第148話 誇り高き空の王者たち

 朧気な記憶にある、輝く太陽、煌めく水飛沫、野生のイルカが間近に併走し、波に乗ってジャンプして遊ぶ映像。それに憧れた覚えがアヴェラにはあった。だからいつか、そうした明るく開放的な雰囲気を楽しみたいと思っていたのだ。

 だがしかし。

「似ていると言えば似ているけど、思ったのと違うもんだな」

 アヴェラは飛空挺の船橋で腕組みして、窓の外を見やって呟いた。

 刺すような日射しの太陽、渦巻く風に流れゆく雲。野生のカオスドラゴンが間近を併走し、こちらの様子を窺って、目が合うと揉み手までしてくれる。やっぱり思っていたものと全く違うではないか。

 纏わり付いていたヤトノは、黒髪の白いリボンを揺らし、赤い瞳を向けてくる。

「違うとは、何ですか。御兄様?」

「つまりだな。ドラゴンと一緒に空を飛んでるってのに、ちっとも癒やされないと言うかな。清々しい気持ちになれないんだよ」

「なるほど、あの厳つい図体では癒やされませんね。分かりました。あの辺りの角を何本かへし折って、それからゴツゴツした甲殻を剥ぎ取りましょう。そうすれば、ちょっとは見られる感じになります」

「いや、そこまでは……。癒やされないけど、雄壮で迫力ある感じも、ちょっとするような気が、しないでもないような」

 気を使ったアヴェラは外を見やったが、そこにはヤトノの声が聞こえたらしく、両手を擦り合わせ、媚びるように頭を下げる姿があった。これに雄壮さを感じると、欠片でも言ってやる優しさが、アヴェラにはあった。

「よろしいですか。そろそろドラゴンの巣に近いのですが……」

 船長のトイラブが生真面目そうな顔で言った。ただし、それは微妙に引きつっており、外を飛ぶカオスドラゴンを見ている。これほど間近に見るなど、通常ありえない。普通は即座に襲われ破壊されてしまうのが常なのだから。

 その時であった、船橋の窓に張り付いていたイクシマが声をあげたのは。

「来よったぞ! なんかいっぱい飛んでくるんじゃって!」

 やや震える声で指さす先に、まるで鳥の群れのように飛んでくる幾つもの影があった。ざっと数えると、二十かそこらは十分にある。その全てがドラゴンである。


 流石のコンラッドも冷や汗が隠せない。だが初めて見る光景に目を輝かせ、口を軽く開け身を乗り出している。この窮地も心躍るものとして楽しんでいるのは間違いなかった。

「どうやら繁殖しておったようですな」

「なんでまた、一族総出みたいな感じで押し寄せてきますね」

「ドラゴンは縄張り意識の強い存在です。今回は我々だけではないですからな。逆に言えば、そちらの大きな方に対抗するために、あれだけの数がいるのでしょうな」

「なるほど」

 感心するアヴェラとコンラッドであったが、実際にカオスドラゴンも頷いた。魔法による声が耳ではなく意識に届くのだが、それでも自慢そうな響きが感じられる。

「ふっ、あの程度の数であっしに対抗しようとは。愚かな奴らですぜ」

「つまり、この役立たずのトカゲのせいで大量のドラゴンが押し寄せてきたと」

「いやいや、そういうわけでもなく。とにかく、ここはお任せを! このあっしが連中を説き伏せ、姐さんたちの迷惑にならないようにしてみせます。ええもう、あっしがお助けしますです」

 しきりにアピールする姿に、ヤトノは目を細めた。

「鬱陶しいドラゴンですこと。お前は不言実行という言葉を知らないのですか」

 途端にカオスドラゴンは震え上がった。大きな翼を激しく動かし――まるで逃げるように――加速し、ドラゴンの群れへと突っ込んでいった。

「あれ、任せて大丈夫なんじゃろか?」

「ここは信じて任せるべきだって思うよ、うん」

「じゃっどん、襲われとるように見えるんじゃが」

「そうだね襲われてるね」

「襲われとる」

 遠目でも威嚇され攻撃されている様子に、イクシマとノエルは不安そうだ。ただしカオスドラゴンは平然として佇み、身振り手振りに翼振りで何やら話している。しかし途中で、地面に向け光線のようなブレスを吐き、山一つの形を変えてしまった。恐らくキレたのだろう。

 衝撃波だけで飛空挺は激しく揺れ動き、船橋に揺れを楽しむ悲鳴と、恐怖の悲鳴の二様が響き渡った。


 やがてカオスドラゴンに引き連れられ、ドラゴンたちがやって来た。

 飛空挺の周りを大型中型小型、色とりどりの巨体が飛び交い、その間には超小型の――それでも人間サイズの――ドラゴンが翼をぱたぱたさせ、丸っこい体で辺りを飛んでいる。

 きっとドラゴンの子供に違いないが、しかしドラゴンはドラゴン。きっと将来は他のドラゴンのように凶暴凶悪な面構えになるに違いない。

「見てみ見てみ、あれ可愛いんじゃって。撫でてやりたい」

「頭を撫でてみろ、きっと手を食い千切られるぞ」

「どうして、そんな事を言うん? このひねくれ者」

「あれはきっとベビードラゴンに違いない。人間でも赤ん坊とか幼児は思わない行動をするだろ。それに虫の羽とか足とか平気でもいだりする。で、触りたいか?」

「よし、我は触るのはやめとくとしよう」

 あっさり言を翻したイクシマは偉そうに頷いた。

 とりあえず平然としているのはアヴェラと仲間達とコンラッドだけで、飛空挺の乗組員は足腰立たないぐらいの状況だ。特に操舵管を握っていたイラミが床に座り込んでいるため、船は空に浮かぶ雲のように漂うばかりだ。

 意気揚々としたカオスドラゴンが船橋の窓いっぱいに顔を近づけた。

「どうですか、あっしの交渉。これで話し合いの場ができましたよ。いやぁ、もう流石ってもんですね」

「何を偉そうに。それに話し合いの場だけ? どうして御兄様がここを通れるように話をつけておかないのですか」

「えっ! でも、聞いてないですって」

「そこを察して交渉を済ませておくのが、出来るドラゴンというものです。ですが、まあ仕方ありません。多少は褒めてやるとしましょう」

 ヤトノが仕方なさそうに言えば、カオスドラゴンは嬉しそうに尾を振った。

「では、わたくしがドラゴンどもに言って聞かせるとしましょう」

「ちょっと待て、何て言う気だ?」

「もちろん! 御兄様の前にひれ伏し、お腹をみせて命乞いをするようにです」

「あのなぁ……」

「はっ!? もしかして蓄えた財宝を積み上げて差し出せと? 流石は御兄様です、そんな邪悪なところが素敵です」

「勝手に言うな」

 風評被害で周りの目が気になるアヴェラは、ヤトノの頭に拳を落とした。ヤトノが涙目になると、ドラゴンを恐れ戦かせる少女を泣かせたとして、それはそれで乗組員たちは恐ろしい者を見る目をしていた。

「とりあえず交渉するとしよう」


 だがしかし、他のドラゴンたちはカオスドラゴンとは違って船橋の窓越しには会話が出来なかった。それで飛空挺の甲板へ向かうが、ヤトノは不満そうであった。

「まったくもう、御兄様に足を運ばせるだなんて! 何て無礼な連中でしょうか」

「礼儀的にはこっちが足を運んで当然だろ」

「ですけど」

「文句があるなら船橋で待ってたらどうだ」

「つれない言葉が素敵」

 甲板に出たのは少数であった。コンラッドも一緒だが、常とは違い荒めの息をして、左右を見回し興奮気味。まるで初めて見る世界に興奮する少年のようだ。イクシマも一緒になって走り回り、あちこちの景色に見入って感嘆の声をあげている。

 しかしアヴェラは何かに気付き眉をひそめた。

「おかしいな。風が全然ない」

「そうなの? 風がないのは変なんだ?」

「こんな上空は風が強いものだし、それに寒いはずなのに何ともない。と言うかだな、飛行中に甲板に出られるってのは、安全管理として問題があるのではないか」

「またまた、そういうの気にしちゃ駄目だよ」

 甲板の端の手摺りが低すぎる事も気になるアヴェラだったが、ノエルに窘められて首を竦めておいた。お陰で誰も面倒くさい思いをしないですんだ。

 ぬっと顔が出た。

 赤黒い甲殻に覆われたカオスドラゴンで、ちまっと顎先だけを甲板にのせてくる。それにイクシマとノエルが親愛を込めて叩いており、紹介されたコンラッドも恐る恐る触れ天にも昇る心地で身悶えしている。

 また、ぬっと顔が出た。

 こちらは白く艶やかな毛に覆われたものだ。ドラゴンの顔であっても、むすっと不機嫌そうである事は、ありありと分かった。確かに余所者が侵入したあげく、こうして人間の元に挨拶に来させられたのだ。誇り高いドラゴンが――とても、そうは見えない存在もいるが――不機嫌になるのは当然だった。

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