊る

 十字路は避難者だらけの混乱に包まれていた。合流した冒険者や兵士、そこに助けを求める人々。悲鳴と怒号、すぐ近くから聞こえる剣戟の音。

 アヴェラはそんな状態の中で樽の上に立って、彫像のように動きを止めていた。

「……いた」

 逃げてきた人々の間に、一人の男の姿。

 不安と恐怖ばかりの顔の中で、極めて冷静だった。むしろ無表情とさえ言える。恐らくあの連中の仲間だ――目が合った。

「拙い」

 アヴェラが跳んだ、男が動いた。

 男の側に居た者が次々刺されて絶叫し、辺りに恐怖と混乱を招く。逃げる人々が邪魔になって男に近づけず、その男は上手く位置を変えて人波に紛れようとする。

「仕方ない、ヤトノ!」

「畏まりました。ちょいさー」

 ヤトノの掛け声と共に目の前にいた群衆は全員が倒れて気絶している。かなり力を弱めて厄を振りまいたのだろう。アヴェラは酷い目眩程度で収まっていた。一方で男も似たような状態らしく、何とか踏み留まっていた。

 ただし、目眩慣れしたアヴェラの方が勝った。

 ヤスツナソードを振るって、軽く浅く斬りつける。それだけで男は限界に達して卒倒した。そしてアヴェラも膝をついてしまう。

 即座にウェージが駆け付けた。なお、出遅れたイクシマは渋い顔だ。

「坊ちゃん大丈夫ですかい!?」

「こっちは大丈夫。それより怪我人の治療と回収を」

「了解ですぜ。ちょうどフィリア侍祭が合流されましたんで大丈夫です」

「フィリアさんが?」

「ええ、向こうで襲撃者に襲われてましてね。間一髪で助けてきたんでさぁ。いや、結構苦労して危なかったんですけどね。まっ、こうして怪我人が助けられるんで頑張った甲斐があったってもんですぜ」

 言っている間にフィリアがやって来て、魔法で怪我人の治療を終えてしまう。ただし癒やした人々が起きる気配がないため困惑した様子だ。流石にヤトノの厄が原因のため、侍祭の力程度では意味がないという事だった。


 フィリアはアヴェラに視線を向けて微笑んだ。

「アヴェラも大丈夫です? こんな立派な事をするようになって、私は今とっても感動してますよう。直ぐに治してあげますね」

「ああ、これは問題ありません。フィリアさんの魔法が効かない案件ですから」

「うっ……まさか……」

 フィリアは恐々とヤトノを見つめた。正体を知っているだけに怯え気味だ。普通はこういった反応で、平然と受け入れている方がおかしいのだろう。

「そういう事ですよ。それより昔みたいに二人だけの内緒ねっていう、おまじないでもしてくれたら一発ですね」

「ちょっと変な言い方をしないで下さい」

 慌て気味のフィリアだったが、ウェージに目を向けた。

「あのっ、変な誤解しないで下さいね。おまじないは、頭を撫でてあげてただけなんです。分かりましたか、だから誤解しないで下さいよう」

「はははっ、昔から坊ちゃんがお世話になってたみたいで。フィリア侍祭には感謝しかありませんぜ」

「そんな事ないですよう……」

 照れ気味のフィリアをみて、何だこれはとアヴェラは訝しんだ。どうして、こんな時にここだけラブコメ時空になっているのだろうか。

 だが何にせよ――アヴェラは微苦笑して息を吐いた。

「ウェージさんは、フィリアさんの護衛を頼みます」

「おっ? いや俺は前に出て戦った方がいいだろ」

「大丈夫ですって。それより回復の要を守る方が大事ですから。付かず離れずで、しっかり守ってあげてください。頼みますよ」

「ふむ、了解だ。この俺に任せてくれって。全力で守ってみせるぜ」

 力強く言ったウェージの後ろで、フィリアが両手を組んで顔を真っ赤にしていた。そしてアヴェラは無慈悲に言った。

「と言うわけで、倒れてる人達は二人で運んどいてください」

 アヴェラはヤトノと一緒に卒倒したままの男の足を掴んで引きずっていった。後には呆然とするウェージとフィリアと、十人近い倒れている人が残される。


「さりげに鬼な御兄様も素敵ですわ」

 ヤトノは御機嫌なまま、男の足を掴んで引きずっていく。まるで子供がお気に入りの玩具を運ぶような有り様だ。

 辺りを警戒していたイクシマが顔だけ向けてきた。

「お主ら大丈夫とは思っとったが、大丈夫だったんか?」

「そりゃもちろん。こっちはどうだ」

「五人ばっかし保護して、そこの家に避難させとる。敵は十人来たんじゃが姉上たちが全部始末した。怪我人はノエルが転んで頭をぶった。のう、これまだ続くんか?」

「それを今から確認する」

 アヴェラは引きずっている男の足を持ち上げてみせる。どれだけ敵がいるかは分からないが、その情報源はここにあるのだ。

「よし、ここは我が引き受けておこうではないか。まあ、お主の忙しいとこを補助してやるのも我の役目ってもんじゃからな。あとで、たっぷり感謝するんじゃぞ」

「ノエル、ここは頼むぞ」

「ちょっとは聞けよおおおっ!」

 咆えるイクシマをノエルとニーソが宥めているが、アヴェラはバリケードの合間を抜けて、近くの民家に入り込む。

 既に無人となっているが、古い石造りの建物なので防音もばっちりだ。

「さてと、意識はあるな。素直に話してくれ」

 あまり時間がない。男の様子を見ながらアヴェラは言った。

「…………」

「まあ簡単には言わないよな。だから、意識をしっかり持つように」

 言いおいてヤスツナソードを男の足に突き立てる。

 途端に男の身体が痙攣するが、単なる痛みのせいだけではない。剣身から溢れる黒い靄に侵食されていくためだ。さらに身体の内側を得体の知れぬモノに満たされていく感覚に男の目が見開かれた。

 それでも歯を食い縛り必死に耐えている。

 素晴らしい精神力だ。

「困ったな……」

「大丈夫ですよ、御兄様」

 しかしヤトノは楽しげに笑った。

「別に今は喋らなくてもいいです。このまま侵食すれば魑魅魍魎に変わりますから。そうすれば素直に語ってくれます」

 褒めて欲しそうに見上げ、しかし気付いて貰えず少しふて腐れる様子も含め、どこまでも無邪気な様子である。男は目を見開き何かの言葉を口にしようとした。

 だが既に手遅れだ。

 ふいにヤスツナソードが転がれば、男の居た場所には蠢く闇があるのみ。

「さあ、知っている事を御兄様にお伝えなさい」

 闇に命じるヤトノは邪気のない笑みを浮かべた。


「アヴェラ君。どうだった?」

 明るい日射しの中でノエルが言った。拗ね気味のエルフは、じと目で睨んでいるが話は聞きたいらしく耳をそばだてている。

「分かった範囲で相手は軽く百人。元騎士に兵士とかの手練れも多い。さっきの奴の受けた指示は、祭りで浮かれたアルストルを襲撃して混乱させること。あとは別の連中が街に火を付けるって話は分かったが、全体の目的までは分からない」

 周りにいた者たちは、火という言葉にぎょっとした。

「これだけ晴れて乾燥してると、火事になったら大変なの」

 ニーソの顔には不安がある。

 アルストルの街は石造りの建物が多いが、しかしそれは上流階級や資産家、または古くからの住民の住居だ。新しい住民は安価な木材とレンガを使用した住宅や集合住宅に住んでおり、そしてそれはアルストルの大多数を占めている。

 もちろん火事の備えはある。

 水の神の加護を受けた魔法使いで組織された消火隊や、市民による消火活動も行われる。しかしそれは平時の話で、祭りで人が動いた最中に襲撃で混乱する中での消火はほぼ無理だろう。

「折角の天気だけど、こうなると恨めしくなるのよね」

 ニーソの言葉にアヴェラは微妙に責任を感じてしまう。

 晴天の原因はヤトノで、いずこかの神を脅しこの天気にさせているのだ。しかもそれはアヴェラの為にやった事なのである。

「御兄様、御兄様。雨ですか雨が必要ですね、分かりました。わたくしにお任せ下さい。御兄様の為に、水とか雨の神に一生懸命しますから」

 小さな女の子が皆を心配して、健気なことを言っている。そんな感じに受け取った人々は、ホロリとさえしていた。

 だがヤトノの正体を知る者は戦慄するばかり。

 それでも慣れている辺りは諦め顔だが、慣れてない方は激しく震えている。フィリアなどは特に動揺が酷く、そこに怯えが加わって立っているのもやっと。気付いたウェージに支えて貰っているぐらいだ。

「待て待て神頼みは最後ってもんだ」

「そんなっ、御兄様。遠慮から遠慮無く頼みましょうよ」

「人事を尽くして天命を待つ。つまり、ここは魔法を使うべき時だな。待ってろ、いま直ぐに雨を降らせる良い魔法を――」

 アヴェラが言った途端だった。

「やめんかあああっ! お主の魔法は禁止じゃろが!」

「そうだよアヴェラ君。駄目、絶対駄目。ここはヤトノちゃんに任せようね。その方が絶対いいんだからね、うん。間違いないよ」

「うむ、絶対に碌な事にならん。だから魔法は使うんじゃないぞ。よいな、我との約束なんじゃぞ」

 ノエルとイクシマに詰め寄られて猛反対される。ネーアシマたちエルフは里の惨事を思い出し、激しく同意した。そんな有り様に、ニーソはアヴェラの腕に触れた。

「あのね、良く分からないけど迷惑かけたらだめなのよ」

「むっ、そういうわけでは……」

「皆がそう言うには、それなりに理由があると思うの。だから今はちょっと待っておこうよ。でもね、アヴェラが本当に必要だと思った時は躊躇いなく魔法を使えばいいと思うけど」

「…………」

 優しい笑顔の前に、アヴェラは頷いた。

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