第150話 ドラゴンと人の架け橋
「どうもすみませんね、お騒がせしまして」
軽く頭に手をやりつつ、アヴェラは愛想笑いをする。
その視線は飛空挺の傍ら、白いドラゴンに向けられていた。本人は友好的な雰囲気を醸し出しているつもりだったが、如何ほどの効果があったかは不明だ。何故なら相手は怯えた眼をしたままなのだから。
それも無理ない。
眼下に広がる大地には、ありありと破壊の爪痕が残されている。住処周りを平然と破壊したような相手に怯えない方がおかしいだろう。
白いドラゴンが何も言わないため、仕方なくアヴェラは言葉を続けた。
「敵意はなくて対話がしたいけど、よろしいかな」
それでも反応が得られず困っていると、ヤトノはどこからともなく取り出した扇で自らの手を軽く打った。苛立った様子はありありとして、白いドラゴンのみならずカオスドラゴンまで身を縮め、辺りに牙が小刻みに打ち合わされる音が響く。
「お主なー、もそっと相手のこと考えて喋ったらどうなんじゃって。もちろん我に対しても同じなんじゃぞ、よいな分かったな」
船内に通じる扉が開くと、イクシマが現れのしのし甲板を踏みしめやって来た。船内の様子を見てきたのだが、少し遅れてノエルが現れる。さらに遅れてコンラッドもやって来るが、両ドラゴンの姿に相変わらず目を輝かせ嬉しそうだ。
「船内は無事でした。いえ、この場合は無事というのは船の方がですな。まあ乗組員の方は、何と言っていいのか困りますな」
「とりあえず皆は寝かせておいたから。えーと、たぶん大丈夫……かな」
「心労で倒れただけですな。申し訳ないことです」
「あっ、そんな事なくて。原因はそのぉ、うん。まあ、あはははっ」
「こういう場合は、不幸な事故というやつですな」
主たる原因はヤトノの怒りが原因だった。神の一部とは言えど神は神。大量のドラゴンに囲まれ恐怖していたところに、そのドラゴンたちですら震え上がった気配を間近から浴びせられては、普通程度の加護しか得ていない人間が耐えられる筈がないという事だ。早々に気絶して、その後の惨状を目にしなかったのは幸せだったかもしれない。
この飛空挺は航行不能という事だが、カオスドラゴンがいるので問題ない。
「我々は、ここを通らせて貰えば特に他は望みませんな」
コンラッドは両手を広げ堂々と話した。
その姿は若干の興奮こそあるが、きちんとした交渉に臨む立派な態度だ。
カオスと白のドラゴンたちは人間の言葉に耳を傾け頷いているが、その目線は時折動いて、甲板の端に並んで景色を眺めるアヴェラとヤトノを気にしている。それを何とかしてくれるなら後はどうだっていい、といった様子は明らかだった。
がうがう鳴く声をカオスドラゴンが通訳しながら交渉は行われる。
「もちろん所有する領域を通らせて頂きますので、対価は支払います。何か必要なものがあれば仰って頂きまして、お互いの妥協点を見つけられればと」
「それなら酒が欲しい、と言っとります」
「度数の高い方が宜しければ、北方でドラゴン殺しと呼ばれる酒などを。ああ、もちろん名前の由来はドラゴンですら酔うという意味ですが、それなど如何ですかな」
俄然、白いドラゴンが身を乗り出した。もちろんカオスドラゴンも同じで、両者は鼻面を近づけ生唾を呑み喉を鳴らす。鼻息を浴びてなお、平然としているコンラッドは、間違いなく偉人に違いなかった。
「少し手に入れにくい貴重な酒ですので。往復一回毎に一樽でいかがでしょうかな」
「勿論! と言っております。って、あっしには手に入らないんですがね……」
「これは気付かず申し訳ありませんな。また個別にご相談させて頂きまして、その中でお渡しする事でいかがでしょうか」
「こりゃ催促したみたいですいやせんなぁ」
言いながらカオスドラゴンは相好を崩し、尻尾をぶんぶん振っている。
「まったく、あのトカゲときたら何て恥ずかしい」
ヤトノは軽く頬を膨らませ不機嫌そうだ。その反応は飼い犬が他の人の前で粗相をしている姿を見るようで、まさしくそんな気持ちなのだろう。
その頭に手を置き撫でて宥めて慰めて、アヴェラは甲板の反対側に目を向けた。
ノエルとイクシマがベビードラゴンに触って姦しく大喜びの最中だ。それを見るとニーソも連れてくれば良かったと思ってしまう。
なおドラゴン諸兄には、二人に少しでも怪我をさせたらどのような運命が待っているかを、ヤトノが懇切丁寧に説いてある。むしろ見守るドラゴンたちは胃が痛そうな顔をして、はらはらひやひや緊張しきっていた。
「交渉を押し付けてしまって申し訳ありません」
アヴェラが丁寧に頭を下げると、コンラッドは自分の腹を軽く打って笑った。
「いえいえ、むしろありがたいですな。このようにドラゴン種の方と交渉が出来る事は、この上ない誉れです。いや誉れなど関係なく、わくわくしておりまして、もう人生最高の日ですな」
「そうですか」
「来て良かった、本当に良かった」
コンラッドは心の底からといった様子で言葉を繰り返している。
「それにですな、ここの空路が開放されますと。貴重な薬が手に入れやすくなるのです。これは実に大きな意義を持ちます」
「需要に対して供給が足りなかったので高かった品が、供給が増える事で価格も下がって皆が買いやすくなるわけですか」
「その通り、良く分かっておられますな」
「でも薬を使うより魔法で回復できるので、あまり意味がないのでは?」
アヴェラが疑問を呈すると、コンラッドは微妙な顔をしてみせた。言いにくいような、少しおかしみを含んだような、そんな感じである。
むこうでは、ヤトノがカオスドラゴンと白いドラゴンを前に並べお説教をしている。どうやら、ドラゴンたるものの心構えや気高さについて説いているらしい。しかし項垂れる両ドラゴンの姿に気高さなど、微塵もなかったのだが。
「あー、アヴェラ殿はお若いですからな。まだ分からないかも知れませぬが、魔法ではどうにもならない事もありまして」
「そうなんです?」
「まあ命に関わる病ではありませぬが、ある意味では命に関わると言いますかな。例えば加齢とともに男性の機能の一部が衰えてしまうような問題ですな。はっはっは」
コンラッドは誤魔化すように笑っているが、アヴェラにはまだ分かるまいと言った様子だ。アヴェラは前世の経験から、その薬が何か理解した。確かに貴重な薬で、心の底から欲しがる人もいるに違いない。
「それなら一ついいですか」
アヴェラは手を打った。
「とりあえず通行できるのは、この船だけでいいのでは? 命に関わらないような、嗜好に関するような薬なら別に供給が少なくても構わないでしょう」
「なるほど。それはつまり、他を排除して当商会だけで利益を独占するためという考えですかな。いけませんな、それはいけません」
「そうです?」
「薬の事はさておきまして。私は街に戻りましたら、ドラゴン殿たちとの交渉結果を大々的に周知し、この空路が開放された事を知らしめるつもりです」
「それはどうかと……」
戸惑いながら、アヴェラはコンラッドという人物に感心していた。利益を独占する考えしかない自分と違って、その利益をあっさり手放そうとしているのだから。
「何事もやり過ぎは良くありませんからな。それでは恨みや妬みを受けてしまう。相手は手段や時を選ばず、鬱憤を晴らそうとするものです」
「確かにそうですね」
アヴェラは前世を思いだして頷いた。
子供じみた感情で利益を独り占めするよりは、長い視点で考えれば儲けを分配しておいた方が得になるだろう。
「でも、やっぱり少し勿体ない気がしますね」
残念そうに呟くと、コンラッドはにやりと笑った。まるで悪戯を企んでいる子供のような笑いだ。しかも、それが良く似合っている。
「ま、ドラゴン殺し一樽。これはなかなか手に入れにくい品なのですからな。それを手に入れる伝手があるのは、我が商会だけですが。はっはっは」
この人には勝てないなと思いつつ、それを嬉しく感じるアヴェラであった。
後の世に於いてコンラッドは偉人として知られる。それは商人としてではなく、ドラゴンと交渉し約束を取り付けた初めての人として歴史書に記載されたからであった。しかし本人はそれを誇ることもなく常に謙遜。交渉の秘訣を聞かれた際には、交渉は強く当たって後は流れではないか、と答えたとされる。
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