ウィンターウィンド・ケイレブ2
「ケイレブさん、ヤオシマさん。お二人とも強いんですね」
そうカピキオという男が言った。
どこか煽てあげるような口調を感じ、ケイレブは無言で肩を竦めた。ヤオシマの方は軽く鼻を鳴らしただけで、後は反応すらみせない。知り合ったばかりで、妙に馴れ馴れしいカピキオに対し、あまり良い印象を抱けないのは事実だった。
そもそも、滞在している街自体に良い印象がない。
知らぬとは言え片棒を担いでしまった魔草の売買が、今もこの街で行われているかと思えば当然だ。それなら早く街を離れれば良いのかもしれない。だが、何となく離れられずにいる。
そうした憂さを晴らすため、ここ数日思いっきり贅沢な食事を楽しんでいたのだが、そこに寄ってきたのがカピキオだ。最初は相手にしなかったが、しつこく何度も寄って来るため、ついにはモンスター退治のクエストを一緒に行ってしまった。
時刻は昼過ぎの頃合い、郊外で戦闘をすませた直後である。
「しかも羽振りが良い! 儲けるコツとか、儲かるクエストとか、教えて下さいよ。お願いしますよ」
「……余計な事は考えず、地道にやる事だね」
「いやそれがね。地道にやっても全く儲からないんですよ。金になるクエストがあれば、直ぐにでも受けたいですね」
「一つ言わせて貰うがね、報酬が良くて待遇が良くて短期間で稼げそうな依頼を見つけても受けるな。そんな虫の良いクエストは裏がある。分かったかな」
厳しく言って、ケイレブはカピキオを睨んだ。
脳裏には魔草によって人生を台無しにされた女性と、その二人の娘の姿が浮かんでいる。だからだろう、掠れるようなか細い声に即座に反応出来たのは。
「冒険者さんですか、依頼を――」
即座に目を向けると薄汚れた子供の姿があった。道行く冒険者を弱々しい足取りで追いかけ、何かを頼もうとしている。
ケイレブは歯を噛みしめ、後ろのヤオシマも唸っていた。
間違いなく、あの最後に取り立てに行った家の少女だ。
「あのっ、冒険者さん。依頼を――」
声をあげるが足を止める者はおらず、露骨に無視され蹴飛ばされるようにして跳ね飛ばされている。石畳みに倒れ込んだ少女は、それでも諦めもせず、血の滲んだ膝を気にする様子もなく立ち上がろうとしている。
ケイレブとヤオシマは耐えきれず、同時に駆け寄っていた。
「大丈夫か」
「全く、何て酷い奴らなんじゃって」
少女の服は薄汚れ素足は擦り傷だらけ。前に見たときよりも痩せたように見える顔は誰かに殴られたのだろう。青あざと乾いた血の痕がある。ケイレブは即座に回復薬を差し出した。カピキオは何が起きたか分からず目を瞬かせている。
「これを飲みなさい」
「あの時の干し肉のおじさん」
「おじっ!? とにかく、この回復薬を飲みなさい。お兄さんからの贈り物だ」
半ば押し付けるが、戸惑い躊躇い飲もうとしない。だから一度取り上げて開封し、少女に持たせてやって、その手ごと口元にまで動かし飲ませてやった。
「それより、君はどうしてこんなところに。こんな処で怪我までして。それに冒険者に用事があったようだが……もしかして、お母さんに何かあったのかな」
「お母さん? お母さんは死んじゃいました」
「…………」
ケイレブは胸が詰まって何も言えなかった。
その責任の一端が自分にある気がして、罪悪感でいっぱいなのだ。しかも、自分たちが腹いっぱい食べて飲んでいる間に、この子は最悪の状態に陥っていたのである。罪悪感は、いや増すばかりだ。
「それはすまない、悪い事を言った」
「ううん、いいの気にしてないよ。あのね、お母さんね。最期は昔みたいに笑ってくれたの。それでね、悪い親でごめんねって言ってくれたの」
「…………」
ケイレブは拳を握りしめ、静かに持ち上げ、また降ろした。そうしなければ、喉の奥から叫びたい気持ちを抑える事ができなかったのだ。
「でも、そしたらね。あの恐い人たちが来たの」
「なんだって?」
「借金があるから、私とお姉ちゃんを売るんだって」
「あいつら……!」
「でも、お姉ちゃんが逃がしてくれたの。それで私、私だけ……逃げたの」
悲しそうに肩を落とした姿は、世界で最も可哀想な者に見える。
だがケイレブは知っている。少女の不幸も世界で良くある出来事でしかなく、誰もがどこかで災厄に出会って苦しむのだ。その災厄を直視し乗り越え抗うことこそが人生なのだと思っている。
「なるほど。冒険者に声をかけていたのは、もしかしてだが」
「うん。お姉ちゃんを助けたいの」
「…………」
ケイレブは言葉に詰まった。
この子は、この子なりに必死に考えたのだろう。自分ではどうする事もできない状況に諦める事なく、この災厄に抗おうと必死で、一生懸命に考え冒険者を雇おうとしていたのだ。
「…………」
だがケイレブは気付いてしまった。
この子は諦めず行動しながら、同時に無理だと諦めているのだと。
それは矛盾しているかもしれない。だが本当に絶望している時には、諦めない気持ちと諦めた気持ちが両立する時がある。
ケイレブはその事もよく知っている。
「あのっ、おじさんは冒険者ですか?」
「冒険者だよ。ただし、お兄さんだがね」
「あの、これ……」
少女の手が突き出される。
その手の平には硬貨が十枚ある。きっと落ちていたものを拾い集めたのだろう。少女の手と同じく汚れ傷つき踏みにじられてきたものだ。
「お姉ちゃんを助けて下さい、お願いします」
横からカピキオが覗き込んできた。
「あー、駄目駄目。チビちゃん、そんな額じゃ無理ってもんだ。その百倍でも足りないだろう。だからね、そういうのは街の警備隊に頼むべきだ。ちゃぁんと調べて助けてくれるからね。それまで大人しく待ってな」
だがしかし、少女は何度も首を横に振った。
「でも直ぐじゃないと! 足りないなら何でもします。それでも足りなければ、今は無理でも、いつか必ず払います。だから、お姉ちゃんを助けてください。お願いします」
必死に頼みこむ少女を見ていたケイレブは、何故だが急に腹立たしくなってきた。それが何に対してなのか良く分からない。分からないが強いて言うのなら、あらゆるものに対してだ。
魔草をばらまいている連中。
こんなにも理不尽で不平等な世界。
どこかで見ているのに何もしない神々。
頼みながらどうせ駄目だと諦めている少女。
子供を泣かせてここまで言わせてしまった自分。
全部に腹が立つ。
「あー、ヤオシマにカピキオよ。悪いけどね、僕はこれから少し用事ができた。クエストの報告は任せるとしよう」
「悪いが、我もお主と同じ用事が出来たんじゃって」
「そうかい。それは奇遇だね」
「奇遇ってもんじゃ。報告はカピキオに任せるんじゃって」
「さて、小さなお嬢さん。行きがけの駄賃に、このお金は貰っていくよ」
ケイレブは汚れた硬貨を小さな手の平から優しく取り上げると、それを貴重品を入れる袋へと大事に仕舞い込んでやった。
息を呑んで顔を上げた少女へと、してやったりと笑ってやる。
「ところでお嬢さん。君とお姉さんの名前を教えてくれるかな」
「あっ、はい。私はメーコ、お姉ちゃんはヨーコ」
「よしよし、ヨーコにメーコね。僕はケイレブ、君を笑顔にするお兄さんさ」
言ってメーコの頭に手をやって、髪をぐしゃぐしゃかき混ぜてやる。子供の泣き顔なんて見たくはないのだ。
「では、ちょっと行ってくるとしよう。なに、安心するといい。こう見えて僕は、なかなか優秀な冒険者なのでね」
そしてケイレブとヤオシマは並んで歩きだす。
カピキオが追いすがってくる。前に回り込んで止めるように両手を広げた。後ろで這いつくばるように頭を下げるメーコを気にしながら、潜めた声で咎めてくる。
「ちょっと、お二人とも本気なんです? そりゃあ気持ちは分かりますけどね、世の中ってのは北風のように冷たいもんですよ。いちいち手を出してたら身が持ちませんって」
「その通りだね」
「だったらどうして、何の得にもならない事を……」
「だが、僕はあの子が姉を助けてと言った事が気に入らないんだ。だから引き受けてやったんだ」
ケイレブの言葉の意味が分からず、カピキオは眉を寄せ訝しむ。
「は? 意味が分かりませんけど」
「あんな怪我をして痩せた子が、自分たちをではなく姉を助けてと言っている。僕はね、そういうのが気に入らない。実に気に入らない」
「…………」
カピキオは目を瞬かせ、新種の珍獣でも見るような目をしている。
そして新種の珍獣がもう一匹。
「お主は実に良い事を言う。我も気に入らんと思う。ついでに、ここんとこ非常に気分が悪かったんじゃって。うむうむ、これで気分すっきり。そこ大事じゃな」
「そうだろ大事だろ」
「行くか」
「行こう」
ケイレブとヤオシマは顔を見あわせ笑った。
それは確かに笑顔ではあった。だがそこには、カピキオは思わず怯んで後退ってしまう何かがあった。二人が道行かば、擦れ違いかけた相手が迷わず避けていく。
そんな二人を称揚するように鳥がさえずり風が吹き、木々が枝葉を揺らして日射しが優しく降り注いでいる。
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