第158話 エルフのお百姓さんに成り代わり
細い木々が立ち並び頭上が覆われたフィールドの、木漏れ日がよく差した場所。そこだけ丈の短な青草が覆われていた。
「でもさ、お祭りの大冒険市まであと少しだよね。ちょっと不安になってきたかも」
ノエルはフィールドの草地にぺたんと女の子座りをしている。両手を足の間に突いて、前のめり気味で木箱を覗き込む。
そこには、持ってきた試作お菓子がある。
祭り用にいろいろ試したもので、美味しいものもあるがそうでないものもある。たくさん作ってしまったが、捨てるのは勿体ないため持ってきたのだ。
どれを食べようかと、ノエルは指をたて一つずつ吟味。ようやく決めたが、運悪く目の前を横切った虫を避けたせいで一瞬の間が空いてしまう。すると、がばっと横から伸びた手がお菓子を掴んで持って行った。
ショックを受けても、もう既にモグモグ食べられている。
イクシマは満足そうに息を吐いた。
「うむ、これは美味いんじゃって。で、不安ってどうしてなんじゃ?」
「あうぅ……」
「ん、どしたん?」
「何でもないよ、うん。えっと、そうだね。つまりさ、お祭りでお菓子を売るわけだけどさ。上手く売れるかどうかってこと。売れなかったら大変だよね、つまりニーソちゃんが」
「むっ確かに。そうよのう、これは責任重大なんじゃって」
「だよね」
次の菓子を選んで口にしたノエルだったが、それはハズレの美味しくないもので、しかも自分が作ったと思い出して微妙な顔をした。
「お主はどう思うんじゃって?」
イクシマは傍らに視線を向ける。
そこではアヴェラが、ヤトノの力を借りて熾した小さな焚き火で、何やら炙っていた。もちろんそれは、日にちが経って固くなった大福。二本の串に二つずつ、合計四つを火にかざしている。
おかげで辺りには香ばしい匂いが漂っていた。
「やるべき事をやれば、結果はあとからついてくる」
真剣な顔で焼け具合を睨み、少しも目を逸らさず答える。この食への執念はどこから来るのかと、ノエルもイクシマも呆れ気味だ。
「じゃっどんニーソの為に良い結果を出してやりたいでないか」
「その気持ちは大事だ。でもな、売れる売れないは自分たちでどうか出来る事ではないだろ。客という相手のいる話なんだ。そこで悩んでも仕方あるまい」
「むっ、また妙な説得力のあるような変な意見」
「失礼な奴だな。とにかく皆でニーソの為に頑張った。それが一番大事だ」
アヴェラが頷くとヤトノがぱちぱち手を叩いて褒め称えた。
丹念に遠火で炙られた大福は表面が焼け、ぷくぷく膨らんでは弾け、程よい焦げ目がつきだしていた。中まで程よく火が通っている証拠に、香ばしさに加えて甘さのある匂いがしている。
「あっでもさ、そもそも発端はケイレブ教官のお願いだよね」
「……ケイレブ教官の為にも頑張った。それも一応大事だ」
「うん、そうだよね」
「さてと、そろそろ食べ頃になったな。これは美味しいぞ」
アヴェラは満足げに頷き得意そうに焼けた大福を皆に見せた。残り三人が嬉しそうに手を合わせて喜んだとき、何かが恐ろしい勢いで突進してきた。
「危ない!」
直後、それぞれが素早く動いた。
目の前を紅い大きな獣が過ぎっていく。先ほど倒した緑熊に似ているが、しかし色は紅い。ところどころの甲殻や額の小さな角は、より剛く厳つい。両手は鎌状ではなく、巨大なハンマーのようである。
「凄い威圧感だよ! これってさ、もしかしてのもしかしてだけど」
「間違いなくフィールドボスなんじゃって!」
「戦うしかないよね。アヴェラ君も……アヴェラ君?」
「お主ー! 何を固まっておるんじゃって!? 早くせんと……お主?」
アヴェラは固まっている。その視線は紅熊に蹴散らされた小さな焚き火、ではなくその傍らで踏みつぶされ土と草にまみれた大福に向けられていた。
餅はつぶれ、中から餡が飛び出た無残な姿。
「…………」
固まっていたアヴェラの身体が細かく震えだし、まず目だけ動いて紅熊を見据え、続いて顔が向けられ身体が向き直る。何故かヤトノが――あのヤトノが――そそくさと離れるが、まるで大好きな飼い主が怒る姿を見て隠れる子犬のような様子だった。
これにノエルとイクシマは顔を見合わせ一緒に後ずさる。
「謝るんだ」
そんな静かな言葉と共にヤスツナソードが抜き出される。
「汗水垂らし雨の日も風の日も米を育てた村と、エルフのお百姓さんに、謝るんだ」
アヴェラが何を言っているのかノエルには分からなかった。言葉自体は分かるが、どうして今それを言うのだろうか、エルフのお百姓さんとは何なのか。さっぱり分からないのだ。
突進するアヴェラ。
銀色の輝きが閃くと、紅い何かが落ちていた。
何が起きたのか理解するまで一瞬の間。地に落ちたのは紅熊のハンマーのような手だ。それは腕の半ばから斬り飛ばされていた。
紅熊が咆える。
痛みよりも驚きなのだと分かる声だ。そして悶えるよう身体を揺らし、咆えながら残った腕を振るった。アヴェラの身体が滑るように動いて回避、そのまま紅熊の背後に回り込んでいる。
目で追うのが精一杯の素早さだ。
そして紅熊がまた苦痛とも驚きともつかない声で咆えた。その胴体に輝く剣先が現れた。それが引っ込むと、また別の場所に生えてくるように現れる。背後に回り込んで、何度も突き刺しているのだ。
「あれフィールドボスじゃよな」
「多分そうだと思うよ、うん」
「フィールドボスってのは、皆で戦わんと勝てぬよな」
「普通そうだよね、普通」
「なんか一人で倒しとらせんか?」
「うん、倒しちゃったね」
紅熊が前のめりに傾いて、そのまま倒れ込んだ。地面に叩きつけられた身体は大きな音をたて、軽く僅かに跳ねて動かなくなる。
後には立ち尽くすアヴェラの姿がある。その手には輝くような銀色をしたヤスツナソードが握られていた。
「うむ、我は理解したぞ。やっぱ一番危ないのは、あやつなんじゃって」
しかしヤトノがムッとして、口をとがらせ文句を言う。
「違います、御兄様はそんな事ありません」
「あれ見てみよ。無表情ぞ、無表情でモンスターをザクザク斬ってドスドス刺しておるでないか!? どう見ても危ない奴じゃろが」
「いいえ、素敵じゃないですか。殺戮の神も褒め讃える素敵っぷりです」
「それ褒められて嬉しい相手なんか?」
「うるさい小娘ですね、お黙りなさい!」
「小娘言うな、小姑が!」
顔をつきあわせ言い合いだしている。きっと仲良しなのだろう。
喧々囂々と言い争う二人はさておき、ノエルはアヴェラの顔が哀しそうだと気づいて駆け寄った。危ないと言っても、本当の意味で誰も危ないとは思っていない。
「アヴェラ君、大丈夫?」
「すまない」
「別に気にしなくていいんだよ。アヴェラ君が一人で突っ込んだ時は、そりゃあ心配したけどさ。こうして無事だったんだから、謝る必要なんてないよ」
「そうじゃない……」
言ってアヴェラは焚き火跡を指し示した。
「折角の大福を落としてしまった」
「はい?」
「ちょうど食べ頃に焼けてたのに。美味そうだったのに。それをノエルとイクシマとヤトノに食べさせてやれなかった」
「ええっと……」
ノエルは混乱した。混乱したが、とりあえず自分たちのためにアヴェラが哀しんで怒りを覚え、それで紅熊を倒した事だけは理解した。そこに大福が絡む事についてはさておき。
「あっ、そうなんだ。うん、だったらまたつくろうよ。皆で一緒に焼いたりとかしようね。だから元気だそうよ」
「……うん」
「それならさ、今度はニーソちゃんも含めなきゃだよね」
「そうだな」
ノエルはにっこり微笑むと、気落ちしたアヴェラの手を取って上下に振った。そうして励まし慰め笑っていると、後ろでドスンと音が響いたからだった。
宝箱が出現したのだ。
今回はフィールドボスを倒した事によるものだった。
「あっ、宝箱。という事は、どうせまた中に鍵が入っているだろうから。つまり近くに転送魔法陣があるって事だよね。じゃあ解錠しなきゃ。はいはい、そっちの二人も喧嘩をやめなきゃだよ」
ノエルは言って頷いて仕切っている。なにせ普段は仲間をまとめるアヴェラの元気がないのだ。自分が代わりを務めようと張り切っているのだった。
そしてノエルは解錠に何度も失敗したあげく、罠に引っかかって酷い目に遭いかけて、偶然にも助かったもののすっかり気落ちしてしまう。ただし、その惨状をみたアヴェラが気を取り直してくれたので満足している。
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