第160話 祭りの前に胸騒ぐ

 大通りは程々の人の出があって、歩くのに困るほどではなかったが、それなりに気を遣って避けて歩かねばならなかった。祭りが近いという事もあってか、どことなくそわそわした雰囲気が漂っている。

 それは気の早い者が屋台や飾り付けの準備を始めているせいでもあるし、いつもより笑顔や弾んだ顔をしているせいでもあった。あと数日もすれば、それは一気に加速して街の中が賑やかで華やかになるはずだ。

 もう祭りの準備は大詰めだ。

「思ったよりはギリギリだったな」

「始めが遅かったですものね」

 ヤトノは片足を交互に動かして、軽く跳ねながら進む。こちらは別に祭りで浮かれているのではなく、アヴェラと一緒に出歩けばいつもこうだ。

「確かにな。そう思うとよくやったよな、短い時間で何をするか決めて材料集めて手配して準備をして……まあ一人で全部やったわけじゃないけどな」

「チームワークです、チームワークの勝利なんです」

「あとは売り上げか。商会同士の売り上げ競争もあるが、その中でも競争もある。どうせやるのなら勝ちたいな、知り合いを動員してサクラってのもありだな」

 物事は初動が大事で、どれだけ良い品でも最初にケチがつけば物事が上手く運ばない事は多々ある。だからこそ場を盛り上げる事は必要だ。

 むしろ用意せねばならないだろう。

 他の商会も多量のサクラを動員するはずだ。多量の店や商会があって商売が盛んな世界なのだから、誰もそれに気づかないといった事があるはずがない。

「ふむふむ、サクラですか。確かエルフの里にあった花ですね。はて? あれを召喚でもするのですか」

「いやそうでなくて――むっ」

 言いかけてアヴェラは眉を寄せた。

 前の方を歩く集団の中に見覚えのある姿を見つけたせいだ。

「御兄様、あそこに見えるはニーソめですよ」

「そうだな」

 言うまでもない事を言ったヤトノの言葉に、アヴェラは静かに頷いた。


 他人の識別は顔によるものが最多ではあるが、体つきや髪型や服装、さらには仕草や動きによっても区別をされる。だから多少の距離があって、しかも後ろ姿だけであっても相手が誰か分かるのだ。

 いつもであれば近づいて声をかけるところだが、今はそれを遠慮する。

 なぜならニーソの周りにいるのが、アヴェラの知らない者たちだからだ。

 いずれも若い女性でニーソよりも歳上。着ている服は遠目でも上質そうに見えるので商会関係者だが、アヴェラには見覚えがないので、恐らくは他の商会関係者に違いない。

 一瞬で判断して声をかけないことにした。

 ニーソにはニーソの人間関係――または社会や世界と言うべきか――がある。相手の気持ちを考えれば、どれだけ親しい間柄であっても、そこに割り込む事は良くないと思えるのだ。

「…………」

 そうとは言えど、アヴェラは目を引かない自然な動きで道の端に寄って、少し足を速めて距離を縮めた。

 なぜなら、ちらりと見えたニーソの表情が浮かないものだったからだ。

「御兄様、気になるのですか?」

「別にそうではないが。後で聞けば分かる事だろうし……」

「さあどうでしょう? ニーソが悩みを口にするでしょうか?」

 ヤトノはくすくすと笑う。

 それはもっともなことだった。商売の失敗や売り上げ応援で困って助けを求めて来る事はあるが、周囲の人間関係で悩みを口にするとは思えない。

「それはそうだな……」

「知りたいですか? 御兄様は知りたいですか?」

 下から見上げて覗き込んでくるヤトノは、表情こそ優しい笑みだが、目にはからかい面白がるような色がある。

「いいから、はよ教えてくれ」

「まあ酷い」

 くすっと笑ったヤトノは何もない傍らに目を向けた。事故でもあったか軒先を半壊させた店に向かって、ちょいちょいと手招きして合図をする。何もしなければ子供の遊びに見えただろうが、アヴェラには何故かそこに気配を感じていた。しかも、その見えない存在が怯えていることも分かる。

「土地の神様に頼んだのか?」

「いえいえ、辻に棲み着いたものですよ。我が本体の眷属になりますけど」

「あー、無理矢理は良くないぞ」

「ここで程よく災厄を振りまいて、暇そうなんですから構いません。それよりも御兄様の役に立てる事こそが大事ですし」

「…………」

 つまるところ災厄をもたらす存在という事だった。

「災いの種は常に側にあるという事か。気をつけないとな」

「大丈夫です。我が家には近づけませんから、ええもう全く」

 なお災厄の化身はヤトノであるし、アヴェラもその加護を強く受けている。一番危険で危ない場所が一番安全という摩訶不思議な状態なのであった。


「ふむふむ……」

 ヤトノが前を見ながら頷いている。どうやら、見えない何かの声を聞いているらしい。ひょっとすると、会話を直に聞いているのかもしれない。そんな仕草だ。

「一見すると和やかそうに見えて、周りの女どもはネチネチチクチク嫌みを言っておるようです。御兄様のつがいに対し何て嫌な連中でしょうか。呪ってやりましょうか、いえ呪います」

「それはダメだ」

「何故です?」

「上手く言えないが……うん、上手く言えないな」

 困っているなら助けてやりたい。さりとて何でもかんでも手を出せばニーソの成長を邪魔してしまう。

「結局は程度問題だな。で、どんな事を言われているんだ?」

「そうですね。新商品を開発したからって別に偉くないのよ、とか。アルストル家にどうやって取り入ったのかしら? とか。若くて可愛いと武器が多くていいわよね、とか。うーん、にじみ出る嫉妬と嫉みの腐れが心地よく絶妙のスパイス」

「なるほど」

 アヴェラは口をへの字にして、鼻から大きく短く息を吐いた。

 そのまま足を速め背筋を伸ばし大股で、目に力を込め堂々と颯爽と見えるように進み出した。

 歩く先で人が自然と分かれていく。

 恐れているのではなく、畏れて自然と遠慮をして道を譲る感じだ。素足でぺたぺた歩く幼げな少女を誰も気にしないぐらいに、そのアヴェラの姿は覇気に満ちていた。

 少し先に居たニーソと、それを囲む女性たちが周囲の反応に気づいてらしい。それで振り向くと軽くめを見張っている。

「ここに居たかニーソ」

「うん。えっと、どうしたの?」

「ケイレブ教官のところの帰りだ。会いたいと思ってたら、ここで偶然にも見つけるとはな。まるで運命に導かれたみたいな気分だ」

「あの、どうしたのよ。急にそんな……」

「よしよし、可愛いやつめ。早いとこ行こう」

「でもその今は……」

「ああ、一緒の方がいるのか」

 初めて気づいたように、ニーソ以外眼中になかった素振りで、周りの女性に目を向けた。フィールドでモンスターでも見ている気分のため眼光鋭く隙がない。


「貰っていってもいいですか?」

 言葉だけは丁寧に問いかけると、相手はぎこちない動きで首を上下に振った。

「では参るとしますか、我が姫よ」

「でも、だから勝手に」

「仕方のない奴だな」

 ひょいっと背中に手を回して身体を支え、もう片手を足の方にやって抱え上げてしまう。そのまま抱きかかえながら歩き出せば、ニーソは顔を真っ赤にして下を向いてしまった。後は何か言葉にならない言葉を呟き悶えている。

 すたすた行って通りの角を曲がって、そこでニーソを降ろしてやる。

「よしっ! 救出成功だ。大丈夫だったか?」

「えっと……」

「困ってたみたいだから連れ出したのさ。もう大丈夫だろ」

「…………」

 ニーソは無言で下唇を噛んでいる。

「……ばか」

「ん、どうした?」

「ばかばかばか、きらい」

「何だ何だその反応? と言うかだな、昔に比べて重くなったのをここまで抱えて運んだというのに。そういう反応は酷いな」

「ばかばかばかばかばかばか、きらい、だいきらい」

 ニーソはアヴェラをぽかすか連打した。

 後ろをついてきたヤトノは頬を押さえて深々と息を吐く。

「はぁ、これが犬も食べない喧嘩という奴ですね。おや、何です――ふむ、構いませんよ。御兄様から呪うのはダメと言われましたが、憑くのはダメとは言われておりません。お前の好きになさい。ああ、他の子らにも声をかけて全員好きにすると良いでしょう」

 ヤトノは見えない何かとの会話を終えると、どこからか取り出した扇子で口元を隠しクスクスと仄暗い顔で笑った。しかし痴話喧嘩を眺めるときは、心の底から楽しそうに明るく笑っている。

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