第163話 始まりは怒濤の如く

 ボンッ、ボンッ――と小気味よい音が空に響いた。

 大冒険市の開催を告げる白い煙塊が、晴れわたった空に幾つもある。元の世界で言う号砲のようなものだが、こちらでは魔法使いたちによる爆発系魔法だ。

 アヴェラは少しうずうずした。

 祭り特有の何か大きく声をあげ騒ぎたくなる気分だ。自制心のある方のアヴェラでさえこれだ。周りの人々は元より、ノエルやイクシマも声をあげている。

「はっはぁ! 始まったんじゃって! ものっそい楽しい!」

「凄いよね、お祭りだよね! こんな日が来るなんて。でも、こんな事もうないかもだし……あっ、でも。このお祭りは今だけだよね。思いっきり楽しまなくっちゃ」

「ノエルよ、お主は実に良い事を言う。最っ高ーに楽しむんじゃって。そんでもって来年も再来年も、その次もずっと先も。毎回我ら皆で祭りに参加じゃぁ!」

「そうだよね。ずっと毎回だよねー」

 二人は両手を打ち合わせた。

 それを見やってアヴェラは静かに微笑んだ。そして傍らから鼻をすする音に気付くが、いつの間にかイクシマの姉エルフが横に来て、ハンカチを目に当てていた。

「おい、どうした」

「うっうっ、イクシマちゃんがあんなにも嬉しそう。ああ、ものっそい嬉しい。嬉しすぎて死んじゃいそうなんじゃ」

「あっそう。それよりエルフ訛りがでてるぞ」

「ちょっとね、あなたね。少しは喜んだらどう? なんだか、一人だけ冷めた感じよね。そいうのって、くないわよ」

「周りが大騒ぎすると冷静になる性格なんだ」

「はぁ損な人ね」

 ネーアシマが呆れるが、アヴェラも同じことを思っている。

 どうにもこうにも、周囲が興奮すればするほど却って冷静になってしまう。だから人の輪に入って一緒に馬鹿をやれない。今も急速に頭が冷えて、楽しい気分は継続しているが、わくわく感は萎んでいる。

「そんなんじゃ、イクシマちゃんがつまらなく思うでしょ。もっと楽しい顔をしなさいよ。ぱーっと騒ぎなさい、イクシマちゃんのために」

「だったら空に魔法でも打ち上げるか」

 そこらでは市井の魔法使い達が号砲に倣って、勝手に空に魔法を打ち上げている。

「あら、それは良いわね。私と一緒に魔法を――」

 エルフの耳は地獄耳。

 イクシマは魔法という言葉を聞き逃さない。

「姉上ぇえええ! それはいかん、いかんのじゃって!」

「どうしたのイクシマちゃん!?」

「こ奴に魔法を使わせるとか、おっとろしい事は駄目なんじゃって。祭りが終わるどころか世界が終わってしまう」

「あら、大袈裟……」

 言いかけてネーアシマが黙り込んだのは、エルフの里で見た光景を思い出したからに他ならない。地形が変わり川の流れも変わり、ぺんぺん草も生えないと婆様が表現した惨状だ。

「余計な魔法は使うでないぞ。我との約束じゃぞ、よいな! 絶対なんじゃぞ」

 イクシマに――あとついでにノエルにも――迫られ渋々頷くアヴェラだが、心の中ではむしろ魔法を使いたくなっていた。つまり結局へそ曲がりなのだろう。


 通りにぽつぽつと人の姿が現れ、それは流れとなって増えていく。まだ辺りを興味深そうに見ているだけで、居並ぶ屋台に近づきそこを覗く客は少ない。しかし時間が経つにつれ人の数は増えていき、それに伴い賑やかさが増して客が増えていく。

 だが、しかしアヴェラたちの用意した屋台は閑散としていた。

「売れないな」

「売れないよね……どうしよう」

 アヴェラは憮然として、ノエルは動揺している。

 売れない理由は分かっている。

 その一つが――エルフたちだった。

 屋台の売り子として並ぶのはエルフたちで、全員がネーアシマと共にエルフの里からやって来た。そして海産物と菓子を貰う為に御手伝いを買って出たのである。

 しかし問題は、エルフは男も女も金髪碧眼で美しい点だった。

 イクシマやネーアシマのような美人だが愛嬌のある顔立ちではなく、目元涼しい流麗な顔立ちをしている。つまり美形すぎて、客が気後れして近づけないのだ。

 一応は遠巻きにする男女はいるものの、それは絵画を鑑賞するような憧れの様子であって、近づいて声を掛けて売り物を買うまでに至っていない。

 もう一つの理由は――ケイレブだった。

「すいませんが、ケイレブ教官。もうちょっと愛想の良い顔で呼び込みして下さいよ。笑顔です笑顔」

 上級冒険者が旗を持って立てば、まるで戦場往来。迫力がありすぎる。後ろの屋台の美形エルフを護衛でもしている感じで、余計に人が近づかない。

「なかなか注文が多いね。分かったよ……ほら、どうだい。こんな感じで」

「あっ、やっぱり笑顔は無しで」

「……酷くないかい?」

 ケイレブは肩を竦めてしまう。

 しかし仕方が無い。ケイレブの笑顔は迫力がありすぎて、言うなれば人喰い虎の笑顔のようなものなのだから。ますます客が来なくなる。

「売れないのは困る……どうすれば……」

 ニーソに迷惑をかけるという事もあるが、それに加えて大福が売れないという事が哀しくて悔しい。自分の知る美味しいものを皆に知って貰って、美味しいと思って貰いたい。


「おうおう、どうしたどうしたアヴェラよ。なにやら、悄気ておるではないか。あぁ大福一つくれ」

 現れたのはジルジオであった。

 いつもに増してラフな格好をして、腰には短めの剣を一本。堂々とした態度は、まるでこの祭りを取り仕切る主のようにも見えている。

 エルフに礼を言って大福を受け取り、豪快に齧り付いた。

「うん美味い。で、どうした?」

「爺様が最初の客って事です」

「ああ、そうか。はーはっはっは! そうかそうか、アヴェラよお前は出来るやつだがまだまだ分かっておらんな。よし、お前達少し休憩しろ。それで全員で大福を食べるのである」

 さっさと取り仕切ってしまう。

 イクシマとネーアシマは待ちかねていたように素早く大福に手を伸ばした。ノエルは遠慮がちに口にして、そしてヤトノはアヴェラの分を持って来て一緒に食べる。エルフたちは顔を見合わせ戸惑いつつ――試食で味をしめているので――嬉しそうに大福を食べだす。

 すると見ていた何人かが近づいて注文し、それを皮切りに注文が舞い込みだした。

「なるほど。他の者が食べておれば、自分も食べたくなると」

「そうなのであるな。あとは誰かが先じねば人は動かん。戦場でも同じであったな、びびって動けん連中を尻目に一騎駆けする儂。その後ろを皆が必死に追ってくる。かーっ、懐かしいわ」

「流石は爺様、戦場を一騎駆けとか凄い!」

「それほどでもあるな。うわーっはっはっは!」

 孫からの尊敬と憧れの眼差しを受け、にわかに賑やかしくなった辺りに豪快な笑い声が響いた。


「ところでであるが」

 身を反らして笑っていたジルジオだが、ふいに笑いを止めた。その視線はジロリとケイレブに向いている。その目付きは鋭く、上級冒険者であるケイレブが身を強ばらせている程だ。

「そこのお前、何やら見覚えがあるな」

「いえいえ、とんでもゴザーマセン。僕はトーリすがりの冒険者でゴザーますデス」

「あー、やはり覚えがあるな。名前は確か……何であったか」

「名も無き者であれば、ご容赦を」

 ケイレブは目を逸らし額からダラダラと汗を流している。

 その様子にアヴェラは察した。きっと過去に何か気まずい事があったのだろうと。だから世話になっているケイレブの為に間を取り持とうと思った。

 完全なる善意である。

「凄く世話になってるケイレブ教官ですよ」

「ほう? おおっ、ケイレブ! なるほどケイレブ! あのケイレブか」

「そうです、上級冒険者なんです」

「ほーっ、上級冒険者にまでなりおったか。そういや、これは死ぬだろうと思っても生きて戻っとったからな。上級になるのも当然か」

 ジルジオは顎を摩りつつ頷いている。

 当のケイレブは文句を言うどころではなく、汗を流し怯えきって震えていた。酷い目に遭った過去でも思い出している様子だ。

「ちなみに、御兄様が気絶するぐらいの一撃を入れてました」

 ささっと言ったヤトノは、ケイレブに向かって舌を出すと、アヴェラの後ろに隠れてしまう。こういった事は忘れないのだ。

「おうおう、そうであるか。それはいかんなぁ」

 ジルジオは笑った。

 先程のケイレブの笑顔が人喰い虎なら、こちらは人喰い竜だ。

「よし! このケイレブを借りていく」

「爺様何をする気です? 言っとくけど、凄く世話になってるからね」

「分かっとるわーい! こういう祭りがあると余計な事をする奴がおる。このアルストルを快く思わぬ連中が暗躍したりとな」

「まあ確かに」

「というわけで、儂と一緒にその辺りの対応である。どうせ役に立っておらんであろう? こんな目付きの悪いのがおれば来る客も来なくなる。はーっはっはっは」

 そう言ってジルジオは大股で歩きだす。ケイレブがついてくるのが当然と思っているらしいが、実際に項垂れたケイレブは諦めきってのそのそとついていく。

「……まあ、いいか」

 アヴェラは若干気の毒に思いながら見送った。

 そして実際に、それから客がますます増えたのであった。

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