第146話 頑迷なる者たち
船が空中を滑るように迫って来る。
それは家よりは大きいが、邸宅よりは小さなもので、押しのけられた空気が強めに吹き寄せた。そこに混じった砂や小石が、着陸場の木壁に当たって、パラパラと音を響かせ賑やかしい。
見物していたノエルは、運悪く風の直撃を受け髪が酷い事になっていた。
風がおさまると、船からロープが投げ渡され係留場へと繋がれる。僅かに浮いたまま揺れ動く姿は、前世の飛行船に近いかもしれない。ただしアヴェラは飛行船を見た事がないので、想像の範疇でしかないのだが。
「さすがはコンラッド商会の専用飛空挺なんじゃって、まっこと凄い」
イクシマは感心した様子で頷いた。
最新の魔法技術の粋を集めたという飛空挺だが、その中でも外装に金属が多く使われ意匠も施され船体の形状も流線型に近く、一般の定期便船に比べ遙かに優美である。
「お主もそう思うじゃろー」
「確かに凄い。ただし、こんな塊が空を飛ぶという点だけどな。魔法魔法と言われても、いまだに信じられないな」
「こやつときたら、やたらと頑迷すぎる」
「そうは言うが……いや、そうかもしれないな」
アヴェラは呟き、飛空挺を見つめた。
前世の飛行機に対しても、鉄の塊が空を飛ぶ事が信じられないと口にする者がいた。それは無知でしかなく、しかも実際に飛ぶものを信じない頑迷さであった。
翻って考えてみれば、今の自分も同じだとアヴェラは気付いたのだ。
前世には航空力学で説明のつく
「イクシマの言う通りだったな」
「はぁ!?」
「少し頑迷過ぎた。この世界を受け入れないとな」
「ど、どうしたん? どっか悪いんか? いや、悪いに違いないって。よしっ、少し休むとよい。我が膝枕なんぞしてやって、子守歌ぐらい歌ってやる」
「なんだよ、引っ張るなよ」
「だってそうじゃろ。お主が素直に頷くとか、ものっそい変じゃろが」
あまりの扱いに、アヴェラは些か乱暴に袖を掴む手を振り払った。
「コレジャナイエルフときたら、人の心の分からん奴だな」
「なして、そんな事言うん!? せっかく我が優しくしとるってのに!」
「余計なお世話だ」
「言ったな、言いおったな。もはや許さぬ」
アヴェラとイクシマがいがみ合って、互いに肩で体当たりを繰り返している間に、船倉の外壁が開放され、地上へと板が渡された。商会の雇った人足たちが荷下ろしで、重そうに穀物袋を担いでいる。しかし注意して見れば、横でニーソが応援しているせいか皆がはりきっている事がわかっただろう。
甲板の上にエルフが現れた。
体つきはほっそりとして優美で、長い金髪の間からは先の尖った耳が覗いている。その異国情緒ある衣類は、身分の高い者だと分かる豪華なものだ。
係留場でいがみ合うアヴェラとイクシマを、甲板の上に立ったエルフが何気なく見た。視線を戻しかけて、しかし二度見をすると腰を落とし、素早い身のこなしで走りだした。舷側を跳び越え係留ロープの上を滑るようにして駆け下り、見事に着地。皆が呆気にとられている中を走ってきた。
「むっ、あれ姉上なんじゃって」
「随分とまあ元気なことで。お転婆で無謀なところが、誰かさんそっくりだ」
「なんじゃ、そんな知り合いがおるんか」
「目の前にな」
明るい日射しの中を美しいエルフが疾走してくる。近づいてくるにつれ、その整いすぎる程に整った顔が嬉しげな様子が確認できた。まさに内側からの喜びで輝いている。それは、エルフの上級氏族の壱の姫で、イクシマの姉であるネアシマで間違いなかった。
突っ込んで来て、イクシマに飛びつくように抱きついた。
「イクシマ、久しぶり。元気してたかしら、ご飯はちゃんと食べてた? でも、貴女は食べるの好きだから大丈夫よね。それより冒険者をしているから、怪我を心配した方が良かったかしら。何か困った事があったら言いなさい」
「姉上、ごきげんよう。ちと、苦しいんじゃが」
「久しぶりだから大目に見ましょう。それと、そんな他人行儀はやめましょう」
言ってネアシマは嬉しい悲鳴をあげつつイクシマを抱きしめた。周りの様子など目にも入ってないらしく、イクシマを愛でる事に執心している。
「これが姉バカってやつか……」
アヴェラの呟きで、ようやく我に返ったのだろう。ネアシマは目を見開き、大袈裟な仕草で後退った。何故か分からないがアヴェラの事が苦手らしいのだ。
「出た!」
「さっきから、ここに居るだろうが」
「ごめんなさい。イクシマしか目に入ってなかったわ」
「こいつ、イクシマの同類か。そっくりだ」
「えっ、私とイクシマがそっくりだなんて。もうっ、いやね。当然なんじゃって」
両手で頬を押さえてテレテレさせ、お国言葉が出てしまっている。ややあって、その事に気付くと顔を赤らめ、とってつけたように咳払いをしてみせた。
「これは失礼しました。嬉しかったものですから」
「姉上こそ、そんな他人行儀はやめたらどうなんじゃ。こ奴は我の仲間じゃぞー、我と一緒に冒険しておるんじゃぞー」
「えっ、でも……」
「ちと面倒くさいとこあるが、別に触っても噛みつくような奴でないし。偶に妙な拘りがあるにしても、美味いもんとか、いろいろ知っておるんじゃぞ」
アヴェラは自分に対する評価に文句を言うべきかと考えたが、しかし姉との再会に嬉しそうなイクシマの顔を立てて我慢する事にした。それぐらいの気遣いはすべきだと思ったのだ。
そしてネアシマは、その言葉に我に返った様子をみせた。あっ、と小さく声をあげ口に手を当てている。
「そうよ美味しいものよ。前回の船便で送って貰った、ものっそい美味しい海苔! 佃煮! 干物! あれの事で交渉に来たのよ。この私は婆様から全権委任された特使ね」
「特使って、そういうの父上でなかったんか」
「お父様と決闘して私が勝ったのよ。私を甘くみた結果ね」
「父上に勝ったんか、姉上凄いんじゃって!」
エルフは戦いで役職や権限を決めるのかもしれない。
さすがはコレジャナイエルフ一族だと、アヴェラは密かに感心した。あと、あの不器用なヤオシマのことだ。娘との決闘に葛藤し躊躇している隙に、容赦ない攻撃をくらって敗北したに違いないと確信した。
「商会の責任者はどこ?」
「責任者と言うと……むっ、ちょうどおった」
イクシマが指し示すのは、ノエルの髪を直してやっているニーソだった。
またも素晴らしい勢いで走ったネアシマは、ニーソへと詰め寄った。その辺りの猪突猛進ぶりははイクシマにそっくりに違いない。
「貴女が責任者ね。人間の間で貴重とされる、私の里の細工物を持って来たわ。さあっ! 海苔と佃煮と干物と交換してくれるかしら!」
肩を掴まれ揺すられるニーソは、美しいエルフに激しい剣幕で、しかも高飛車に言われ混乱している。いつもなら即座に助けに入るアヴェラは、エルフらしい傲慢な態度に感じ入っているので役に立たない。ノエルも困惑するばかりだ。
イクシマが間に割って入った。
「姉上、ニーソは我の親しき友人なんじゃぞ。いかに姉上といえど、失礼は許さぬ」
「イクシマの友人……イクシマに親しい友人ですって……」
ネアシマの見開かれた目に涙が盛り上がり、それがポロポロと落下。さらに両手を顔にやり声をあげ泣きだしてしまった。周りではエルフも人間も、何事が起きたかと不審がっているぐらいだ。
ただ、ノエルは理解できたらしく何度も頷いている。アヴェラも何も言わなかった。ヤトノは眠っている。
「そういうわけで、私はしばらくこちらに居るの。やる事はあるけれど、時間がないわけじゃないわ。さあイクシマ、一緒に人間の街を見て回りましょう」
「あー、それなんじゃが。我は明日から、また出かけるんじゃ」
「えっ!?」
「この飛空挺に乗って三日ぐらい」
「ええーっ!! それなら私も行くわ、折角なんだもの」
これにアヴェラは呆れた。
口を出す気は無かったが、これは流石に言うしかないだろう。
「いいのかな? エルフの特使がアルストルに来て、アルストル大公に挨拶もせず、当然開かれる会食にも出席せず、アルストルから出てしまうだと? それはエルフという種族全体が、礼儀知らずと思われるのではないか」
「うっ」
「自分の我が儘だけで、外交問題を引き起こすわけか」
「この的確に言われたくないことを突いてくる嫌らしさ。流石ね」
「何が流石なんだか。だが流石というなら、そうだな。その傲慢さと失礼さは実にエルフらしい。素晴らしい、感動した」
「……は?」
思いっきり失礼な事を言われているのだが、こんな事を面と向かって言われたのも始めてだったせいもあって、ネアシマは戸惑うばかり。アヴェラが心の底から感心している事も原因だろう。
イクシマは額に手をやりつつ、姉の腕をちょいちょい触れた。
「姉上、気にせんでいいんじゃって。こ奴はな、我らエルフに対して
「うるさい黙れ。お前にエルフの何が分かる。エルフってのは傲慢で美人で、ツンデレお姉さんタイプなんだ。お前のようなコレジャナイエルフとは違うんだ。そういうのが分からんのか」
「分かるわけなかろっ!」
頑迷さとは、やはり思い込みと拘りから生まれるに違いない。
いがみ合って互いに体をぶつけて押し合うアヴェラとイクシマに、ネアシマは目を瞬かせている。そしてニーソは倉庫に荷の確認に、ノエルは船に明日の準備に向かった。
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