第145話 手段のために手段を選ばず
「はぁ? そんなん我は聞いたことないんじゃって」
イクシマの言葉に、アヴェラは額を押さえ息を吐いた。
そこに落胆の色があるのは、信じて期待していた文化汚染区域のエルフの里に、米とは少し違う粘性の強い米が存在しないと分かったからだ。そこの元居住者によれば、餅に類するような食品すら存在しないようだった。
「馬鹿な、なんて事だ。餅がないだって!? あれだけ文化汚染されきってるエルフの里に!? そうなると正月に餅とかって感覚もないのか。ったく、これだからエルフの里ってやつは」
「お主、なんぞ我の里に恨みでもあるんか……?」
「いや別に、八つ当たりだ。まあいい、ないものはないんだ。仕方がない。別にエルフの里が悪いわけではないんだ。期待していたのに裏切られただけで、やっぱりそんなものかと失望しただけだ」
「やっぱし恨んどる」
イクシマは口をへの字にして呆れ顔だ。
そこはコンラッド商会の、アヴェラたちの為に用意された部屋だった。
治療院でアヴェラを診て貰った後だが、フィールドから戻った後のため、少しばかり汗の匂いがする。しかし互いにそれを気にする仲でもない。
空気に湿気があるのは雨が降り出したからで、耳を澄ませば屋根を打ち低く静かな絶え間ない音が響いていた。ぽつぽつとした軒先の雨音と、雨宿りに来たらしい鳥の羽ばたきと鳴き声が聞こえるだけだ。
「まあまあ、それよりさ。お茶でも飲もうよ、美味しいよ」
ノエルが湯気立つお茶を運んで来ると、雰囲気を変えるように言った。このメンバーの良心であり、仲を取り持つ存在らしい対応である。
机の上にカップを置く音が四回響いた。
この部屋には茶葉が常備され、いつでもお茶が飲めるようになっている。商会専属冒険者への特別扱いだ。実際にノエルが煎れてくれた香り草のお茶は高級品らしく、鼻孔を心地よくくすぐる。もちろん煎れ方も上手なのだが。
しかしアヴェラは、茶こそ手に取りすするものの心には届いていない。テーブルに頬杖を突くと、相も変わらず考え込んでいる。
「いまある米だけとなると、ぼた餅という手もあるが。やっぱり大福だ。大福なら餅だ餅。餅でなければ、もちろんもちもちの大福にはならないな」
ぶつぶつ呟くアヴェラに、ノエルとイクシマは顔を見あわせた。片方が小首を傾げ、それに対し片方が横に振る。とりあえず、もう一度治療院に担ぎ込む案は見送りされたようだ。
「まあまぁ御兄様。そんなに悩んでも仕方がありません」
横で控えていたヤトノも口を出す。
軽く礼を言って茶をすすり、それからノエルが皮をむいて準備した果物を口にして、甘さと美味しさに満足顔で頷いた。この果物も商会からの差し入れで、至れり尽くせりという感じだ。
アヴェラがもたらした利益は下着の販売に、大公爵とのコネ、エルフとの交易の独占と、どれ一つとっても商会にとって計り知れないものがある。それを考えれば、当然の扱いだった。ただし本人は、その待遇を当然と考え甘えてはいないのだが。
「もう少し視野を広げて考えてみては如何ですか。たとえば、穀物の取り扱いが得意な者は誰ですか」
「もちろんニーソには確認したさ。でも、見た事がないそうだ」
「ニーソだけですか? もっと長く商人をやっている者にはどうなのですか」
「あっ、そういえば……」
ニーソは有能なので、アルストルに流通している品の殆どを把握している。だが逆に言えば、アルストル外の事は殆ど知らない。あまりにも信頼していたので、その事をすっかり失念していたのだ。
「餅は餅屋と言うな」
「はい? 餅屋ですか?」
「なんでもない。もっと商売の経験豊富で、都市の外にも詳しい人に確認してなかった。ありがとう、ヤトノのお陰で気付いた」
「当たり前ではないですか。だって、わたくしは良妹賢妹なのですよ。さあ、もっと褒めて下さっても構いませんよ」
ヤトノは椅子に座ったまま背筋を伸ばし、そのままアヴェラに身を寄せる。きっと頭などを撫でて欲しかったのだろう。だが、アヴェラが見向きもせず立ち上がったので空振りだ。
「よし、コンラッドさんに聞いてこよう」
アヴェラはそれで、今まで悩んでいたとは思えない軽い足取りで部屋を出ていくのだが、ヤトノは軽く拗ねた様子で果物を囓った。
「もうっ、御兄様のいけず」
そのせいだろうか、外の風雨が少し強まった感じであった。
コンラッド商会の会頭室は広からず狭からず、程よい広さで居心地が良かった。その理由をなんとなく考えていたアヴェラだったが、どうやら整頓された室内に物が少ないからだと気付いた。
「ふーむ、エルフの里から仕入れている穀物に似たものですか」
その部屋の主であるコンラッドは、恰幅が良く、彫りの深い顔に穏やかな表情を浮かべた落ち着きを持った人物だ。今もゆったりと考え込んでいる。
しかし冒険商人から身を起こし、王都でも有数の商会の主にまでなった経歴を考えれば、穏やかなだけの人物ではないのは間違いない。
だからアヴェラは信頼しているが、一線を引いてそれ以上は踏み込まないようにしていた。そうした態度も含め、コンラッドは好感を抱いてくれているらしい。普通ではなかなか会えない立場であるのに、アヴェラが面会を申し込むと快く応じてくれただけでなく、こうして会頭室に招いてくれたのだから。
「さて、思われている物と同じかどうかはさておきまして。そうした穀物でしたら、かなり以前になりますが見た事がありますな」
コンラッドは顎を擦り、目だけを天井に向け軽く考えながら言った。
「それは、まだ私自身が馬車に乗って必死に仕入れを行っていた頃ですな。なんとか一攫千金をと博打に出まして、冒険者を雇って野を越え山を越え、人食い鬼の出る沼や瘴気漂う谷を抜け、さらには――ああ、余計な話でしたな」
「いえ、凄く面白そうな話です。今は気が急いているので、また落ち着いたときに、是非聞かせて欲しいです」
アヴェラが世辞ではなく本心で言っていると分かったのか、コンラッドの顔に笑みが浮かんだ。では楽しみにしております、と言ったのは、やはり人は語りたい生き物だからなのだろう。
「その遠方にある土地で栽培される穀物ですが、形状などはエルフの里の穀物に似ております。現地では大きな葉に包みまして、それをまるごと焚き火に突っ込んで蒸し焼きにしておりましたな」
「なるほど! それは粘りがありましたか」
「ええ、仰られた通り一つに固まるぐらい粘りがありましたな。少々味が独特で匂いも強めで、いえ慣れると美味しくはありましたが」
コンラッドは何気なく言ったが、アヴェラはその言葉に確信を抱いて小躍りしたいぐらいの気分になっていた。もちろん自制して、笑みを浮かべる程度に留めているのだが。
しかし、そんな余裕も次の言葉を聞くまでだ。
「ただし問題もありますな」
「え?」
「その行く途中にドラゴンがいまして、なかなか危険な行程なのです」
「ドラゴン……!?」
アヴェラは微妙な声をあげた。ドラゴンと言えば、いろいろ思う所があるのだ。
しかしコンラッドはドラゴンに対する造詣も深く、実際に遭遇して恐ろしさについても詳しいため、極めて常識的な方面の意味にとった。深刻な顔で自らの額を指で数度つついているのは、過去に味わった恐怖のせいもあるだろう。
「動く災害、天空の支配者、異名は様々ですが、まさしくその通り。ドラゴンというものは恐ろしいものです。その巣が近くにあるがため、迂闊に近づけないわけでして。まっ、そのお陰で当時は大儲けさせて頂いたのですがな。はっはっは」
「……もしドラゴンが問題なければ簡単に行けますか?」
「おや、何か手立てがあると」
「あると言えばあります」
普通であれば信じる事はないだろう。だがコンラッドはアヴェラが災厄の加護持ちで、しかもヤトノという存在が憑いている事も知っている。そして何より、コンラッドは希代の商人であった。
「では、商会の飛空挺を出しましょう」
「え?」
「どのみち、普通に歩いて往復すれば半月以上もかかりますからな」
「あっ……」
アヴェラは目を上にやり呻いた。距離と時間の問題をまともに考えていなかったのだ。歩いて移動していれば、その間に祭が終わってしまいかねない。
「明日にはエルフの里から飛空挺が戻ってきますからな。整備を行えば、その次の日には出発できるはず。乗組員には少し負担をかけますが、賃金を弾めば誰も嫌とは言いますまい。むしろ大喜びでしょう」
「いいのですか?」
「構いませんとも。もちろん、そこに商機があるからでもありますな。あそこは香辛料が安価で、宝石類が豊富なのです。往復するだけで充分な利益が出ます、ドラゴンさえ何とかなればですがな」
「何とかします」
アヴェラの脳裏には、哀れなるカオスドラゴンが思い浮かんでいる。そこに頼んでドラゴン同士で話がつけば問題ないだろう。仮にそれが無理であっても、他に方法はある。たとえばドラゴン同士で牽制しあう間に、自主規制禁術で内側から爆破するとかも出来てしまう。目の前に欲しい食べ物があるのであれば、何を躊躇うことがあるだろうか。
祭の為の出し物の為の素材の為であれば何でもする。それが食べ物であれば。
まさしくそれは、食に対する飽くなき執念、食べる為であれ手段は選ばず労を厭わず何でも食らう前世の気質そのものである。
アヴェラは抑えた声で不敵に笑うが、コンラッドは僅かに不安そうだ。
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