第149話 それぞれの苦労

 青く晴れわたった空。遠く霞んだ山脈の上に白雲が広がり、そこから手前にまで広々と大地が横たわる。連なる山の起伏は木々に覆われ、様々な色の緑の変化を示し、所々に空を映して目の覚める青に染まった湖もあった。

 そんな絶景を前に浮かぶ飛空挺の周りに、大小様々なドラゴンが飛び交っていた。

 甲板に立つアヴェラを見つめる白いドラゴンが、がうがうと鳴いた。何かを話している様子だが、もちろん分かる筈もない。興味深げに頷いているコンラッドも、きっと分かっているとは思えない。

「ぼさっとしてないで早く通訳なさい、トカゲの言葉など分かりません」

 ヤトノが睨むと、カオスドラゴンは慌てて頷いた。

「何しに来た人の子よ、と言っとります」

「ここを通行したいので、手出しをしないで欲しい」

「なぜ人間如きの頼みをきかねばならん、と言っとります」

「この先に用事があって通りたいだけ。迷惑をかける気はない」

「我らの知った事ではない……って、あっしじゃないですって。こいつが言ってるんですってば、睨まんで下さい」

 冷え冷えとした視線を向けているのは、もちろんヤトノだ。哀れなカオスドラゴンは高度を下げると、甲板からギリギリ見えるか見えないかの位置に顔を隠した。厳ついドラゴンだが、そんな事をすると案外と可愛らしい。

 だがしかし、ヤトノにそんな感想は皆無だ。

「自分じゃない? そんな事は、見れば分かるに決まっているでしょう。目の前で喋っているんですから。わたくしは、御兄様に対する無礼な態度にどうしてくれようかと考えているだけですよ」

「ひぃっ! 巻き込まれる! あっしは悪くないんで、悪くない悪くない」

 カオスドラゴンの顔は殆ど見えなくなっている。それでも逃げないのは、逃げればもっと恐ろしい目に遭うからだろう。さり気なくだが、ノエルとイクシマの辺りに移動して助けを求めている。小賢しい、とヤトノは呟いた。


「とりあえず交渉を続けたい。どうすれば通してくれる?」

 アヴェラは腕組みしつつ、少し困ったように言った。

 これに対し白いドラゴンは再び、がうがうと鳴いているが。それだけで、芳しくない答えという事は分かる声である。予想は当たっているらしく、カオスドラゴンは言いにくそうな様子だ。

「えーと、その怒らないで欲しいんですがね。もちろん、あっしは通訳してるだけなんで無関係。無関係って事を、よーく理解して欲しいんすよ」

「勿論分かってるんで、早いとこ教えて欲しい」

「そんなら、お伝えしますんで。弱っちい人間如きを通すわけ無いだろ、ばーかばーか――ひいいっ!」

 カオスドラゴンが瞬間的に首を傾けると、その顔があった場所を不可視の何かが通過していった。それが何かは分からない。ただヤトノが手を振り抜いただけだ。

「トカゲどもが、わたくしの御兄様を馬鹿にするのか。もういい消えてなくなれ。その存在全てが目障りだ。疾く滅ぼしてくれようぞ」

 低く呟かれた声は、はっきりと響いた。白いドラゴンは元より、他のドラゴンたちも震え上がり幼体たちは墜落さえしていく。

 ノエルとイクシマは手を取り合いへたり込み、流石のコンラッドも蹌踉めき手摺りの存在に感謝している。きっと飛空挺の乗組員は気絶しているに違いない。

 平然としているのは一部の例外ぐらいだ。

 そして、その一部の例外が宥めた。

「落ち着けヤトノ」

「御兄様……」

「そんな恐い顔は似合わないぞ。ヤトノには笑顔が似合う」

「御兄様っ!」

「こら抱きつくなよ。とにかくだ、これはアレだ。試練なんかでよくある、力を示せとかいう奴だな。つまり力を示せば通れるわけだ」

 アヴェラが嬉しそうに言うと、ノエルとイクシマは何かに気付いた。しかし二人ともその場を動けず、制止のため手を伸ばす事しかできない。

「こういう状況なら仕方ないよな、さて何にするか……」

「やめろおおおっ! お主、魔法を使う気じゃろおおおっ! 良くない、本当に良くないんじゃって! 我との約束忘れたん!?」

「やむにやまれずって事だ」

「顔がにやけとる! 絶対嘘じゃっ!」

 イクシマは叫ぶが、それではアヴェラは止められない。


 大手を振って魔法を使える――少なくとも本人はそう思っている――機会を逃すはずもなく、どんな魔法を使うべきか腕組みして悩んでいる。

「もちろん配慮はする。神様たちに迷惑をかけられないからな。そうすると……変に魔法で現象を起こさず、何かを使えばいいわけだ」

「それ絶対に碌でもないやつ!」

「よし、あれだな」

「ちょっとは我の言葉を聞けよおおおっ!」

 イクシマは、もはや半泣き状態。これには白いドラゴンも何が起きるのかと動揺している。なお、カオスドラゴンは観念しきっていた。

 ただアヴェラだけは自信満々だ。

「大丈夫、何の問題もない。実際には実用性の低そうな魔法だからな。いくぞっ! 厄神の加護、メテオストライクっ!」

 しかし何も起きない。

 何とも言えない間が訪れる。

「御兄様?」

「やっぱり実用性は低いよな。現実的に考えて、空から隕石を呼び寄せるわけだし」

「空からですか。ふむ、もしかしてアレでしょうか」

「おっ、来た来た。やっぱり衛星軌道上から呼び寄せる感じだと、タイムラグが生じるのは当然だよな。どうやって動かしたかは分からないけど」

「光って綺麗ですねー」

 遙か遠くの空から光り輝く何かが、白い尾を引きやって来る。みるみる地面に迫ったかと思えば、突如として激しく増光。

「あっ」

 恐ろしい爆発が空中で発生、景色が歪むような衝撃波が広がる。地面に到達したそれは、一瞬で木々を薙ぎ倒していた。

 それは飛空挺の方にも迫り、傍に居るドラゴンたちは逃げる事も忘れ、目前に迫る死に絶叫をあげている。もちろんノエルとイクシマも同じだが、しかしコンラッドだけは見た事もない大スペクタクルに感涙していた。

 ヤトノが手を振った。

「ちょいさー!」

 衝撃波は一瞬で消滅し、後には呆然とするドラゴンたちと、広範囲に抉られ破壊された大地が残されている。カオスドラゴンが山一つの形を変えたが、これはもっと酷い状態だ。ノエルとイクシマは惨劇を止められなかった自分たちの無力さに項垂れるばかりだった。


「御兄様、今のは何だったのです?」

「だから遙か上空に浮かぶ石を招き寄せてみた」

「ふむふむ、空に石が浮かんでいるのですね。それは不思議ですね」

「その石が凄い速度で飛んで来たせいで、空気との摩擦とか断熱圧縮とかで高温化して光ったんだな。で、圧力に耐えきれなくなって落下する前に爆発したわけだ」

「良く分かりませんが、凄いです!」

 褒められたアヴェラは得意そうでうれしそうで、そして照れてさえいる。

「でもな、見ての通り戦闘には使えないな」

「問題ありません。この威力なら誤差です、誤差」

「下手に使えば自分も巻き込まれるな。改善の余地がある」

 アヴェラはクレーター状になった地面を指さし笑った。その後ろに、ノエルとイクシマが無言で立った事には少しも気付いていない。

「ヤトノちゃんが止めてくれなかったら、この船って落ちてたよね。絶対に!」

「そうじゃぞ、絶対に使うなよ絶対にじゃ! よいな、我との約束じゃぞ! これで何回目になる!? お主に学習能力ってもんはないんか!」

「そうだよ。今の魔法も禁止なんだからね」

 散々な言われように、アヴェラは口をへの字にした。

「いや、待ってくれって。誰にも迷惑はかけてない。今回はどの神様からも苦情は来てないはずだ」

「大丈夫です、本体が黙らせて居ますから」

「ヤトノ?」

「いえ、ちょと神界全体から苦情殺到でして。大量絶滅がどうとか、世界崩壊の危機だとか大騒ぎしているのです。ちょっと本体が蹴散らして黙らせております」

「大量絶滅……それは、間違えて大きいのが落ちてきたら確かにありえたな」

「御兄様が気にする事ではありません! 悪いのはドラゴンどもです、ドラゴン。つまり御兄様に無礼なことを言ったのが悪いのです。」

 ヤトノは両手を振ってフォローらしき事を口にする。だが、その一生懸命さこそが拙い事をしたと、アヴェラに思い知らせているのだった。

「これも封印か……では、別の魔法で何か力を示すとしよう」

 新たな魔法を使おうと思案するアヴェラに対し、白いドラゴンは怯えた犬のように媚びる声で鳴いた。カオスドラゴンは同意するように頷いている。

「すいやせん、こいつ謝っとりやす。もう二度と偉そうな事を言わないって、二度と逆らわないって。ついでに、あっしからもお願い! もう魔法は止めて!」

 カオスドラゴンの悲鳴交じりの声に、白いドラゴンが何度も頷いている。他のドラゴンは既に姿を消しており、案外と逃げ足が速いらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る