第141話 祭りに向けて

 冒険者施設が集中する界隈は、研究職に就いたベテラン冒険者が専用の部屋を与えられ居住している。そうした人々や関係者は多いのだが、各自が部屋に引き籠もったりフィールドワークに出てしまったりと、気ままに行動するため人の姿は疎らだ。

 だから、ここは意外に静かな場所だ。

 青い空に白い雲。

 建物の前に広がる広場で芝の緑は鮮烈、名も知らぬ小さな花の白が浮き上がるように咲き、ゆったりした赤煉瓦敷きの小道が曲線を描いている。

 名も無き風景の中を誰もが通り過ぎていく。

 だが、アヴェラは足を止めていた。

「御兄様?」

 隣を歩くヤトノが不思議そうに見上げてくると、その仕草で長い黒髪を飾る一筋の白紐がふわりと流れ、白い服の赤い飾り紐は優しく揺れる。

 あどけなさの残る顔立ちに加え小柄でアヴェラよりも頭一つは小さい。だから誰が見ても幼さを感じるのだろうが、緋色の瞳の中には超然とした強さがあった。

「この景色が少し染みるな」

「染みた? ふむ、分かりませんが大丈夫です。御兄様が染みたと言われるのであれば、何か染みがあったのですね。ところで、先程の話はどうなさるのです?」

「祭りの出し物のことかな?」

「そうです、そうなのです。あの男め、御兄様は良いように使おうとは……おのれ罪深き人間。疾く祟って永劫の闇に叩き込んでやりましょうか」

「どうしてそうなるんだ、変な事はしないでくれよ」

「えーっ、呪いましょうよ祟りましょうよ」

 可愛らしい仕草で主張するヤトノだが、言っていることは最悪。アヴェラは溜め息一つで、今の話を完全にスルーする事にした。

「祭りの準備を急いでしないとな、これから忙しいぞ」

「御兄様は冷たいです、いけずです。でも、そんなところが素敵」

「はいはいっと、祭りは商会が中心でやっているからな。これからニーソの所に行って何か手伝うことにしよう。そうすれば、ニーソにもケイレブ教官にも恩が売れる」

「流石は御兄様、姑息ですね」

「姑息とか言うな。これは普通だ、極めて普通の考えだ」

「ふむ、姑息の定義を改めるとしましょう」

 ヤトノは真面目な顔で頷いた。肩をすくめたアヴェラが歩きだせば、直ぐに素足でぺたぺた追いかけてくる。上機嫌で心の底から嬉しそうだ。

「ニーソめのところに向かうのですね」

「その前にノエルとイクシマを呼んでこよう。二人とも喜んで参加したがるはずだ」

「ふむ、確かに手伝いは多い方がよいですね。では参りましょうか」

 手を繋いだヤトノが引っ張るようにして歩きだせば、通りすがる人たちは二人を仲良い兄妹とみて微笑んでいるばかりだった。


 コンラッド商会の建物は、灰色石材が使用され静かな佇まいのある外観だ。ドッシリした両開きの扉を開いた中は落ち着いた雰囲気――少し違っていた。

 足を踏み入れたアヴェラは、普段と少し違う空気を感じ、軽く店内を見回した。もちろん辺りは静かであるし、何か配置が違うというものでもない。多めに配置された魔術灯は明るく辺りを照らしだし、商談スペースでも穏やかに話が行われている。

 だが、何か普段と様子が違う気がする。

 雰囲気と言うべきか、微妙な空気の違いを感じとれるぐらいには、アヴェラもここに馴染んでいる。なぜなら、このコンラッド商会の建物内に、専用の部屋まで用意されているのだから。

 扉脇に控えていた従業員に、軽く用件を告げると、そのままスタッフ専用のドアを躊躇いもせず開ける。そのままバックヤードへと進み、顔見知りになった従業員に挨拶しながら通り抜けていく。短い階段をあがって、廊下を少し進んだ突き当たりのドアを開けたそこが、アヴェラたちの専用部屋だ。

 店舗から少し離れ倉庫に近く、一応は外からも入れるようになっている。ただし礼儀と挨拶の関係もあるので、こうして律儀に店の入り口側から入っているのだった。

「なんだかさ、みんなの感じが違ったよね」

 弾んだ声のノエルは浅葱色の瞳は煌めいて、可愛い系の顔立ちは綻んで明るい。白と青の服で行儀よく、しかし寛いだ様子でちょこんと椅子に座る。その仕草で結んだ長い髪が尾のように跳ね、豊かな胸も質感ある動きをみせていた。

 後ろを追いかけていたイクシマは、ちょこまかと進んで金髪と赤い服をひるがえし、長椅子に跳び乗るように座る。少し偉そうな感じで足を組み胸の下で手を組めば、小さな子供が威張っているような印象だった。

「うむ、祭りを前に血が騒いでおるんじゃろな。かく言う我も楽しみぞよ」

「それ分かるよ。私の村のお祭りでもさ、当日もだけど準備の時もみんな楽しそうなんだよね。私は参加させて貰えなかったから、今回はすっごく楽しみ」

「分かるのー、我も実を言えば遠くで見ておっただけなんじゃって。えーい、これはもう楽しみで楽しみで堪らぬ」

「だよねー」

「うむうむ。かく言う、お主もそうじゃろー?」

 イクシマの問いかけはアヴェラに向けたものだ。長椅子の上を陣取って行儀悪く寝そべっているが、目線が合えばニカッと悪戯っ子のような顔で笑ってくる。

 そこには連帯感や親近感のようなものがあった。

 何故なら、ここにいる三人は不運に死に災厄と、なにかと他人から嫌われる加護持ちなのだ。そのため、あまり楽しい人生は送ってこなかった事を互いに知っている。ただし三人揃うまではだが。

「そうか?」

「お主なー、素直になれよー。そんな興味ないって顔なんぞすんのは、よくなかろうが。もそっと楽しみな気分を出すべきじゃ、よいな我との約束じゃぞ」

「素直な感想を言ったらこれだ。しかも、勝手に約束なんてしてくるし騒ぐし。このカシマシエルフめ」

「勝手に名付けんなー。って言うか、カシマシってなんじゃ」

「賢くなるよう教えてやろう。よく聞け、カシマシってのはな……」

「うむ!」

「やかましくて騒々しいって意味だ」

「誰がやましくて騒々しいんじゃあああっ!」

 イクシマは騒々しく咆えた。

 この専用部屋が店舗から離れているのは、これが理由かもしれない。

 なんにせよ、いつものじゃれ合いのようなものだ。お互いに祭りのワクワク感もあって、自然に顔が綻び待ちかねるようにソワソワしているのだろう。


「遅くなってごめんね」

 コンラッド商会内で期待され、その他から注目されている人物のニーソは軽く息を乱しながら部屋に飛び込んできた。大急ぎで来たようで、緑色を帯びたショートの髪が軽く乱れている。気付いて手早く直し、動悸を抑えるように胸に手を置いた。

「そこまで気にせず、ゆっくり来てくれて良かったのだがな」

「だってアヴェラが来てるのよ、急いで来たいもの」

「あまり気を使わないでくれ、むしろ心苦しくなるぐらいだ」

「……もうっ、これだから」

 ニーソは無言で小さく息を吐き、アヴェラが焼き菓子を口にする様子を見つめた。そこはかとなく拗ねたような様子で、怒っていますと主張しているような仕草だ。

 同席するノエルは二人のやりとりを、呆れながら苦笑しているぐらいだ。

 そしてイクシマは、これ見よがしに大きな溜め息をついた。

「まっ、仕方なかろ。こ奴に、そういう機微ってもんを期待する方が間違っとる」

「何で機微とかって話になるんだ?」

「そういうとこなんじゃって」

 イクシマは机上の焼き菓子をつまみ、上を向いて口を大きく開け、落とし込むようにして食べた。美味そうにモグモグやっている。

 部屋の中は自由にして良いと言われているので、遠慮なく使っていた。

 菓子などの食べ物は持ち込んでいるし、家具類は商会の余剰品を運び込んでいる。内装にも手を入れ、アヴェラの感覚――前世で言うところの和モダン――で整えていた。かなり居心地の良い場所で、それぞれ好きに寛いでいる。

 ニーソは笑顔を取り戻しアヴェラの隣に座った。

「ところで、何か用事があるって話を聞いているの。どうしたの?」

「実は恩を売りに来たついでに、手伝って貰おうかと思って」

「なるほど。つまり、私の手助けになりそうな事で誰かの用件を片付けたいのね」

「流石に分かっていらっしゃる」

「もちろん当然なの」

 言ってニーソは得意そうに胸を張ってみせる。

 幼馴染みであるだけに、アヴェラの行動を熟知しているのだ。利用されると知っても、少しも気にした様子がなかった。

「大冒険市に参加するように教官から頼まれてな、だからニーソの手伝いをして参加した事にしようかと思うんだ。あと、祭りに参加してみたい」

 アヴェラが言えば、ノエルとイクシマは身を乗り出し頷いている。


 そしてニーソは軽く目を見開いた後に、笑顔で両手を軽く合わせ喜んだ。

「ちょうど良かったの。実は私もみんなにお願いしたいと思ってところなの」

「うん?」

「実はね、うちの商会の中でも売り上げ競争をするの」

「商会同士で売り上げ競争をするのに、内部でも?」

「そうなのよ。でも中で競争すれば、全体でも売り上げが良くなるはずなの」

「なるほど」

 アヴェラは口元に手をやり頷いた。

 この商会を率いるコンラッドは、やり手の人物である。これは単なる売り上げ競争ではないだろう。楽しんでやっているのは間違いないが、きっと何か別の思惑があるに違いない。

「それなら、丁度いい。こっちはニーソを利用させて貰って、祭りに参加する。ニーソはこっちを利用して、売り上げを伸ばす。お互いに利用しあって上手くやろう」

 アヴェラの口調はあくまで気楽だ。

 にやりと笑って楽しげな様子をみせているが、他の者には不評だった。

「アヴェラ君ってばさぁ……そういう言い方は、どうかと思うんだよね」

「まったくだ。我も同感なんじゃって」

 ノエルはこめかみに指をあて、軽く唸っている。イクシマが腕組みして、しみじみと頷いた。それに対し、ニーソは困ったような感じで取りなす。

「でもね、アヴェラらしいのよ」

 取りなすようにニーソは言ってくれるが、つまりは言い方に問題がある事の、それ自体は認めている。

「ニーソよ、お主はちっと甘過ぎなんじゃって」

「あっ、でもさ。もしアヴェラ君が素直で、優しい言葉なんて言ったら……それ変だと思うんだけど」

「むっ、それもそうなんじゃって。考えてみれば、ものっそい難儀な奴よのう」

 そして女三人で何やらアヴェラについての論議を――本人を前にしながら――始めている。とはいえアヴェラは沈黙する。女性同士の会話に口を挟むことは愚かであるし、せっかく三人が仲良いのだ。しばらく黙っている事にして、襟元から出て来た白蛇状態のヤトノの頭に触れるのだった。

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