◇第十二章◇

第140話 頼み事は概ね面倒事

部屋には、そこで暮らす人の生き方が現れる。

 空間を飾る品々の意匠や質、手入れの具合。置き方だけでも雑多か斉一か、雑然であるか整っているか。掃除の具合や色調なども含め、普段暮らす場所だからこそ、人となりが如実に表れてしまう。

 もう一つ重要でありながら、意外に本人が気付かないものが匂いだ。

「…………」

 アヴェラが部屋に入ると、土と木と少し埃の匂い、それから雑多で不思議な僅かな匂いを感た。しかし、直ぐに慣れて気にもならなくなってしまう。

 そこは探索都市の一角に存在する指導教官に与えられた部屋だ。

 質実剛健な棚には物珍しい品々が、まとまりを持ちつつ雑然と収まる。壁の大きなボードには何かの説明図と味のある文字――あと、食材の買い出しメモ――が残されている。

 木製のポールハンガーには、使い古された外套と剣帯が無造作に掛けてあり、その隣の椅子から部屋の主が立ち上がった。

「わざわざ足を運んで貰ってすまないね。座るといい」

 来客用ソファーに移動するケイレブは、白い綿シャツに皮のチョッキと麻のズボンとシンプルな格好だ。細めながら筋肉質な身体つきと鋭い眼光が相俟って、鍛えあげられた長剣のような印象があった。

 もし気弱な者が相対すれば、その力強い存在感に圧倒されてしまうかもしれない。

「では、失礼して」

 アヴェラは少しだけ遠慮しながらソファーに腰掛けた。

 これまでの関係もあるが、ケイレブは両親の旧友でもある。親戚のおじさんとまではいかずとも、気心の知れた頼れる存在だと思っているのだ。

 ただしヤトノは遠慮などせず、子供のように勢い良くソファーに座った。

「まったく、この人間ときたら。御兄様に対して態度が偉そうです。呪いますよ」

「こらヤトノ、そういう事を言うもんじゃないぞ。いいか、教官が偉そうじゃなかったらどうする。いろいろ、他に示しがつかないだろ」

「御兄様は、お優しいこと。そんなところも素敵」

「抱きつくな、大人しく座ってろって」

「もうっ、御兄様のいけず」

 ヤトノは黒髪を揺らし白袖で顔を覆った――が、ちらりと目を覗かせアヴェラの反応を待っている。それで頭を撫でて貰えば満面の笑みだ。

 存在を忘れられた部屋の主は苦笑するばかりである。


「やれやれ、二人とも仲のよろしい事だね」

「この男ときたら、今更何を言うのですか。御兄様とわたくしの仲ですよ。仲が良いどころの話ではありません、当然です当然」

「僕も妻と結婚した頃は似たような事を思っていたね、僕たち二人は最高の仲なんだと。だがね、今は何と言うかだね……そこの表現は控えておこう」

「ふんっ、随分とご家庭での地位が低いようですね」

「僕もそれなりに頑張っているのだがね。まあ、うちの嫁は釣った魚には餌をやらない主義だそうだからね」

 ケイレブは乾いた笑いをあげるが、アヴェラだけでなくヤトノすらコメントを差し控えている。

「ここは笑うところじゃないか、笑ってくれないかな。ふふっ……まあいいさ、君も早く結婚して同じ気持ちを味わえばいい」

 そんな言葉にアヴェラは曖昧に笑うばかりだ。

 前世において結婚という事象には縁はなく、憧れと羨みの思いしかなく、今世でも果たしてどうなるのかと――少なくとも本人は――漠然とした不安を抱いていた。

 ヤトノは不満げに、可愛く指を突きつける。

「御兄様に変な事を吹き込まないで下さい。御兄様は、あなたとは違うのです」

「この蛇娘は箱入り娘らしい、現実というものを知らないようだね」

「誰が蛇娘ですか、失礼な人の子ですこと!」

 怒るヤトノにケイレブは余裕の笑いだ。

「おっと呪う気かな。だがね、今度こそ対策はバッチリだ」

「この男ときたら性懲りも無いですね。学ぶという事をしないのですか」

「大丈夫さ、今度は間違いない物だからね。ほうら、この部屋を見てみるといい」

「はあ……何か?」

 ヤトノのあどけなさの残る顔には呆れが色濃い。面倒そうに辺りを見やれば、黒髪と共に一筋流れる白い飾り紐が軽く揺れた。

 なかなか気付いて貰えないため、ケイレブは控え目に壁を指し示した。

「ほら見るといい、あそこにある赤いものを」

「ふむ、単なる豆類のようですね」

「それはレッドビンズと言って、山奥にのみ生える希少な植物だよ。先住民族のシャーマンが魔祓いに使うものなんだ。さあどうかな、少しは恐れてみてはどうかな?」

 自慢するケイレブは、赤い豆の入った箱を取り出し置いた。

 しかしヤトノは無造作に抓んで口に放り込んだ。カリカリと食べてしまう。

「ふむ、独特の風味ですね」

「いきなり食べるとはね。生の豆なんて食べて大丈夫かな」

「毒ではありませんし、仮に毒があってもわたくしに通用するとでも? それよりも魔祓いとか言ってましたね。誰が魔なんです?」

「まてまて、そこ詳しく話し合おうじゃないか」

 何かよくあるやり取りが始まるが、ヤトノは面白がっている雰囲気だ。


 アヴェラは赤い豆に手を伸ばした。赤とは言うが、少し赤黒い。そして白い筋のようなものがある。

「これは……小豆? こんなものもあったのか」

「おや、知っているのかな。これはかなり珍しくてね。いや、その場所に行けば、それなりに手に入るものだよ」

「なるほど。いずれそこにも行きたいですね。それはいいとして、そろそろ本題をお願いしますよ。ここに呼ばれた用件を聞きたいのですが」

「そうだね」

 ヤトノの追求をかわすため、ケイレブは早口で言った。

「毎年行われる、このアルストルの祭。大冒険市が行われるのは知ってるね」

「アルストルに住んでいれば、普通は知っている事かと」

「なかなか冷たい返事、どうもありがとう」

 ケイレブは真面目な顔をすれば眼光鋭い歴戦の戦士だが、ふて腐れたような顔をすれば、案外とお茶目な雰囲気になる。誰にでも見せる顔ではないだろうが、少なくともアヴェラには馴染みの顔だ。

「そういえば、もう大冒険市の時期だったな……」

 大冒険市はアルストルで年に一度開催される祭りだ。

 商会たちは祭りの為に用意した物珍しい目玉商品も出したり、通常は販売しない品を出したり、または通常よりも廉価に販売をしたりする。もちろん小売りの商人や職人たちも便乗し出店を用意し賑やかす。

 わざわざ遠方からも人が来るほどの大きな祭りだ。

「その大冒険市がなんですか?」

「うん、そこで何か出し物をしなければならない」

「誰が?」

「僕が」

「来年の話ですよね?」

「今年だよ」

「……普通はもっと早くから準備するものでは?」

「まあ、そうだね。今から参加なんて、実に無茶苦茶な話だ」

 ケイレブは自分の髪をわしゃわしゃ揉んで、窓から彼方を見やった。そちらには曇天が広がり、さっぱり見ても楽しいものではない。まさしく、そんな気分なのだろう。

「市長が急に何かやろうと思いついたらしくてね、つまりは無茶ぶりってものだよ。今更言うなって気分だが、なんとかせねばならん。これが組織に属するが故の悲哀というものかね」

「そうですね、上司にやれと言われたらやるしかないですから」

「ほう、その口ぶりからすると君も分かるようだね」

「……父さんの愚痴を聞いてますから」

 つい前世の愚痴が出たアヴェラは、とっさに話をすり替えた。実際のところ、警備隊長を務めるトレストも偶に上層部の愚痴を口にしているので嘘ではない。


「トレストの奴も苦労しているようだね。ふふっ、お互い歳を重ねたものだよ。おっとカカリアには、歳がどうこう言わないでおくれ。まだ人生を楽しみたいからね……」

 言ってケイレブは軽く身を震わせた。

 昔なじみであるので、カカリアの恐ろしさを十分に知っているのだ。

「とにかく何かだ、何かをやらねばいけないのだ」

「そうですか頑張って下さい」

「はっはっは、何を言うかな君は」

 嫌な予感のするアヴェラはそっけなく言って帰ろうとした。だが、間髪入れず機先を制したケイレブは流石だ。もしくは必死のなせる素早さなのかもしれない。

「君も手伝うのだよ。君は僕の指導下にあるのだからね」

「普通は何ヶ月も前から取りかかるような事を、今から計画をたてたあげく、準備までして祭りに参加しろと?」

「もちろん今から計画をたて準備をして参加するのだよ」

「なかなか楽しそうな話ですね」

「楽しそうだろ?」

「「…………」」

 ふいに黙り込むと、アヴェラとケイレブは互いに相手の出方を窺った。

 窓から微風が入り込み室内に緑なす木々の匂いを運んでくる。同時に小虫も入り込んだが、ヤトノが一瞥しただけで落ちて命を失ってしまう。

「お待ちなさい。命じられたのは貴方でしょう、御兄様を巻き込まないで下さい」

「そうは言うが仕方ないじゃないか、僕だけではどうしようもない。で、あれば頼りになりそうな相手の力を借りるしかないわけだ。そうだよ、助けて欲しいのだよ」

「ふむ、御兄様が頼りになるのは事実。縋って助けを求めるとは感心感心」

 ヤトノは偉そうに――実際に厄神の一部なので人間より遙かに偉い――言って、椅子に座りながら足をぶらぶらとさせる。まるで幼子のよう仕草だ。

 その間にアヴェラは思考を巡らせた。

「…………」

 ケイレブには信愛のような感情がある。親戚の気の良い困ったオジサンがいたとすれば、きっとこんな感じに違いない。そんな相手に頼られたのなら、応えたくなるのが人の心というものだ。

 考えていると、漠然とした思いの中に幾つか案が浮かんでくる。

「参加する内容は、何でも構いませんか?」

「うん? 何か思いついたのかな、もちろんだとも。小芝居でも歌でも、品を売ろうと見せようと何でも好きにやって構わないよ。市長にも文句は言わせない」

「当然ですけど、ケイレブ教官がメインですよ。押し付けたりしないで下さいよ」

「僕をなんだと思っているのかい? 助けは求めるけど、それを相手に押し付けるような卑怯な事はしたりしない」

「では、やります」

「助かるよ!」

 弾んだ声をあげたケイレブは、さっそく動きだしたアヴェラの両手を握った。さらに部屋の外へ向かうのにエスコートまでするぐらいに喜んでいる。

「御兄様ときたら、本当にお優しいこと」

 素足でぺたぺた後を追うヤトノであったが、つと手を伸ばし赤い豆をひと掴み。それをてにしたまま、一粒ずつ囓りだした。どうやら独特の風味が気に入ったらしい。

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