ウィンターウィンド・ケイレブ3
街の中心街を離れ倉庫が建ち並ぶ場所。
少し日が傾いた頃合いで、各倉庫では帰り支度の片付けに取りかかる場所や、実際に帰り出している場所もある。街中とはいえ夜暗は危険であるため、殆どの労働者は日が暮れる前に帰宅するものだ。
深夜まで残って働くなど、そもそも生き物として異常に違いない。
だからケイレブとヤオシマが向かう先の倉庫は、やはり怪しいと言えるだろう。帰り支度の様子は皆無で、雇われ者とは言え人がまだ残り、しっかりと周囲に目を配っているのだ。
木壁の倉庫は黒味を帯びた頑丈そうなもの。
周りにいるのは雇われ者の冒険者が大半だが、その中にヤゴチェと、部下が何人かいる。いずれも暇そうだが、ケイレブとヤオシマの姿に気がつくと警戒し……多少は見知った相手のため意外そうな顔になる。
「お前らか? もしかして気が変わってヤゴチェ様の下で働く気に――」
ケイレブは足取りを変えぬまま、剣を抜き放って一閃させる。
それでヤゴチェの部下は呆気にとられた顔をしたまま、首から血を噴き上げ倒れ込んで痙攣した。近くに居たもう一人の部下は、驚きでまだ動けないでいる。そしてヤオシマも金属の棒を、ヤゴチェの部下の一人に叩き付けた。
血反吐を吐いた男の姿に、雇われの者たちは戦慄した。
「さっさと排除しろ! そいつらを斬れ!」
ヤゴチェが叫ぶが、誰も直ぐには動けない。
「報酬を倍だすぞ。とどめを差した奴は三倍だ! 早い者勝ちだ!」
金に目が眩んだ者たちが声をあげ襲いかかった。たが、ケイレブの剣が一閃すると次々と倒れていく。他の者も一斉に武器を手に動きだし、倉庫前は戦場のような光景になった。
「太陽神の加護よ光なせ、フラッシュ!」
ヤオシマの手元から閃光が迸り、注目していた者たちは悲鳴をあげ顔を押さえた。その隙にケイレブは突撃し剣を振るう。そこには最初の時と同じく慈悲などない。
魔草などを流通させていた連中に容赦は不要であるし、雇われている者たちも向かってくるなら斬り捨てるのみ。相手の方が数が多いのだから、躊躇していてはこちらがやられてしまう。
実際、相手は一斉に襲ってきた。
二人に向けて剣が振るわれ魔法が飛び、矢が狙ってくる。だが、何故だか分からないがケイレブもヤオシマも絶好調だった。見えない誰かに応援されているように、身体に力が満ちてくる。
それは不思議な感覚だった。
まるで何かに守られているように、全身が冴え渡っている。相手の動きが手に取るように察知できる。飛んで来る矢を見て回避できてしまう。ヤオシマの魔法は普段より倍以上の効果で相手を薙ぎ払う。
本来であれば、多勢に無勢で満身創痍になるはずのケイレブとヤオシマは無傷だ。
この凄まじい勢いに、雇われ者は次々と逃げだした。向かってくるのはヤゴチェの部下だけだが、それも次々と討ち倒されて数を減らしていき、ついには敵わないと悟って逃げ出した。
後には、ヤゴチェだけが残されている。
「悪いけどね、後顧の憂いは断たせて貰うよ」
ケイレブは血に濡れた剣を引っ提げヤゴチェに向かった。依頼は救助ではあるが、後顧の憂いも含め邪魔者を排除するつもりだ。あと悪事に利用してくれた事への落とし前でもある。
「待て! 分かった。だから止めろ、待て」
「申し訳ないね、依頼料を貰っているのでね」
「それは幾らだ!? 倍は出すぞ!」
「硬貨十枚さ」
「ふ、ふざけるな! そんな端金――」
皆まで聞かず、ケイレブは剣を左から右に薙いだ。ヤゴチェの驚愕した顔は、自分の身体をそこに置いたまま宙を舞う。
「ただし依頼主の全財産だよ」
うそぶくように言ったケイレブが振り向くと、血まみれの鉄棒を担いだヤオシマがやってきた。そちらも粗方片付いたらしい。
「しっかしなー、こりゃどうなっとるんじゃって? なんじゃか身体の感覚がおかしいと言うか。いや、それより我たちが無傷で勝てるのが驚きなんじゃが」
ケイレブは空を見上げた。沈みゆく太陽の光が妙に眩しい。まるで自己主張されているぐらいな気がする。
「……世の中の理不尽に憤るのは、僕らだけじゃないって事かもしれないね」
「ぬう。よしっ! やめやめ、もう細かい事は考えぬぞ。それよか依頼はまだ終わっておらん。ほれ血を落としておけ、これから囚われの姫と面会じゃろ」
「おっと、それはいけない。紳士たる者、身だしなみに気を付けなくてはね」
言いながらケイレブは剣を振って血を払い、倒れた者から布を奪って血を拭った。
ヨーコは倉庫の石床に座ったまま、どこか遠くから争うような声を聞いた。それから金属のぶつかる音に悲鳴など激しい音がつづき、やがて静かになった。
だが、無関心に床を見つめ笑みを浮かべている。
悪い人たちに掴まった恐怖も今はない。この薄寒い場所に居ると、なぜだか母の事ばかり思い出される。気付けば徐々におかしくなって、辛い生活になってしまったが、それでも蘇るのは優しかった母の姿ばかり。
それも全ては、あの干し肉のお陰かもしれない。
正気になった母と最後に残った食卓を囲んで、家族三人で干し肉を囓って、笑って食事をした。だから嫌な記憶が消えて、良い思い出だけが残ったのだろう。
だからヨーコは笑みを浮かべている。
自分がこれからどうなるか分からない。でもどうなろうと構わなかった。メーコを逃がしてやれたのだから、それ以上は望まない。しかし、聞こえて来た足音にヨーコの身体が震えた。
石床の模様だけを見て、後は何も考えないようにする。
たとえ自分がどうなろうと――。
「やあ、お嬢さん」
どこか聞き覚えのある優しい声に、思わず顔をあげた。
「あっ」
「ヨーコだね、メーコに頼まれ助けに来たよ。さあ、もう大丈夫だから」
「…………」
優しい言葉が嬉しかった、しかし笑うことはできない。
ヨーコの心にあるのは奇妙な気持ちだ。これまでずっと辛い生活が普通であって、そこから抜けだすことが恐かった。少しでも幸せになれば、その後に訪れる不幸が恐ろしい。自分は不幸で構わないからこそ、メーコを逃がしたのだ。
助けに来たと言われても、自分が助かってよいのか、どうしても迷ってしまう。
「でも、私は……」
「もう悪い奴はいないさ。これから言う事をよく聞きなさい。君には幸せになる権利がある。君は辛い想いをする時があるかもしれない。それでも君は生きて前に進まなければいけない。しかし君が望むのであれば、僕はその手助けをしてあげよう」
少し気障な台詞と思ったが、ヨーコはその言葉が心地よかった。目の前の男の人が輝いて見えたぐらいに心地よかった。
「さあ、お嬢様。この手をどうぞ」
差し出された手が、素敵な夢のように思えたからだ。もし触ってしまえば、その瞬間に全部が消えて夢から覚めてしまうのではないか。そんな不安がある。
それでも勇気を出した。
手を伸ばすと、しっかりと掴んだ。掴めた、消えなかった。確かに暖かい手はそこにあって、強く優しく握り返してくれる。
「お主なー、ちっと気障すぎやせんか? どうなっても知らんぞ」
「なに、今はそうしたい気分なんだよ」
「そういう意味でないんじゃがな。子供と思うなかれじゃぞ」
ヨーコは掴んだ手を離すまいと心に誓っている。
倉庫を出たケイレブとヤオシマは、そこに大勢の姿を見つけて驚いた。しかも、それは街の警備兵だ。そうなると非常にマズい。なにせ散々に暴れ、何人も斬っているのだ。たとえ事情を話しても、そう簡単に許されるものではない。
警備兵の間から、見覚えのある姿がやって来た。
「あーあ、派手にやってくれましたね」
「カピキオ?」
それは間違いなくカピキオで、しかもメーコを連れている。そのまま姉妹を引き合わせると、にやにやと笑いかけてきた。
「お陰でかなり楽になりましたよ」
「まさか君は」
「ご想像の通り、この街の警備隊の者でして。一応は隊長をやらせて貰ってます」
「隊長!? それがどうして冒険者に? しかも僕たちと一緒に?」
「もちろん――」
警備隊はヤゴチェの魔草の売買に気付いて調査中で、ヤゴチェに雇われた冒険者から情報を引き出そうと、ケイレブとヤオシマに近づいたという事だ。
「もしや一味かと思えば、どうも無関係でガッカリ。そしたら、とんでもないお人好し。これは利用させて貰わねばと思って、慌てて部下を集めてきましたよ」
カピキオは楽しそうに笑った。
「逃げた連中も全部捕まえましたし、ヤゴチェは裁く必要もなし。貴族と繋がりがある奴でしたらから、物言わなくなって助かりました」
「あーなるほど。そうかいそうかい、ところで僕らはどうなるのかな」
「別にどうにもなりませんて。何せヤゴチェ一味はね、分け前を巡って争って殺されたみたいでね。ああそうだ、ヤゴチェを殺した奴は……ああ、そいつでいいかな」
ちょうど目の前を連れて行かれていたヤゴチェの部下は、ヤゴチェ殺しの犯人となった。もちろん処刑される運命だ。
「それより、お二人とも。この娘らはどうするつもりです? 言っておきますが、この街で誰かに面倒を見て貰うのは無理ですよ」
「……ある程度の金を渡すつもりだよ」
「そして追い剥ぎに襲われ、金どころか命まで失うと? 残念ながら、この街の治安は良くないですね。何せ魔草が出回るぐらいですから」
カピキオは自虐的に笑った。その表情の中に、この問題を必ず解決してみせるという強い決意が漂っている。鋭い眼差しは間違いなく警備隊の隊長そのものだ。しかし、その眼差しも緩む。
「ところでケイレブさん、知ってます? 捨て犬を拾ったら、幸せになれるよう責任をもって面倒をみなければダメなんですよ」
「僕は冒険者なんだが」
「じゃあ戦い方を教えればいい。この冷たい北風吹く世の中を生きていく力、それを授ければいい。そうじゃありませんか」
「しかしね二人は……」
動揺するケイレブは気付いて視線を下に向けた。ヨーコとメーコが走って来て、縋るような目で見つめてくる。しかも、二人して服の裾をしっかり掴んで放そうとしないではないか。
「ほれ見よ、どうなっても知らん言うたじゃろが。お主の負けじゃって」
ヤオシマがケイレブの肩を小突いた。カピキオも苦笑している。
「……まあ仕方ないね。とりあえず生きていけるだけの事は教えてあげるとしよう。そうそう、カピキオに言っておこう」
「なんです?」
「世の中は冷たい北風が吹くけどね。しかし北風が吹かねば南風も吹かないのさ。だから北風は悪いものではないのさ」
カピキオは虚を突かれた顔で目を瞬かせ、その後に破顔した。そして少女二人を連れた二人の冒険者が立ち去っていく姿を見送った。
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