第138話 欲望に忠実な行動
アヴェラは担いで運んできた銀色の円盤――カイゼクラッケの眼であり素材である――を、浜辺にドンッと置いた。漁網の手入れをしていた村長は唖然となる。
「これ倒してきました」
「!?}
村長は砂地に軽くめり込んだそれに当惑した。
しばし無言で考え込んでいるが、それは当然だろう。いきなり置かれた見た事もない品が、何かなどと分かるはずもないのだから。
だが村長には年の功があった。
長年の経験と知識から、それがモンスター素材であると直ぐに判断。さらに、見た事がないほど上質であることから、かなりの上級モンスターと理解。この近隣に存在する上級モンスターと、目の前の相手が討伐を宣言していた内容から、それがカイゼクラッケの素材である事を、たちどころに判断した。
「なるほど。あれを倒してくれたのか……もう少し、たとえ半年でも早ければ村も……いや、それを口にしても仕方が無い。すまないね、失礼なぼやきをしてしまって。まずは感謝をさせて貰うよ」
「気になさらず。村の人が去った事は、これから何とかなりますよ。なぜなら海藻を集めて売れば、全てが上手く行くはずなので」
「そうだと良いのだがね。ああ、協力しよう。あれを倒してくれた事の礼として」
村長は穏やかに笑った。
そこには、地域を脅かしていたモンスターの脅威が消えたことへの喜びしかない。この村にとって海藻など、漁の邪魔をする存在でしかないのだから、物事が上手く行くとは到底思えないのだった。
そして村長は静かに笑い、ゆっくり立ち上がると、軽く足を引きずりながら歩きだす。向かうのは陸に引き上がれられて久しい舟で、どうやらアヴェラの頼みに応えるため準備を始めるようだ。
良い方向で裏切ってやろうとアヴェラが笑っていると、波音の中に砂を踏む音が混じり、聞き慣れた声が呼びかけてきた。
「はい、これ。採ってきたけどさ、次はどうするの?」
ノエルは胸の前に抱えてきた桶を差し出すようにした。
横にイクシマもいるが、二人の運んできた桶の中には黒味を帯びた粘性質の物体がたっぷり入っている。
二人には浜辺付近の岩場で海藻集めを頼んでいたのだが、どうやら真面目に集めてきてくれたらしい。ただし、あまり嬉しそうな顔をしていないのはドロドロと岩に張り付くものを採取してきたからだ。
それでも文句が出ないのは仲間の絆に違いない。
ノエルやイクシマがどう思っているかは兎も角、アヴェラはそう思った。
「ニーソが準備している場所に行こう。ああ、重いだろうから持つよ」
「ありがと」
「ここまで集めてくれたんだ、感謝するのはこっちの方だな」
受け取った桶は、思ったよりもズッシリとしていた。量が多い事もあるが、水分が多いせいもあるだろう。
イクシマが態とらしく咳払いを繰り返した。
「どうした、喉でも痛いのか」
「そうではない。お主はなんぞ忘れとらぬか、つまり、あれじゃな。苦労して、このドロッドロしたもんを集めてきた者に対する感謝とか」
「言っただろ、ノエルに」
「それは! 我にも! 言うべきじゃろぉ!?」
「ありがとう」
「んっ……んん? はあああっ!? こいつが礼を言いおった。ど、どうしたん?」
八重歯を見せ驚愕するイクシマに、アヴェラは軽く蹴りを入れた。あんまりにも素で驚かれたので、多少なりとも腹がたったのだ。
「なにすんじゃ! 我を蹴りおった! もはや許さぬ!」
イクシマが反撃で体当たりをしてくる。
衝撃は抱えた桶に伝わり、粘性のある中身が左右に揺れ少し零れてしまった。
「おい止めろ、体当たりするな。零れるだろうが」
「ふんっ! 零れてしまえ」
「こいつ、本当に怒るぞ」
体格ではアヴェラが勝るが、力ではイクシマが勝る。歩きながら互いに体当たりを繰り返すのだが、その様子はじゃれ合いにしか見えず、後ろを歩くノエルは微笑ましそうに苦笑するばかりだ。
◆◆◆
「つまり海藻を細かく刻むのね」
コンラッド商会のアヴェラたち専用の部屋でニーソは頷いた。
窓から差し込む光の中で、食材を切るための台の上に海藻は置かれている。ドロドロだったそれは、余分な水気がきられた塊になり、室内に磯臭さを漂わせていた。
「確か庖丁で細かく切ったはずだ。社会見学で見たのは随分昔だが……」
「社会見学って?」
「何でも無い、気にしなくていい事だ」
「じゃあ気にしないでおくね」
言ってニーソは庖丁を手に海藻を切り始めた。ジャクジャクと音が響き、辺りに漂う磯臭さが一層増してきた。しかし、それは嫌な部類の臭いではない。
同席するノエルは興味深げに眺め、イクシマは台に掴まり背伸びして見ている。
ニーソは手を黒っぽく染めながら庖丁を動かす。
「これなんだけど、次からは軽く洗った方がいいと思うの」
「そうか?」
「うん、手応えで……これは砂かな。少し固い感覚があるの。食べ物なら、そういうのは良くないと思うのよね」
「なるほど、次からはそうしよう」
今回は試作品なので、記録係のノエルが問題点を羊皮紙にメモして、そのまま続行した。
「これぐらい刻めばいいと思うけど、どう?」
「そんなものだったかな。では、次は水と混ぜる」
「はいはい」
「で、その後に目の細かいもので漉すのだが……」
「用意しておいたの。そこの袋の中から出してくれる?」
ニーソが海藻を器に入れ、水と混ぜ合わせながら視線を向けた先には、白い帆布製の手提げ袋がある。そこには植物を編んだ四角いザルのようなものが入っていた。イクシマが手に取り、興味深そうに見ながら、持って来た。
こうした試作を行うに必要なものは資金であり資材であり労力だ。たとえ知識があろうと、それらがなければどうにもならない。
その点でニーソの存在は全てを満たしている。
「ここに置けばよいんか?」
「ありがとなの。でも、こっちにお願い」
「うむ」
「そしたら、この網目に適当に流し込んで広げるのね」
ニーソは頼んだことを嫌な顔一つせずにやってくれる。前世では到底あり得なかった事で、こんな素晴らしい幼馴染みに出会えただけでも最高だろう。前世での不遇がお釣りつきで逆転した気分だ。
思考するアヴェラの前で、ニーソは機嫌良く作業を続けている。
「はい完了なの。こんな感じでどうかな……ねえ、アヴェラったら聞いてる?」
「ん? ああ、すまない少しぼんやりしていた。概ねそんな感じで、後は天日干しにして乾かすだけだ。ほら簡単だろ」
「そうね簡単ね。でも、これを沢山でするなら乾かし方を工夫しないとダメね。たとえば外で干すなら雨の事も考えておかないと。うーん、干し方は会頭に相談した方がいいかな? うん、関わって貰った方が他の人も口を出しにくいし――」
アヴェラの適当な指示を実現すべく、ニーソは呟きながら考えてくれている。幼い頃からアヴェラの知識に触れ、それを吸収した下地があるためとはいえ、素晴らし理解力だった。
「それでね、これの名前はどうするの?」
「海苔だ。海苔という名前以外は却下で異論は認めない」
「アヴェラの決めた名前に文句は言わないの。商品名は海苔で決定っと」
ニーソは布巾で手を拭くと、羊皮紙に文字を書き込んだ。そして軽く口を尖らせ、むむむっと唸りながら小首を傾げた。
「後は売れるかどうかなのよね。馴染みがない品って、なかなか売れないと思うの」
「ご飯にも合うからセットで売れるだろ」
「うーん、そのお米があまり売れてないのよね」
「売れてないのか?」
アヴェラが哀しそうな顔をすると、ニーソは手を小さく振って見せた。
「少しずつ売れてるから。ナニア様なんてリゾットがお気に入りだもの」
「リゾットは邪道とは言わないが本筋ではないが……まあいい。それだったらエルフの里に送ればいい、あそこでなら確実に売れるだろうな。ついでに婆様用に昆布の佃煮もつけてやろう」
「なるなるっと。でも初期投資額があるから、儲けが出るのは少し先かな……」
「初期投資? それだったら例のアレをつかってくれ」
アレとはアヴェラが呪い装備の解呪を行い得ている報酬だ。
その全てはニーソに預けて任せてある。
「気にせず突っ込んでくれればいい。好きに好きなだけ使ってくれ」
「なるほど、アヴェラの投資という形ね。これは絶対に成功させなきゃなの」
ニーソは気合いを入れた。
これまでも運用し増やした資金は全て差し出し、損失は自腹で補填しているぐらいだ。今回もきっと同じ事をするに違いない。
「言っとくが、損は損で構わないんだ。補填なんてするなよ」
「はーい」
「ちゃんとだぞ」
目を合わせない姿が怪しい。念押しをするが、それでもやっぱり目を合わせない。意地になって目を合わせようとするアヴェラと照れて逃げるニーソ。幼馴染みならではの、ふざけ合いはノエルとイクシマには不評の様子であった。
「あー、ところでなんじゃが」
唐突に言ったイクシマであったが、その眉を軽くしかめている。胸の下で腕を組み、ちょっとだけ偉そうな感じだ。
「お主、その海苔っていうもんの知識じゃが。婆様が言うとった稀人とかってのと関係あるんでないんか? じゃったら、婆様が忠告しとった事を忘れとりはせんか?」
それは、エルフの里のハイエルフである婆様の忠告だ。
過去に遭遇し見てきた稀人――つまり転生者など――が、中途半端な知識を振りかざし揉め事を起こし、やがて迫害され命を落とすといった末路を告げたものである。
イクシマは心配しているのだった。
「それは、海苔を諦めろと。さらに佃煮もやめろと言うのか?」
「止めろとは言わぬが、ちっとは控えるなり抑えるとかしたらどうなんじゃ」
「断る」
アヴェラはきっぱりと言った。
「なぬっ!」
「大事なことはニーソに生産させて、そこから少し貰うことだ。海苔で巻いたご飯とか、佃煮でがつがつ食べるためだ。それでどうなろうが、こうなろうが、知ったことじゃない」
「それ人としてどうなんじゃ?」
深いため息を吐いたイクシマは同意を求めるように横を見るのだが、ノエルは困ったように乾いた笑いを浮かべ諦めきり、ニーソに至っては頑張ろうと両手を握って気合いを入れるばかりだ。
「こ奴らときよったら……」
「まあ、婆様の言葉は覚えている。その意味でも、海苔とかはエルフの里へ送るべきだな。あそこなら内部だけで外には波及しない」
「そういう事考えとるんなら最初から言えよー。ちゃんと考えておるんじゃったら、我も別に余計な事は言わんかったんじゃって!」
「言えるわけないだろ。たった今、考えながら言ったからな」
「これじゃから、こ奴ときたら……」
イクシマは再度深いため息を吐いている。
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