第147話 一筋の光明

 船旅は快適であった。

 これまで飛空挺には二度ほど乗った事がある。どちらも揺れが激しく、しかも窓のない船室に押し込まれ外を見ることはなかった。しかし今回は違う。

 飛空挺の所有者であるコンラッドと一緒のため、船橋に立ち入ることが出来て、硝子の窓から景色を眺める事が出来た。

 広々とした青い空は地上から眺めるよりも白んでいて、同じ目線に霧のような雲が浮かんでいる。遙か下に大地が広がり、山もあれば川もあり針のような木々が一本ずつまで鮮明に見えた。以前に知り合いのドラゴンの背に乗った時よりも、ずっと快適だった。

 船橋にはコンラッドやアヴェラたちの他に、数人の船員がいた。

 操舵管を握るのは女性のイラミ、地図と地上を見比べ現在地を確認するオスカとマカー、そして船長のトイラブ。いずれもベテラン中のベテランだそうだが、今は神経を尖らせピリピリしている。

 それは船主が同席しているからだけではなかった。

「空が安定しているので、これであれば一日で到着します。ですがコンラッド会頭、もう一度確認します。本当に行かれるのですか……つまり、ドラゴンの巣にですが」

「その予定ですが、手前で一度準備を行います」

「はっ、行けと言われれば向かいます。ですが、この船の操作権は私にあります。たとえ会頭の指示があったとしても、危険と判断したら引き返しますよ」

「お任せしますが、できるだけギリギリまで我慢して頂ければと思いますな」

 コンラッドは言いながら、チラッとアヴェラを見やった。

 運を天に任せるような事をしないコンラッドだが、誰かを信じて任せる事はする。なにより期待があった。今回の件を商機と捉えている事もあるが、かつて若い頃に味わった心昂ぶり興奮する冒険を味わいたいがため一緒に来たのだ。


 飛空挺は時々風に揺らされながら、滑らかに飛行していく。

 最初の内こそ物珍しく景色を眺めていたアヴェラだが、同じような風景が延々と続き、少しすると飽きてしまった。しかしノエルとイクシマは窓に張り付いたままだ。

 この辺りに違いがあるのは、やはり前世の記憶の影響に違いない。

 なにせ前世には、似たような風景のコンテンツは無数にあったのだから。

「御兄様、そろそろ待ち合わせの場所です」

「呼びつけられて可哀想に」

「あんなトカゲ如きを気に掛けるだなんて。御兄様、素敵!」

 圧倒的な全肯定ぶりをみせるヤトノは、アヴェラに抱きつくようにして飛びついた。目を細めて頬ずりする様は、まるっきり可愛い姿だ。ただし微笑ましそうにしているのは、船員たちだけだったが。

 アヴェラは振り向き、誰に話すか迷ったが、船長のトイラブを見つめた。

「ちょっと知り合いが来ますが、船は動かさないで下さい」

「知り合い?」

 この言葉にトイラブは困惑した。相手は若い冒険者で、育ちは良さそうだが身分は高そうではない。もっと他に凄腕冒険者がいるにも関わらず、どうして商会の御抱え冒険者になったのか不思議でならない。

 だが、会頭が一目置いて対等に扱っていること。さらに噂によれば、商会の出世頭と目されるニーソと深い仲ということから考えれば、若干の反感を覚えつつも、失礼な態度はとれなかった。

 その時だった、オスカとマカーが声をあげたのは。

「左舷方向、何か来ます。このスピードで迫れる船なんてありません」

「飛空挺の三倍の速さで接近してきます」

 驚愕のあまりトイラブは席から立ち上がり、飛空挺の窓を見やって顔面を蒼白にさせた。短い悲鳴のような声で息を呑んでいる。

「ド、ドラゴンだ。カオスドラゴンだ! 逃げろーっ!」

 だがカオスドラゴンの赤黒い巨体は恐ろしい速度で迫り、船の真横に並んだ。鋭い爪が舷側を掴み、船橋の窓に顔を近づけてくると飛空挺は大きく傾いだ。

 硝子の窓の向こうには、赤黒い堅牢そうな甲殻があって、輝くように強い大きな目が覗き込んで来る。その巨大な生物の瞳は底知れぬ叡智が漂うものだ。船員たちは視線だけで威に打たれて身を強張らせた。

 コンラッドも傾いた船橋の中で柱に掴まり、目を大きく見はって口を固く閉ざしている。だがその顔には抑えきれぬ喜色が満ち満ちていた。


 船内の全てが傾いた中で皆は、こうした事態に備え固定された椅子や机、手すりにしがみついている。だがヤトノだけは平然として、傾いた床に対し垂直に立っていた。その異常さに何人かが気付いたが、それより先に凛とした声が響く。

「この愚かで気の利かないトカゲ、御兄様が怪我をしたらどうするのですか。さっさと、その野蛮な手を放しなさい」

 その一声で、カオスドラゴンは雷にでも打たれたかのように手を放し飛空挺は大きく揺れた。運悪く跳ね飛ばされたノエルの体を、ヤトノが掴んで引き寄せている。

「いけませんね、怪我をしたらどうするのですか」

「あっ、ごめんね。助けてくれてありがとう」

「いいえ問題ありません、ノエルさんの体は御兄様が楽しむ為にあるのですから。ですから怪我などなさりませんように。そ、れ、よ、り、も!」

 ヤトノはジロッと窓の外を見やって、床を軽く踏みならした。その音が聞こえたわけでもなかろうに、カオスドラゴンは身を縮めている。

「わたしくは言いましたよね、御兄様が怪我をしたらどうするのかと! それを、こんなに揺らしてどうするのですか」

 小さな子の我が儘のような様子に対し、硝子の向こうの巨大な口がグバッと開かれた。そこに露わとなった堅固な牙でひと噛みされれば、この飛空挺など、おやつのパンの如く食い千切られるに違いない。

 船員たちは震え上がったが、しかし――。

「そんなこと言われても、こんなに揺れると思わないですぜ。ヤトノの姐さん」

「お黙んなさい、そのぐらい考えれば分かるでしょう。つまり気遣いが足りないのです、御兄様に対する気遣いというものが」

 カオスドラゴンが震え上がった。

「まあ、いいでしょう」

「あざっす、以後気を付けます」

「誰も許すとは言ってません、この件は後回しにしただけです」

「そんなぁ……」

 泣きそうな声をあげるカオスドラゴンの姿に、コンラッドは心で泣いていた。誰もが心に思い描く偉大なる空の王者の実態が、こんなだとは夢にも思わなかったのだ。幻想をぶち壊され、柱に掴まったまま膝を突いている。

「汚名挽回の機会を――」

「姐さん、それは汚名返上ですよ」

「お黙りなさい。お前など挽回して、ようやく汚名なので丁度いいのです。御兄様の願いを叶えんがため、この先に進みます。ですから、先に行って邪魔なドラゴン共に道を開けるよう命じてきなさい」

「待って欲しいですって。あっしは穏健派なんですけど、こっから先の奴ら過激派なんです。つまり話が通じて通してくれるかどうか分からんのです」

「役に立たないドラゴンですこと」

「そんなぁ……」

「ではいいでしょう。むしろ、その方が面白いです。そのドラゴン共に、誰が上なのかを思い知らせるとしましょう。さっさと蹴散らして殲滅してきなさい」

 妙に嬉しそうにヤトノが言って、前方を指し示したところでアヴェラが言った。

「まあ、待てって」

 アヴェラはヤトノの肩に触れて、宥めるように頭を撫でた。周りの船員たちがその様子をじっと見つめている前で、アヴェラは頷いた。

「最初は話し合いから入ろう」

「えーっ、そんなの面白くないです。蹴散らしましょうよ。殲滅しましょうよ」

「もちろんそうだが、いきなり戦闘では被害が出るかもしれない。最初は話し合いをして、交渉決裂した瞬間に攻撃する」

「御兄様?」

 ヤトノは驚いた声をあげ、呆気にとられた顔でアヴェラを見た。

「いや待てよ。交渉決裂より前に、さっさと不意打ちした方がいいか。とりあえず交渉という事にして、近寄って油断したところを一気に仕留めると」

「流石は御兄様! 素敵です、最高です! そうしましょう」

 手を叩いて喜ぶヤトノに、カオスドラゴンは恐怖した。同族の危機に思い悩むものの、しかし決して逆らえないのも事実。どうする事もできない状況――だが、そこに一筋の光が差した。

「いやいやいや。そういうのって駄目だって思うよ、うん」

「我もそう思うんじゃって」

「だよね」

「うむ、戦いってのはな。正面から堂々と名乗りをあげて、ガツンとやるもんじゃ」

「イクシマちゃんは黙ってようか」

「なして!?」

 悲鳴のような声があがるものの、ノエルはそれを置いて話し合いの大切さを熱心に説いてみせた。アヴェラは軽く唸って考え込み、ヤトノは不満そうに黙っている。カオスドラゴンは救世主を見るような目をしている。

「――と、言うわけだからさ。とにかく、まずは理由を説明して、頼んでみないとだよ。いきなり攻撃とか不意打ちとか、そういうのは駄目。いいよね?」

「へーい」

 アヴェラが頷けばヤトノも不承不承それに倣う。コンラッドも船員もカオスドラゴンも、この場の誰を大切にすべきなのか心で理解する。停止していた飛空挺は、カオスドラゴンにエスコートされ進みだす。

 なお船橋の隅っこで膝を抱えたイクシマが発見され、慰め宥めねばならなかった。

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