第152話 良き隣人たらん

 コンラッドの交渉はあっさり片が付いた。

 干し草屋根に木の柱。急遽用意された建物の下で、コンラッドと集落の長が羊皮紙にサインをしている。それは商品の売買などの取り決め契約書であった。祭壇に供えると、胸に手を当て加護神に対し契約順守を宣誓している。

 アヴェラは驚きと感心をもって頷いた。

「そこまでやるとは、流石はコンラッドさんだな……」

「はて、そうなのです?」

「破れない誓いをする、という覚悟を見せることが大事なんだ。それなら相手だって、この人は信用できるって思うわけだ」

「あんな事で信用できるのですか」

「普通はそうだろ」

 この世界は神々との繋がりが強く、人は目に見える形で影響を受けている。自らを加護する神への誓いは、破れば加護を失うことになるため、強制力が最も高い誓いであった。

 目の前で行われている手続きは大幅に簡略化されているが、国同士での条約も基本は同じことが行われている。

 つまりコンラッドなりの誠意なのだろう。

「ですけど、どの神もそんな事まで気にしませんけど」

「……そういう事を言うんじゃない」

 ヤトノは災厄の神の一部のため、人が知り得ない神々の事情を把握している。その大半は、あんまり知りたくないような内容ばかりだ。この誓約の件も下手に広まれば、社会が大混乱するに違いない。

 不安になったアヴェラは周りの様子を窺うが、村人たちは歓声をあげ喜ぶばかりで聞かれてはいないようだ。ノエルとイクシマは露骨にそっぽを向いており、聞いていないと態度で示していた。これなら問題ないだろう。

 太鼓が打ち鳴らされ大きな歓声があがり、コンラッドと集落の長が握手をした。

「では、これで契約成立ですな」

「いやいや、これはこれは。どうもどうもで」

 小さな集落の長は何度も頭を下げる。着慣れない一張羅に身を包み、戸惑いながら精一杯に取り繕い、都会から来た凄い商人とやり取りに興奮した姿ときたら、田舎者が騙される姿そのものであった。

 コンラッドはニヤリと笑う。

「他の商人などが来ましたらな、この契約を見せれば話が早いでしょう。面倒な話が簡単に終わりますから、是非にそうされると宜しいでしょう」

「あー、いやいや。何から何まで、ありがたやありがたや」

 小さな集落の長は感謝を口にしているが、きっと深くは理解していないだろう。自分たちがどれだけ幸運だったか、という事を。

「運の良いことで」

 アヴェラは小さく呟いた。

 なぜなら、軽く見せて貰った契約は善意で用意されていたからだ。

 値段や量は一定ではなく双方合意で取り決めるとか、誰が何に対し費用を負担し責任分界点はどこにあるかとか、取り決めにない物事は互いに誠意を持って対応するとか。要所要所を押さえた内容になっている。

 前世では至極当然の内容かもしれないが、今世では驚くほど先駆的だ。

 これから他の商人が来たとしても、コンラッドの契約が先にある以上は、それに倣うしかないため、村が食い物にされ財を搾取される事はないだろう。

 手を叩き喜ぶ集落の者たちは、物珍しい出来事を素朴に喜んでいる。


 歓迎の宴で出された食べ物は、大きな緑の葉で包まれている。蒸し上げられたばかりで、ほかほか湯気が立ち独特の匂いがした。

 紐代わりの茎を解いていくと、ひときわ湯気がたって視界を遮った。

 ひともちになった形の分かる米粒に、細かく刻んだ肉や野菜などが交るそれは、異世界風ちまきと言った風情だ。

 地べたへと思い思いに座り込み、ちまき擬きの食事が始まる。

 集落の者は手づかみで、アルストルから来た者はフォークで、そしてアヴェラは細い二本の棒を使って食べ始めた。

「美味しい、これがアヴェラ君の欲しがってたものなんだね。うん、これならお祭りに出しても人気が出そうな感じ」

「これは食事系だから、祭りにはお菓子系にする」

「そうなんだ。今からとっても楽しみ」

「口でほおばるのが楽しみだ」

 アヴェラが目指す大福が、何からどうして閃いたかも知らぬまま、ノエルは眩しいまでの笑顔を見せている。宴の料理を口にしては目を細める姿は幸せを体現していた。

 がつがつ食べるイクシマは早くに二個目に手を出している。

「うむ、これはもちもち新食感。ちと癖はあるが、味も良いんじゃって。我の里でも育ちそうなんで種籾を分けて貰うしよう」

「それは止めた方がいいかもしれない」

「んっ? なして?」

「どう言ったものかな。交雑……要するに種類が交じってしまって、元々あった植物が別のものになる危険がある。だから気を付けた方がいい」

 この世界における受粉状況は知らないが、しかし交雑する可能性は十分にある。それで大切な米が消えてしまうなど、由々しき自体だ。

「むっ、それはいかんな。持ち込むのは止めとくんじゃって……」

 言いながらイクシマはアヴェラを凝視する。

「それよか、お主なー、何ぞあったんか?」

「どうしてだ」

「だってそうじゃろ。喋り方がなんか違うんじゃって、つまりこう何と言うべきか。そう! 優しい感じがして不気味じゃぞ」

「心境の変化だ」

「それ! それじゃって! いつもならここで捻くれた感じで憎まれ口を言うとこじゃろが、素直に頷いて返事すると解せぬ!」

 大きめの声で騒ぐが、周りは酒も入って賑やかしいので殆ど誰も気にしない。否、その異国から来た若者に対する好意の視線は結構ある。ただ会話の内容までは気にしていない状態だ。

「こらこら指さすな」

 アヴェラは穏やかに微笑んだ。

 此の地に来て稲と田を見て、原風景とでも言うべき記憶が蘇った。それは同時に、いつか全てが失われる恐怖をも蘇らせていたのだ。だからアヴェラは、少しでも周りを大切にし丁寧に生きたいと思っていたのである。

 それでイクシマに訝しまれるとは思いもしなかったが。


「これまで失礼な事を言っていたかもしれないが、でもこれからは優しく生きたいと思ったんだ」

「ふええええっ!? やっぱおかしい、おかしいではないか! あ、頭打ったんか!? とにかく絶対おかしすぎじゃって! はっ!? 変な魔法にかかったんか……」

「そんなわけないだろうが」

「悩みか、悩みがあるんじゃな。よし、この我が悩みなんぞを聞いてやる。遠慮せんでもよいぞ。それぐらいは当然ってもんじゃ。さっ、感謝して何でも言うといい」

 どこまでも失礼なイクシマの態度に、しかしアヴェラは堪えてみせた。自分で自分の自制心を褒めてやりながら、笑みを絶やさない。

「御兄様、それは違いますよ」

 ちょいちょいとヤトノが突いてきた。

 しっかりと両足を揃えて座り込み、真正面からアヴェラを見つめている。

「その心境の変化は、このヤトノも理解いたします。ですけど、今までを変える必要はないのです。なぜなら、今までは今までで楽しくあったではありませんか」

「何の話をしとるんじゃ?」

「ですから、それを無理に変えては元も子もありません。ありのまま、そのまま。何も変えず心の中だけを変えればいいのです。大事にすることと、大事にしすぎることは全く違います」

「それって同じって気がするんじゃが」

 真摯に言っていたヤトノはイクシマの茶々――ただし、本人は至って真面目なつもり――に、きっと振り向いて睨んでみせた。

「ちょっと小娘、お黙りなさい。わたくしは真面目な話をしているんです!」

「小娘言うな! この小姑が!」

「小娘小娘小娘小娘!」

「小姑小姑小姑小姑!」

 顔を付き合わせ威嚇し合う姿に、それもそうだとアヴェラは頷いた。この何気ないやり取りこそが日常で、この日常こそが幸せなのだ。それであれば、それを変えてしまっては確かに元も子もない。

 大切な事は、かけがえない瞬間を積み重ねを生きていると認識する事なのだろう。

「二人ともいい加減にしておけよ。折角の料理が冷めてしまう」

「アヴェラ君、お代わり食べるよね。はい、準備してあげる」

「すまない。ノエルは気が利く」

「いえいえそんな。あははっ」

 和気藹々とする姿にヤトノとイクシマは一時休戦し、宴の食事を再開した。

 そして宴の後に餅米や幾つかの資材、そして貴重な薬の原材料が飛空挺に運び込まれた。さらに物珍しいものとして、ドラゴン素材もたっぷりと運び込まれていく。

 ドラゴンがよく来る集落には、抜けた爪や歯や鱗が大量に落ちているのだ。

 この成果にコンラッドは、嬉しい悲鳴をあげている。

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